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捨てられた令嬢は夜を直す〜機械の声と煤まみれの恋が灯るまで〜  作者: 九葉(くずは)


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第6話 王宮の舞踏会、下町のスープ

 湯気が、ふわりと顔にかかる。

 鼻をくすぐるのは、煮込んだトマトと香草、そして少し焦げたソーセージの香り。


 私は木製のスプーンで、赤いスープを掬った。

 一口飲むと、野菜の甘みと熱が体に広がり、作業で冷えた指先まで温まっていく。


「……ん、美味しい」


 思わず声が漏れた。

 向かいに座っているダリウスが、その言葉を聞いて微かに口元を緩めた。


「そうか。ここの親父のスープは、下町一番だからな」

「はい。こんなに美味しいもの、初めて食べました」


 私たちは今、下町の大通りに並ぶ屋台の一角にいた。

 粗末な丸太の椅子に、ガタつくテーブル。

 周りは仕事帰りの工員や、夜警隊の非番の連中で賑わっている。


 ダリウスは私服姿だ。

 詰め襟の堅苦しい制服ではなく、少し着崩した厚手のシャツに革のベスト。

 それが妙に似合っていて、私は目のやり場に困ってしまう。

 隊長としての威厳ある顔もいいけれど、こうしてスープをフーフーと冷ましている姿は、なんだか可愛らしい。


「リディア、パンも食え。痩せすぎだ」

「もう十分いただいてます。……隊長こそ、ちゃんと食べてください」


 彼は大きなパンをちぎり、スープに浸して豪快に食べた。

 その飾らない姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 貴族の食事は、味よりも作法が優先だった。

 音を立ててはいけない。

 会話は当たり障りのない内容だけ。

 冷めきった料理を、味がしないまま喉に流し込む。

 あれは食事ではなく、儀式だった。


(こっちの方が、ずっといい)


 私はもう一度スープを口に運んだ。

 幸せの味がした。


 その時。

 広場の方がざわめき出した。


「おい見ろ、始まったぞ!」

「けっ、貴族様のお遊びか」

「いいから見ようぜ、王子の顔くらい拝んでやろう」


 人々が視線を上げた先には、建物の壁面に投影された巨大な「魔導スクリーン」があった。

 王都の上層、貴族街で行われている「星降りの夜会」の生中継だ。


 画面の中は、目が眩むような光に満ちていた。

 何百ものシャンデリア。

 宝石を散りばめたドレス。

 私がかつて「自分の居場所だ」と信じ込まされていた、しかし決して受け入れてもらえなかった世界。


『続きまして、ジェラルド殿下による聖光の奉納です!』


 司会者の高揚した声が響く。

 画面が切り替わり、煌びやかな礼服を纏った青年が映し出された。


 ジェラルド・オルブライト王子。


 隣には、フリルの多いピンクのドレスを着た可愛らしい少女──妹のセシリアが寄り添っている。

 二人は絵に描いたように美しく、自信に満ち溢れていた。


「……あいつが、今の王子か」


 ダリウスが低く呟いた。

 私は無意識にスプーンを握りしめていた。

 怖いわけじゃない。

 ただ、胃の腑が冷たくなるような嫌悪感。


 ジェラルドが腰の剣を抜いた。

 刀身に美しい装飾が施された、儀礼用の魔導剣だ。

 あれは、彼が妹に会いに家に来た時、私が調整していた剣だ。

 彼は魔力の放出量が不安定で、すぐに回路を焼き付かせるから、私が排熱機構を内緒で改造していた。


『この一振りが、王国の繁栄を照らす光となるでしょう!』


 ジェラルドが高らかに宣言し、剣を掲げた。

 セシリアがうっとりと彼を見上げる。

 下町の観衆も、野次を飛ばしながらも固唾を飲んで見守る。


 ジェラルドが魔力を込める。

 剣が輝き始める。

 

 ──その瞬間。


 私は「音」を聞いた気がした。

 画面越しなのに。

 あの剣の内部で、悲鳴が上がったのを。


『あ、無理』

『熱い、そこは通らない、詰まってる!』


 私の唇が、勝手に動いた。


「……駄目。その角度で流したら、バイパスが破裂する」


 次の瞬間だった。


 バチチチッ!


 画面の中で、激しいスパーク音が炸裂した。

 ジェラルドの手元から黒煙が噴き出す。

 剣の輝きが不気味に明滅し、次の瞬間、プスンという間の抜けた音と共に完全に沈黙した。


『え……?』


 ジェラルドの凍りついた顔が大写しになる。

 会場が静まり返る。

 セシリアが悲鳴を上げて後ずさる。


 下町の広場では、一拍遅れて爆笑が起こった。


「なんだありゃ!」

「光るどころか、煙吐いたぞ!」

「へっぴり腰だなぁ!」


 画面の中は大混乱だった。

 ジェラルドは顔を真っ赤にして剣を振り回し、「故障だ! 不良品だ!」と叫んでいる。

 見苦しい。

 あまりにも。


 私は静かに目を伏せた。

 原因は明白だ。

 排熱ダクトの掃除をしていない。

 私の追放後、誰もあの剣の特殊な内部構造を理解できず、メンテナンスを怠ったのだろう。

 

 私が毎日、指先をボロボロにしながら掃除していたすすが、今、彼の手元で爆発したのだ。


「……リディア」


 ダリウスの声で、我に返った。

 彼はスクリーンではなく、私を見ていた。

 その瞳は、すべてを見透かすように深い。


「あの剣、お前なら直せるのか」


 試すような響きはなかった。

 ただの事実確認のように。


「……はい。触れれば、五分で」

「そうか」


 ダリウスは残ったスープを飲み干し、静かに言った。


「さすがだな。なぁ、あのような華やかな世界に憧れはあるか?」


 彼は顎でスクリーンをしゃくった。

 私はスクリーンを見た。

 そして、手元のスープを見た。

 木の器の温もり。

 隣にいる、不器用だけど誠実な人の体温。


 答えは、決まっていた。


「いいえ」


 私は首を横に振った。

 迷いはなかった。


「私は、ここのスープの方が好きです。……あんな世界の興味はありません。」


 ダリウスが目を見開いた。

 それから、ふっと優しく笑った。

 その笑顔を見るのは初めてだった。

 胸が、トクンと高鳴る。


「そうか。……なら、おかわりを頼もうか」

「ふふ、はい。お願いします」


 広場ではまだ、王子の失態を笑う声が響いている。

 けれど、私にはもう関係のないことだ。

 遠い国の喜劇を見ているような気分だった。


 私は知らなかった。

 あの時、画面の端に映っていた初老の男──宮廷魔導師長が、壊れた剣を見てハッとした表情を浮かべたことを。

 そして、私の存在に思い至ってしまったことを。


 でも今はただ、この温かい時間だけが、私にとっての真実だった。

 ざらついた木のスプーンの感触と、隣に座る人の肩の温もりだけが、私が手に入れた確かな「光」だった。


 ◇


 翌日。

 詰め所に出勤した私の元へ、血相を変えたダリウスが飛び込んでくることになる。


「リディア、警戒レベルを上げるぞ」

「えっ? 影魔ですか?」

「いや、もっと厄介な連中だ。……設備局が動き出した」


 平穏な時間は、スープの湯気のように儚く消えようとしていた。

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