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捨てられた令嬢は夜を直す〜機械の声と煤まみれの恋が灯るまで〜  作者: 九葉(くずは)


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3/10

第3話 夜警隊長は、黄金の灯りを知っている

 その夜、大気が震えるような「絶叫」で目が覚めた。


 人の声じゃない。

 金属と魔力が擦れ合い、断末魔を上げている音だ。


 私はガバッと万年床から起き上がった。

 頭の中で、ガンガンと警鐘が鳴り響いている。

 どこだ?

 近い。すごく大きい。


 窓を開けると、下町の中央広場の方角が、不自然なほど暗いことに気づいた。

 あそこには、この地区で一番大きな「中央魔導灯」があるはずだ。

 それが消えている。


「……嘘でしょ」


 あそこが消えたら、下町半分が闇に沈む。

 そうなれば闇を好む影魔シャドウが雪崩れ込んでくる。


 考えるより先に、私は工具ベルトを腰に巻いていた。

 ツナギの上にフード付きのコートを羽織り、安全靴の紐を締める。


 逃げるべきだという理性が警告する。

 でも、あの悲鳴が頭から離れない。

 『助けて、まだやれるのに、回路が焼ける、痛い!』

 巨大な機械が、子供のように泣き叫んでいる。


 私は廃工場を飛び出した。


 ◇


 広場への道は、パニックになった住民たちで溢れかえっていた。

 皆、荷物を抱えて逆方向へ逃げていく。


「おい、そっちは危ねえぞ!」

「死にてえのか、引き返せ!」


 すれ違いざまに男が叫んだが、私は足を止めなかった。

 人波を縫うように逆走する。

 近づくにつれて、空気の温度が下がっていくのが分かった。

 影魔の瘴気だ。


 広場に到着した私は、息を呑んだ。


 そこは地獄だった。

 本来なら広場を照らしているはずの巨大な塔──高さ十メートルはある中央魔導灯が、黒々と沈黙している。

 その足元で、数え切れないほどの影魔が蠢いていた。

 ざっと五十、いや百はいるかもしれない。


「陣形を崩すな! 背中を守れ!」

「くそっ、キリがないぞ!」


 広場の中央で、十数人の夜警隊員が円陣を組んで戦っていた。

 彼らの魔導剣が放つ僅かな光だけが頼りだ。

 だが、圧倒的な数の暴力に押されている。

 影魔の黒い爪が、騎士の盾をガリガリと削り取る音が響く。


 このままじゃ全滅する。

 そしてその後は、逃げ遅れた住民たちが餌食になる。


 私は広場の端にある瓦礫の山に身を隠し、魔導灯の基部を見上げた。

 制御盤の蓋が吹き飛んでいる。

 そこから黒煙が上がっていた。


『熱い、苦しい、誰か……』


 声が弱々しい。

 まだ完全に死んでいない。

 コアは生きている。

 回路が詰まって、ショック状態に陥っているだけだ。


(行ける……!)


 あそこまで辿り着いて、バイパスを繋げば。

 でも、制御盤の周りには影魔が群がっている。

 丸腰の私が飛び込めば、一秒で引き裂かれるだろう。


 その時だった。

 隊列の先頭にいた男が、一際大きな声を張り上げた。


「総員、閃光玉フラッシュ用意! 俺が道を切り開く!」


 長身の男だ。

 彼が剣を振るうと、琥珀色の軌跡が走り、周囲の影魔が三匹同時に両断された。

 強い。

 動きの洗練され方が、他の隊員とは桁違いだ。


 男が懐から何かを取り出し、地面に叩きつけた。

 カッ! と強烈な閃光が炸裂する。

 影魔たちが悲鳴を上げて怯んだ。


「今だ!」


 チャンスは一瞬。

 私は瓦礫の陰から飛び出した。

 フードを目深に被り、地面を這うように疾走する。


「なっ、おい! 誰か飛び出したぞ!」

「一般人か!? 馬鹿野郎、戻れ!」


 隊員たちの怒号が聞こえるが、無視だ。

 私は制御盤の前まで滑り込み、膝をついた。


 煙が目に染みる。

 焦げ臭い。

 内部は見るも無残だった。

 メインケーブルが焼き切れ、溶解した被覆が別の回路に癒着している。

 これは寿命じゃない。

 誰かが無理な出力を強要したか、異物を混入させたような壊れ方だ。


 でも、今は原因を探っている時間はない。


「ごめんね、ちょっと痛いよ」


 私は工具を取り出し、癒着した部分を強引に剥がした。

 バチッ! と紫色の火花が散り、指先を焼く。

 熱い。

 でも手は止めない。


 影魔たちが、閃光の麻痺から回復し始めていた。

 私の背後に気配が迫る。

 殺気。


「グルルァァァッ!」


 すぐ後ろで咆哮が聞こえた。

 振り返れば終わりだ。

 私は歯を食いしばり、最後のジャンパ線をねじ込んだ。


 死ぬなら、直してから死ぬ。

 この子を、暗いまま死なせたくない。


 ガキンッ!


