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捨てられた令嬢は夜を直す〜機械の声と煤まみれの恋が灯るまで〜  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話 奪われた工具、閉ざされた夜

 雨音だけが、部屋を満たしていた。


 通されたのは、下町の雑居ビルの一室だった。

 夜警隊が極秘に使っている隠れセーフハウスらしい。

 窓には厚いカーテンが引かれ、外の明かりは一切入ってこない。


 私はソファの隅で、毛布にくるまっていた。

 体は暖かいはずなのに、指先の震えが止まらない。


 視線を落とす。

 膝の上で握りしめた自分の手。

 空っぽの手。


 あの「パキン」という音が、耳から離れない。

 お爺様のドライバーが折れた音。

 私の誇りが、私の半身が、無惨に踏み砕かれた音。


「……飲め。温かいミルクだ」


 マグカップが差し出された。

 ダリウスが隣に座る。

 ソファが沈み込む感覚。


 私はカップを受け取らず、掠れた声で言った。


「……帰してください」

「駄目だ。外には刺客がいる」

「私がいたら、貴方まで殺されます!」


 顔を上げて叫んだ。

 ダリウスの顔を見るのが怖かった。

 きっと、迷惑そうな顔をしていると思ったから。


 けれど、彼は怒っていなかった。

 濡れた髪を拭きもせず、ただ静かに、悲しげに私を見ていた。


「もう、私には何もないんです」


 言葉が堰を切ったように溢れ出す。


「工具がない。機材もない。ただの無力な女です。魔力もない、家もない、道具もない……っ、こんな私がいても、足手まといなだけじゃないですか!」


 涙が零れた。

 職人にとって、道具は命だ。

 あれがなければ、私はただの「出来損ないの公爵令嬢」に戻ってしまう。

 機械の声が聞こえても、直してあげられない。

 それが何より辛い。


 私は顔を覆って泣いた。

 みっともなく、子供のように。


 不意に、私の手首が掴まれた。

 強い力で、顔を覆う手を引き剥がされる。


「リディア。俺を見ろ」

「いや……っ」

「見ろ!」


 低い一喝に、体が竦む。

 恐る恐る目を開けると、琥珀色の瞳が至近距離にあった。


 ダリウスは私の両手を広げ、自分の掌に乗せた。

 彼の手は大きくて、硬くて、剣ダコだらけでゴツゴツしている。

 私の小さくて荒れた手とは大違いだ。


「道具がないなら、俺の手を使え」


 彼は真剣な眼差しで言った。


「俺の手は、剣を振ることしか知らん不器用な手だ。精密な作業はできん。だが、重いものを支えることはできる。敵を斬ることはできる。お前が作業する間、盾になることだってできる」


 彼は私の手を強く握りしめた。

 熱い体温が伝わってくる。


「お前が無力なわけがない。道具がすごいんじゃない。あの光を灯したのは、お前のこの手と、その魂だ」

「でも……道具がなきゃ、物理的に直せません……」

「だから、俺がいる」


 ダリウスは私の手を離し、足元の鞄から桐の箱を取り出した。

 重厚で、見るからに高価そうな箱だ。


「これを渡すタイミングを、ずっと計っていたんだがな。……こんな状況で渡すことになるとは」


 彼は苦笑しながら、その箱を私の膝に置いた。

 ずしり、と重い。


「開けてみろ」


 促されて、私は震える手で蓋を開けた。


 息が止まった。


 そこにあったのは、宝石箱よりも美しい光景だった。


 黒いビロードの中に、銀色に輝く工具たちが整然と並んでいる。

 ドライバー、ニッパー、スパナ、ピンセット。

 どれも最高級のミスリル鋼で作られ、グリップには滑り止めの特殊加工が施されている。


 ただの新品じゃない。

 私は吸い寄せられるように、一番手前のドライバーを手に取った。


 指に吸い付くようなフィット感。

 重さのバランスが完璧だ。

 私の手のひらのサイズ、指の長さ、握力の弱さまで計算し尽くされている。


「……どうして」


 これは、市販品じゃない。

 完全なオーダーメイドだ。

 しかも、この職人技。王都で一番と言われる『黒鉄工房』の仕事だ。

 予約だけで三年待ちは当たり前の。


「以前、お前が俺の剣を直している時、ずっと手元を見ていた」


 ダリウスが少し照れくさそうに頬をかいた。


「お前は良い腕をしているが、道具が古くて手に負担がかかっていた。だから、職人に頼んで作らせたんだ。『最高の整備士に相応しい、最高の道具を』とな」


 私は言葉を失った。

 これ一式で、家が一軒建つほどの値段がするはずだ。

 それを、彼は私のために。

 まだ「ただの雇われ整備士」だった私に。


「お爺様の形見の代わりにはならんかもしれない。だが、性能は保証する」


 ダリウスの言葉に、私は首を横に振った。

 代わりなんかじゃない。

 これは、新しい相棒だ。

 彼が私を信じて、託してくれた想いの結晶だ。


 ドライバーを握りしめる。

 冷たい金属なのに、不思議と熱を感じる。

 力が、体の奥底から湧いてくるのが分かった。


 直したい。

 この道具を使って、壊れたものを直したい。

 そして何より、この人の期待に応えたい。


「……重いです」

「ん? ああ、ミスリルは密度が高いからな」

「違います」


 私は涙を拭って、彼を見つめた。

 視界がクリアになる。


「貴方の想いが、重いです。……どんな宝石の指輪よりも」


 ダリウスが目を見開き、それから耳まで真っ赤にした。

 咳払いをして誤魔化そうとするが、動揺が隠せていない。


「そ、そうか。……なら、責任を持って使いこなせ」

「はい。使い潰すまで、働かせてもらいます」


 私は工具箱を胸に抱いた。

 もう、震えは止まっていた。

 恐怖がないわけじゃない。

 外にはまだ敵がいるし、状況は絶望的だ。


 でも、私には武器がある。

 そして、盾となってくれる人がいる。


「隊長」

「なんだ」

「設備局長は、私の痕跡を消そうとしていました。それはつまり、私が作った『何か』が残っていると不味いからです」


 私の頭脳(回路)が、カチリカチリと回転を始める。

 絶望から抜け出した反動で、思考が澄み渡っていく。


「中央制御塔。あそこには、下町中の街灯を管理するマスター回路があります。もし局長が街灯の光を強制的に消そうとするなら、必ずあそこにアクセスするはずです」

「なるほど。そこで待ち伏せ、か」

「いいえ」


 私はニヤリと笑った。

 職人としての、攻撃的な笑みが浮かんだ気がした。


「向こうが壊しに来るなら、先に直してやるんです。絶対に壊れない、最強の光を」


 ダリウスもまた、不敵な笑みを返した。

 琥珀色の瞳が、戦意に燃えている。


「いい顔だ。……行くぞ、リディア。反撃開始だ」


 隠れ家の扉を開ける。

 外はまだ雨だ。

 けれど、今の私には、その向こうにある夜明けの光が見えるような気がした。


 私の手には、彼がくれた銀色の希望ドライバーが握られているのだから。

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