第3話 夜警隊長は、黄金の灯りを知っている
その夜、大気が震えるような「絶叫」で目が覚めた。
人の声じゃない。
金属と魔力が擦れ合い、断末魔を上げている音だ。
私はガバッと万年床から起き上がった。
頭の中で、ガンガンと警鐘が鳴り響いている。
どこだ?
近い。すごく大きい。
窓を開けると、下町の中央広場の方角が、不自然なほど暗いことに気づいた。
あそこには、この地区で一番大きな「中央魔導灯」があるはずだ。
それが消えている。
「……嘘でしょ」
あそこが消えたら、下町半分が闇に沈む。
そうなれば闇を好む影魔が雪崩れ込んでくる。
考えるより先に、私は工具ベルトを腰に巻いていた。
ツナギの上にフード付きのコートを羽織り、安全靴の紐を締める。
逃げるべきだという理性が警告する。
でも、あの悲鳴が頭から離れない。
『助けて、まだやれるのに、回路が焼ける、痛い!』
巨大な機械が、子供のように泣き叫んでいる。
私は廃工場を飛び出した。
◇
広場への道は、パニックになった住民たちで溢れかえっていた。
皆、荷物を抱えて逆方向へ逃げていく。
「おい、そっちは危ねえぞ!」
「死にてえのか、引き返せ!」
すれ違いざまに男が叫んだが、私は足を止めなかった。
人波を縫うように逆走する。
近づくにつれて、空気の温度が下がっていくのが分かった。
影魔の瘴気だ。
広場に到着した私は、息を呑んだ。
そこは地獄だった。
本来なら広場を照らしているはずの巨大な塔──高さ十メートルはある中央魔導灯が、黒々と沈黙している。
その足元で、数え切れないほどの影魔が蠢いていた。
ざっと五十、いや百はいるかもしれない。
「陣形を崩すな! 背中を守れ!」
「くそっ、キリがないぞ!」
広場の中央で、十数人の夜警隊員が円陣を組んで戦っていた。
彼らの魔導剣が放つ僅かな光だけが頼りだ。
だが、圧倒的な数の暴力に押されている。
影魔の黒い爪が、騎士の盾をガリガリと削り取る音が響く。
このままじゃ全滅する。
そしてその後は、逃げ遅れた住民たちが餌食になる。
私は広場の端にある瓦礫の山に身を隠し、魔導灯の基部を見上げた。
制御盤の蓋が吹き飛んでいる。
そこから黒煙が上がっていた。
『熱い、苦しい、誰か……』
声が弱々しい。
まだ完全に死んでいない。
コアは生きている。
回路が詰まって、ショック状態に陥っているだけだ。
(行ける……!)
あそこまで辿り着いて、バイパスを繋げば。
でも、制御盤の周りには影魔が群がっている。
丸腰の私が飛び込めば、一秒で引き裂かれるだろう。
その時だった。
隊列の先頭にいた男が、一際大きな声を張り上げた。
「総員、閃光玉用意! 俺が道を切り開く!」
長身の男だ。
彼が剣を振るうと、琥珀色の軌跡が走り、周囲の影魔が三匹同時に両断された。
強い。
動きの洗練され方が、他の隊員とは桁違いだ。
男が懐から何かを取り出し、地面に叩きつけた。
カッ! と強烈な閃光が炸裂する。
影魔たちが悲鳴を上げて怯んだ。
「今だ!」
チャンスは一瞬。
私は瓦礫の陰から飛び出した。
フードを目深に被り、地面を這うように疾走する。
「なっ、おい! 誰か飛び出したぞ!」
「一般人か!? 馬鹿野郎、戻れ!」
隊員たちの怒号が聞こえるが、無視だ。
私は制御盤の前まで滑り込み、膝をついた。
煙が目に染みる。
焦げ臭い。
内部は見るも無残だった。
メインケーブルが焼き切れ、溶解した被覆が別の回路に癒着している。
これは寿命じゃない。
誰かが無理な出力を強要したか、異物を混入させたような壊れ方だ。
でも、今は原因を探っている時間はない。
「ごめんね、ちょっと痛いよ」
私は工具を取り出し、癒着した部分を強引に剥がした。
バチッ! と紫色の火花が散り、指先を焼く。
熱い。
でも手は止めない。
影魔たちが、閃光の麻痺から回復し始めていた。
私の背後に気配が迫る。
殺気。
「グルルァァァッ!」
すぐ後ろで咆哮が聞こえた。
振り返れば終わりだ。
私は歯を食いしばり、最後のジャンパ線をねじ込んだ。
死ぬなら、直してから死ぬ。
この子を、暗いまま死なせたくない。
ガキンッ!
