第9話 黄金の夜明け
雨は、まだ止まない。
けれど、私の足取りは軽かった。
胸に抱いた新しい工具箱の重みが、私を前へと押し出してくれる。
「見えたぞ、あれが中央制御塔だ!」
ダリウスの声が雨音を切り裂く。
闇の中にそびえ立つ、巨大な鉄の塔。
無数のパイプと歯車が絡み合うその姿は、下町の心臓と呼ぶにふさわしい威容だ。
まだ、街灯は点いている。
間に合った。
局長が強制停止のスイッチを押す前に、制御中枢を制圧する。
それが私たちの作戦だ。
「強行突破する! 離れるなよ!」
「はい!」
ダリウスが塔の正門を蹴破る。
警備の兵士たちが慌てて槍を構えるが、今のダリウスの相手ではない。
彼は私が調整した魔導剣を一閃させ、刃を交えることなく衝撃波だけで道を切り開いていく。
私たちは螺旋階段を駆け上がった。
心臓が破裂しそうだ。
でも、止まるわけにはいかない。
最上階、中央制御室。
重厚な扉の前に立ったダリウスが、呼吸を整え、一気に扉を押し開けた。
「そこまでだ、設備局長!」
怒号と共に踏み込む。
しかし──。
「……遅かったな、ドブネズミたち」
部屋の奥、制御コンソールの前に立つ恰幅のいい男──設備局長は、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
その手はすでに、赤いレバーにかかっている。
「ちょうど今、準備が整ったところだ。貴様らの墓標を建てる準備がな」
「やめろ!」
ダリウスが飛び出す。
だが、それより速く、局長がレバーを引き下ろした。
ガコンッ。
重く、乾いた音が響いた。
ヒュン……。
塔の駆動音が消えた。
窓の外、下町を照らしていた無数の光が、ふっと掻き消える。
世界が、漆黒に沈んだ。
「あ……」
絶望的な静寂。
その直後、地響きのような唸り声が、闇の底から湧き上がってきた。
影魔だ。
結界が消えた街に、飢えた獣たちが雪崩れ込んでくる。
「ハハハハ! 見ろ! これで下町は終わりだ! 証拠も貴様らも、すべて影魔の腹の中だ!」
局長が高笑いし、指を鳴らす。
部屋の隅に控えていた二体の巨大な魔導兵が、重い足音を立てて動き出した。
「殺せ。一人も生かして帰すな」
ゴーレムの鉄拳が振り上げられる。
ダリウスが私の前に立ちはだかり、剣を構えた。
「リディア! 制御盤へ行け!」
「でも、電源が!」
「お前ならできる! 道具はある! 腕もある! そうだろ!?」
ダリウスの叫びが、私の迷いを断ち切った。
そうだ。
泣いている暇なんてない。
私には、彼がくれた最高の相棒がある。
私は走った。
ダリウスがゴーレムと激突する轟音を背に、沈黙した制御盤へと滑り込む。
計器はすべてゼロ。
魔力供給ラインは物理的に遮断されている。
普通の整備士なら、「修理不可能」と判断して投げる状況だ。
でも、私は普通じゃない。
私は新しい工具箱を開いた。
ミスリル製のドライバーを握る。
ひやりとした感触が、熱くなった頭を冷やしてくれる。
(聞こえる……)
目を閉じる。
電源は切れても、回路にはまだ「熱」が残っている。
ついさっきまで光っていた街灯たちの記憶。
行き場を失って彷徨っている、微かな残留魔力。
『寒くないよ。私がいる』
『みんな、手を繋いで。ひとりぼっちじゃない』
私はパネルを開け、ドライバーを突き立てた。
メイン回路を無視し、廃棄寸前の予備回線と、避雷針のアース線を無理やり直結させる。
通常ならショートして終わる。
だが、私の手にあるのはミスリルの工具だ。
魔力伝導率ほぼ100%。
私の指先から流れる微弱な生体電流すら、ロスなく回路へ伝えてくれる。
パチッ!
小さな火花が散った。
反応がある。
生きている。
「ぐぁっ……!」
背後でダリウスの苦悶の声がした。
チラリと振り返ると、彼は左腕から血を流しながらも、二体のゴーレムを一人で抑え込んでいた。
ボロボロだ。
それでも、彼は一歩も退かない。
私を守るために。
「すぐ……すぐ直すから!」
涙が出そうになるのを堪え、私は作業に没頭した。
指先が舞う。
古い端子を削り、新しいバイパスを作る。
数千ある街灯の残り火を、この一点に集めるイメージ。
局長が嘲笑う声が聞こえる。
「無駄だ無駄だ! 魔力がないのに動くわけがない!」
うるさい。
あんたには聞こえないの?
この子たちが、まだ光りたがっている声が。
『行ける?』
『行ける!』
回路が共鳴を始める。
制御盤が、ドクンと脈打った。
私は最後の仕上げにかかった。
安全装置の解除。
そして、全回路の強制同期。
ドライバーを握る手に、全身全霊を込める。
私の全てを、光に変えて。
「ダリウス! 目を閉じて!」
私は叫び、再起動スイッチを叩き込んだ。
カッーーーーーーッ!!
音が消えた。
次の瞬間、視界のすべてが黄金色に染め上げられた。
制御塔が咆哮する。
集められた微弱な魔力たちが共鳴し合い、爆発的なエネルギーとなって噴出したのだ。
その光は、塔の頂点から天を突き刺し、そして雨雲を吹き飛ばして街中へ降り注いだ。
「グオォォォッ!?」
光を浴びたゴーレムたちが、過剰な魔力干渉を受けてショートし、火花を散らして停止する。
窓の外では、群がっていた影魔たちが、太陽ごとき輝きに焼かれて霧散していく。
「な、なんだこれは……!? あり得ん、あり得んぞぉぉ!」
局長が腰を抜かし、光から逃れるように這いつくばる。
その醜い姿も、光は容赦なく暴き出す。
私は、ドライバーを握りしめたまま、その場に崩れ落ちそうになった。
全精力を使い果たした。
膝が笑っている。
倒れる、と思った瞬間。
血と泥にまみれた腕が、私を抱きとめた。
「……見事だ、リディア」
ダリウスだった。
彼の傷だらけの顔が、黄金の光に照らされて輝いている。
「見てみろ。夜が明けたぞ」
彼に支えられ、窓の外を見る。
下町中の街灯が一斉に灯り、地上に天の川が流れているようだった。
それは、冷たい行政の光じゃない。
私たちが守りたかった、温かい人の営みの光。
「きれい……」
「ああ。世界で一番、美しい光だ」
ダリウスは私を強く抱きしめた。
痛いくらいに。
でも、その痛みが愛おしかった。
私たちは勝ったのだ。
絶望的な闇にも、理不尽な暴力にも。
私の手の中で、ミスリルのドライバーが微かに熱を帯びていた。
それはまるで、よくやったと私を褒めてくれているようだった。