 背後で硬質な音がした。

 衝撃が来ると思ったが、痛みがない。

 恐る恐る横目で見ると、私のすぐ背後で、あの長身の隊長が影魔の爪を剣で受け止めていた。


「作業を続けろ!」


 男が叫んだ。

 私に向かって。


「直せるんだろう? だったらやれ! 背中は俺が守る!」


 その声には、迷いも疑いもなかった。

 なぜか、涙が出そうになった。

 信じてくれるのか。

 こんな、どこの誰とも知れない煤まみれの不審者を。


「……はいッ!」


 私は叫び返し、指を走らせた。

 男の剣が風を切り、私の周りで火花を散らす。

 影魔の血飛沫が飛んでくるが、私は瞬きもしない。


 回路が見える。

 魔力の流れが見える。

 切断された大動脈を、私の作ったバイパス回路が繋いでいく。

 微弱な残留魔力を一点に集中させ、起爆剤にする。


『準備OK? 行くよ!』


 心の中で呼びかける。

 機械が応える。

 『いつでも!』


 私は再起動レバーを両手で掴み、全体重をかけて押し込んだ。


 ドォォォォン……!


 地響きのような音が塔の底から這い上がり、頂点へと駆け抜ける。

 次の瞬間。


 カッ──!


 世界が白に染まった。

 中央魔導灯から放たれた光は、もはや照明の域を超えていた。

 それは巨大な光の奔流となり、広場全体を飲み込んだ。


「ギャァァァァァッ!」


 影魔たちが一斉に絶叫し、蒸発していく。

 光が強すぎて、影すら残らない。

 圧倒的な浄化の光。

 それは広場を超え、路地裏の隅々まで行き渡り、夜の闇を完全に駆逐した。


 私はその光の中で、力が抜けていくのを感じた。

 指先の感覚がない。

 緊張の糸が切れ、視界がぐらりと揺れる。


 地面に倒れ込む──寸前。

 誰かの太い腕が、私の体を支えた。


 革の匂いと、微かな鉄の匂い。

 そして、温かい体温。


「……見つけたぞ」


 耳元で、低い声がした。

 私は薄く目を開けた。

 目の前に、琥珀色の瞳があった。

 厳しい顔つきだが、その瞳には驚くほど穏やかな色が宿っている。


 夜警隊長だ。

 近くで見ると、随分と若い。

 そして、怖い顔をしているのに、私を抱える手は壊れ物を扱うように優しい。


「君か。今まで街灯を直していたのは」


 問いかけではなく、確信に満ちた言葉だった。

 私は逃げなきゃいけないのに、指一本動かせない。

 喉がカラカラで、声が出ない。


 彼は私の汚れた手を見た。

 火傷と切り傷だらけの、職人の手。

 そして、私の顔を真っ直ぐに見つめた。

 煤で汚れた、みっともない顔を。


「部下が助かった。……俺も、助けられた」


 彼は短く息を吐き、静かに言った。


「君が直した灯りのおかげだ。ありがとう」


 時が止まった気がした。

 ありがとう。

 その五文字が、冷え切っていた私の胸に染み込んでいく。


 父からは「役立たず」と言われた。

 婚約者からは「地味でつまらない」と言われた。

 誰からも必要とされず、捨てられた私。


 なのに、この人は。

 私の手を、私の仕事を、見てくれた。


「あ……」


 何か言おうとしたけれど、言葉にならなかった。

 代わりに、目から熱いものが溢れ出した。

 恥ずかしい。

 こんな、煤と涙でぐちゃぐちゃな顔を見られるなんて。


 私は彼の胸に顔を埋めるようにして、意識を手放した。

 最後に見えたのは、頭上で輝く黄金色の光と、私を守るように囲む隊員たちの、敬意に満ちた眼差しだった。


 ◇


 翌日、目が覚めると、私は知らない天井の下にいた。

 清潔なシーツの感触。

 サイドテーブルには、湯気を立てるスープと、丁寧に磨かれた私の工具が置かれている。


 そして、椅子の背もたれには、あの夜警隊長の黒いコートが掛けられていた。


(捕まった……のよね?)


 状況を整理しようとして、私は自分の手が丁寧に包帯で巻かれていることに気づく。

 罪人への扱いじゃない。

 これはまるで、大切な客人を迎えるような──。


 ガチャリ。

 ドアが開く音がして、私は身を固くした。


「……気がついたか」


 入ってきたのは、私服姿のダリウスだった。

 彼はトレーに新しい水差しを乗せて、少し気まずそうに目を逸らした。


「腹は減っているか? ……あー、なんだ。昨夜の礼がしたい」


 その不器用な態度に、私はなぜか、逃げることよりも話を聞いてみたいと思ってしまったのだ。


 これが、私と彼の奇妙な協力関係の始まりだった。

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