リュー帰宅、侍女逃げる
ユマ……本名、優馬。東京の美容室の階段で転落して転生。
リュー……本名リュフォイエル。大きな屋敷で一人で暮らしている美貌の貴族。
フォルメダ……魔術師でリューの友人。明るい性格。
シャンス……リュー屋敷の執事。
ヴィテー……リューの愛馬。かわいい。
その部屋に入ると、住んでたアパート全部よりも断然広い。
「こんな素敵な部屋、ありがたいです」
「当座に必要なものを置いただけですので今後揃えてまいりましょう」
気になることはいくつか相談してみる。
「僕、服がこれしか持ち合わせがないんですけど、その」
するとクローゼットの一つを開けてくれる。
「当座のお召し物はこちらにご用意しました、簡単なものですが」
シンプルなシャツやパンツ、靴などが並んでいて、当面心配はなさそうだ。
「ありがとうございます! 助かります」
「それと、シャンスさんは肌や髪の手入れにお詳しいですか? 僕、元の世界ではけっこう手間をかけていて、それがなくなるとなるとちょっと困ってるんです……」
「ああ……、転生者でいらっしゃいましたか。納得致しました。そういうことなら、私ではなく後で誰か適任の者を連れてまいりましょう」
「助かります」
とりあえず清潔で安全に過ごせそうなことを実感したら、自然と気分も安定してきた。
するとシャンスさんが、きらきらした目で聞く。
「……それで、転生されてきたところを、ご主人様と出会われたというわけですね?」
「あっ、そうだ、お風呂もお借りできますか? 昨夜からずっと入りたくて」
「……かしこまりました」
聞きたいことが一向に聞けず、シャンスさんの口元はまたぎゅっとなってしまった。
シャンスさんに朝食を部屋に運んでもらって色々と食べてみた。パン、肉と野菜、果物。どれも美味しいし食の心配もなさそうだ。結局昨日の夕飯は抜いてしまった。手をかけると言っていたのに悪いことをしたし、何より食べたかったな……。なんだか胃袋から掴まれつつある。
食事が済んだころ、また扉が叩かれた。
「初めまして、奥様。メイドのイェティアと申します。この度はおめでとうございます! 身の回りのことを精一杯お世話致します!」
元気いっぱいの子が来た。前世でうだうだしていた身からすると、仕事に全力の人はそれだけで尊敬してしまう。
「お風呂の準備もできていますのでいつでもお入り頂けますよ!」
「わあ、ありがとう。先に少し、化粧品とかのこと聞かせてほしいんだけどいいかな。そこに座ってくれる?」
「でも……」
彼女も遠慮する。こういう時はどうしたらいいかさっき覚えた。
「リューとの出会いの話もするからさ……」
素早く着席したイェティアの隣に、なぜかシャンスさんも座っている。
「シャンスさん、色々ありがとうございます。食事、どれもとっても美味しかったです。キッチンの方にもよろしくお伝えください」
「ぐ……」
シャンスさんはやたらとゆっくり食器類を片付け、チラチラこちらを伺いながら牛歩のようなスピードでワゴンを下げていった。
ごめんね。まるで何かあるように言っちゃったけど、実は話すほどの馴れ初めはないんだ。僕が一番知りたいぐらいだよ、今なんでこうなっているのか。
「奥様は異世界からいらしたと聞きしました、この国の美容事情をお教え致します!」
みんな、僕が転生したと聞いても全然疑わないんだな。ここではけっこうあることなんだろうか。
「うん、ぜひお願い。まずさ、肌に水分を与えるような化粧品はあるかな?」
「もちろんございます! これは私物ですけれど……」
彼女は自分のスキンケア用品を次々と見せてくれる。
……た、楽しい! この話何時間でもいける!
この世界に来て一番、いやここ数年でも一番楽しいかもしれない。大学は理系で女子は少なかったし、こういう話ができる友達がいなかった。男友達も美容やファッションに興味ある人がそもそも少なかった。他の配信者が美容について友達と話しながらライブ配信しているのがめちゃくちゃ羨ましかった。ずっとこういう話がしたかったんだよね。まさか転生先で叶うとは……!
「ちょっと手の甲を貸してみて。まずこれを先に塗るでしょ、そして……」
すると、屋敷のどこかで鐘が鳴るような音が聞こえた。
「ん、何の音?」
「これはご主人様が帰ってこられた合図です。もうすぐ屋敷の中にお入りになるでしょうから、奥様がお迎え頂けたら喜ばれるかと!」
「……あー、まあ、そうだね……。じゃああと30秒だけ。それでね、この後にこれを塗ったほうが効果があるんじゃない?」
「まあ、仰る通りです! 奥様は知識が豊富でいらっしゃいますね!」
楽しい時間が中断されるのが億劫で話し続けていると、すごい勢いでブーツの足音が近づいてきた。
そしてガチャッと音がしてドアが開き、固まったリューが立っている。
「あ、お帰り、リュー――」
「イェティア……、何をしている……?」
リューが、俺に手を取られているイェティアを一睨みする。巡回の帰りだからか、リューの腰には昨日はなかった長い剣が提げられていてかなり物騒だ。
「わああっ! ち、違いますーーっ!」
イェティアは全速力で部屋を出ていった。こういう時は逃げるのが一番だ。
「リュー……、何か誤解してるようだけど」
大きくため息をついて抗議の意を示す。せっかく楽しくおしゃべりしてたのに。
「ユマ! ラウの誓いというのは取り消せないんだっ!」
「勝手に食べさせといて何言ってるんですか。あなたに僕を責める権利は一切ないから、永遠に」
リューの頭の上に「ガーン」という描き文字が見えそうだった。口をぱくぱくさせて震えている。
「楽しくお喋りしてただけですけど。それもいけない?」
「何のお喋りだっ?!」
「髪とか肌の手入れについて。あなたに聞いてもわからないでしょう?」
「わからない……」
リューは生まれながらに美しいタイプだろうからね。一般人がどういう努力をしているか知るはずもない。
「じゃああの子に一言謝っておいてくださいね」
「ユマ……、イェティアを、何とも思っていないんだな?」
「失礼なこと言わないでください! 次言ったら離婚ですよ」
「リコンとはなんだ? 何か、意地悪をする気か?」
「そうです、すごく痛ぁーいことをします。それをするとあなたは立ち上がれなくなりますよ?」
この国ではできないらしいけど。
「う……、わかった。もう疑ったりしない。約束する……」
そして近づいてきて昨日のように胸に顔を埋めようとするので、慌てて身をかわした。
「今はだめですっ。起きて、食事して、ずっとお喋りしてたから、まだお風呂にも入っていないんです」
「何を言う、全然かまわない、ハニー」
「僕が嫌なんです!まったく、何で昼に帰ってきちゃうんですか」
「そんな、急いで終わらせて帰ってきたのに……」
捨て犬のように俺を見つめるリューを置いて部屋を出ると、気配を消して壁と一体化しているシャンスさんがいた。
「お風呂は」
そう聞くとシャンスさんが黙って手で示す。見ると、廊下の向こうでイエティアがこちらを覗いている。
「イェティアー、案内してぇー」
ぱたぱたと飛んできて迎えにきてくれる。僕の最初の友人。
振り返ると寂しそうにこちらを見送るリューを、シャンスさんが励ましていた。お父さんの出勤でぐずる赤ちゃんとあやすお母さんじゃないか。僕は夫ではなく息子をもったのかもしれない。




