第4話 言葉より雄弁なメンテナンス
出されたスープは、驚くほど美味しかった。
野菜がくたくたになるまで煮込まれ、冷えた体に染み渡る。
私は夜警隊の詰め所にある、隊長室のソファに座っていた。
向かいの執務机には、ダリウス・ヴァイデル隊長。
彼は書類の束と格闘しながら、時折こちらをチラリと見る。
まるで、迷い込んだ野良猫が逃げ出さないか見張るような目だ。
「……美味いか」
「はい。とても」
「そうか。部下に作らせた甲斐がある」
会話が途切れる。
気まずい。
私は空になったカップを両手で包み込んだ。
手当てされた指先が少し痒い。治りかけの証拠だ。
本来なら、私は今すぐここから逃げ出して、廃工場に引きこもるべきだ。
公爵令嬢だった過去がバレれば、どんな目に遭うか分からない。
けれど、彼──ダリウス隊長は、私の名前も素性も聞いてこない。
ただ「君の技術が必要だ」と一点張りだ。
「単刀直入に言う」
ダリウスが書類を置き、身を乗り出した。
琥珀色の瞳が私を射抜く。
「夜警隊の専属技師になってくれ。身分は問わない。報酬も弾む」
やっぱり、その話だ。
私は首を横に振った。
「……無理です。私はただの、修理屋ですから」
「謙遜は不要だ。あの中央魔導灯を直せる人間が、ただの修理屋なわけがない」
「目立つことはできません。事情があるんです」
私が俯くと、ダリウスは短く息を吐いた。
諦めてくれただろうか。
そう思った次の瞬間、彼は立ち上がり、部屋の奥にある重厚な扉を開け放った。
「なら、これを見ても断れるか?」
私は何気なくその先を見た。
そして、絶句した。
「……な、何ですか、これは」
そこは倉庫だった。
いや、墓場だ。
魔導剣、通信機、防護結界の発生装置。
ありとあらゆる装備品が、山のように乱雑に積み上げられている。
どれもこれも、壊れている。
刃こぼれした剣、魔石がひび割れた銃、回路がショートした盾。
「予算が下りなくてな。修理に出す金もない。騙し騙し使っているが、もう限界だ」
ダリウスの声には、諦めと怒りが混じっていた。
私の鼓動が早くなる。
怒りだ。
道具に対する、扱いへの怒りじゃない。
こんなになるまで酷使され、放置されている道具たちの「痛み」が、一斉に流れ込んできたからだ。
『痛い、折れてる』
『まだ切りたい、守りたいのに』
『錆びて動かない、ご主人様を守れない』
道具たちの無念。
忠誠心。
それが、私の理性を吹き飛ばした。
「……最低です」
「あ?」
「こんな状態で戦わせるなんて、道具への冒涜です! 彼らが泣いてるのが聞こえないんですか!?」
私はソファから飛び起き、倉庫へと駆け込んでいた。
ダリウスが目を丸くしているのが視界の端に見えたが、構うものか。
私は手近な魔導剣を一本掴み取った。
柄の革が擦り切れ、魔力伝導路がズタズタだ。
これは……ダリウスが使っていた剣だ。
『重い……ごめんね、重くて』
『もっと速く振られたいのに、軸が歪んでる』
剣の声が聞こえる。
そして同時に、この剣を使っている持ち主の「癖」も見えた。
……左腕。
ダリウスは、左腕を庇っている。
古傷があるのか、握力が弱い。
そのせいで剣の重心がブレて、回路に無理な負荷がかかっている。
「工具を借ります。あと、作業台も」
私は振り返り、ダリウスを睨みつけた。
今の私は、逃亡中の令嬢ではない。
一人の職人だ。
「……好きに使え」
ダリウスは、わずかに口元を緩めて頷いた。
◇
そこからの時間は、記憶が曖昧だ。
私は憑かれたように手を動かした。
まずはダリウスの剣だ。
分解し、歪んだ刀身を万力で修正する。
魔石の配置をミリ単位でずらし、重心を手元へ寄せる。
こうすれば、握力が弱くても剣先が走る。
魔力回路は、直列から並列へ組み直す。
爆発力よりも、持続性とレスポンスの良さを重視した「最適化」。
カチャリ。カチャリ。
部品が喜んで収まっていく音がする。
楽しい。
死んでいた鉄塊が、再び命を吹き込まれていく。
「……できた」
最後のネジを締め終え、私は息をついた。
額の汗を袖で拭う。
気づけば、窓の外は夕焼けに染まっていた。
「終わったか」
背後で声がして、ビクリと肩が跳ねた。
ダリウスが、いつの間にか後ろに立っていた。
ずっと見ていたのだろうか。
「これを。……勝手に調整を変えてしまいましたが」
私は生まれ変わった魔導剣を差し出した。
見た目はボロボロのままだが、中身は別物だ。
ダリウスは剣を受け取り、軽く振った。
ヒュンッ!
鋭い風切り音。
剣先が、彼の思考と同時に走る。
琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
「……軽い」
彼は信じられないという顔で、自分の左手と剣を交互に見た。
「俺が左肘を痛めていること、なぜ分かった?」
「剣がそう言っていましたから。貴方の左側を庇おうとして、遠心力で回路が右に偏っていたんです」
私は正直に答えた。
ダリウスは沈黙し、剣を鞘に納めた。
そして、私に向き直った。
その表情は、今まで見たどの顔よりも真剣だった。
「この傷のせいで、俺は剣を置くべきか悩んでいた。だが、これならまだ戦える」
「道具は、使い手に合わせて変われます。諦めないでください」
「……ああ」
彼は一歩、私に近づいた。
大きな手が伸びてくる。
打たれる、と思って身を竦めた私の頭に、その手は優しく乗せられた。
ゴツゴツしているけれど、温かい手。
「君の手は、魔法より温かいな」
ボソリと言われた言葉に、心臓が跳ねた。
魔法より、温かい。
魔力がないことを理由に捨てられた私にとって、それは何よりの救いの言葉だった。
顔が熱い。
耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。
「……条件があります」
私は俯いたまま、蚊の鳴くような声で言った。
もう、逃げるのはやめよう。
この人のために、この道具たちのために、私ができることがあるなら。
「私の顔と名前は出さないでください。あくまで『影の技術顧問』として、裏方で働かせてくれるなら……」
「約束する。君の平穏は、俺が守る」
ダリウスは即答した。
そして、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「だが、呼び名が必要だ。いつまでも『修理屋』や『幽霊』と呼ぶわけにはいかないだろう?」
「……あ」
「教えてくれ。家名はいらない。君自身の名前を」
その問いかけは、私の過去(家柄)を詮索しないという、彼なりの誓いのように聞こえた。
私は小さく息を吸い、答えた。
「……リディア、です。ただの、リディア」
「いい名前だ」
頭に乗った手が、ポンと優しく叩く。
「よろしく頼む、リディア」
「……はい、隊長」
名前を呼ばれて、妙にこそばゆい。
でも、悪い気分じゃなかった。
こうして私は、夜警隊の秘密兵器として、第二の人生を歩み始めることになった。