背後で硬質な音がした。
衝撃が来ると思ったが、痛みがない。
恐る恐る横目で見ると、私のすぐ背後で、あの長身の隊長が影魔の爪を剣で受け止めていた。
「作業を続けろ!」
男が叫んだ。
私に向かって。
「直せるんだろう? だったらやれ! 背中は俺が守る!」
その声には、迷いも疑いもなかった。
なぜか、涙が出そうになった。
信じてくれるのか。
こんな、どこの誰とも知れない煤まみれの不審者を。
「……はいッ!」
私は叫び返し、指を走らせた。
男の剣が風を切り、私の周りで火花を散らす。
影魔の血飛沫が飛んでくるが、私は瞬きもしない。
回路が見える。
魔力の流れが見える。
切断された大動脈を、私の作ったバイパス回路が繋いでいく。
微弱な残留魔力を一点に集中させ、起爆剤にする。
『準備OK? 行くよ!』
心の中で呼びかける。
機械が応える。
『いつでも!』
私は再起動レバーを両手で掴み、全体重をかけて押し込んだ。
ドォォォォン……!
地響きのような音が塔の底から這い上がり、頂点へと駆け抜ける。
次の瞬間。
カッ──!
世界が白に染まった。
中央魔導灯から放たれた光は、もはや照明の域を超えていた。
それは巨大な光の奔流となり、広場全体を飲み込んだ。
「ギャァァァァァッ!」
影魔たちが一斉に絶叫し、蒸発していく。
光が強すぎて、影すら残らない。
圧倒的な浄化の光。
それは広場を超え、路地裏の隅々まで行き渡り、夜の闇を完全に駆逐した。
私はその光の中で、力が抜けていくのを感じた。
指先の感覚がない。
緊張の糸が切れ、視界がぐらりと揺れる。
地面に倒れ込む──寸前。
誰かの太い腕が、私の体を支えた。
革の匂いと、微かな鉄の匂い。
そして、温かい体温。
「……見つけたぞ」
耳元で、低い声がした。
私は薄く目を開けた。
目の前に、琥珀色の瞳があった。
厳しい顔つきだが、その瞳には驚くほど穏やかな色が宿っている。
夜警隊長だ。
近くで見ると、随分と若い。
そして、怖い顔をしているのに、私を抱える手は壊れ物を扱うように優しい。
「君か。今まで街灯を直していたのは」
問いかけではなく、確信に満ちた言葉だった。
私は逃げなきゃいけないのに、指一本動かせない。
喉がカラカラで、声が出ない。
彼は私の汚れた手を見た。
火傷と切り傷だらけの、職人の手。
そして、私の顔を真っ直ぐに見つめた。
煤で汚れた、みっともない顔を。
「部下が助かった。……俺も、助けられた」
彼は短く息を吐き、静かに言った。
「君が直した灯りのおかげだ。ありがとう」
時が止まった気がした。
ありがとう。
その五文字が、冷え切っていた私の胸に染み込んでいく。
父からは「役立たず」と言われた。
婚約者からは「地味でつまらない」と言われた。
誰からも必要とされず、捨てられた私。
なのに、この人は。
私の手を、私の仕事を、見てくれた。
「あ……」
何か言おうとしたけれど、言葉にならなかった。
代わりに、目から熱いものが溢れ出した。
恥ずかしい。
こんな、煤と涙でぐちゃぐちゃな顔を見られるなんて。
私は彼の胸に顔を埋めるようにして、意識を手放した。
最後に見えたのは、頭上で輝く黄金色の光と、私を守るように囲む隊員たちの、敬意に満ちた眼差しだった。
◇
翌日、目が覚めると、私は知らない天井の下にいた。
清潔なシーツの感触。
サイドテーブルには、湯気を立てるスープと、丁寧に磨かれた私の工具が置かれている。
そして、椅子の背もたれには、あの夜警隊長の黒いコートが掛けられていた。
(捕まった……のよね?)
状況を整理しようとして、私は自分の手が丁寧に包帯で巻かれていることに気づく。
罪人への扱いじゃない。
これはまるで、大切な客人を迎えるような──。
ガチャリ。
ドアが開く音がして、私は身を固くした。
「……気がついたか」
入ってきたのは、私服姿のダリウスだった。
彼はトレーに新しい水差しを乗せて、少し気まずそうに目を逸らした。
「腹は減っているか? ……あー、なんだ。昨夜の礼がしたい」
その不器用な態度に、私はなぜか、逃げることよりも話を聞いてみたいと思ってしまったのだ。
これが、私と彼の奇妙な協力関係の始まりだった。




