第10話 君がいない夜は困る
下町に、穏やかな朝が戻ってきていた。
夜警隊の詰め所は、ここ数日お祭り騒ぎだ。
設備局長の逮捕。
長年隠されていた巨額横領の摘発。
そして何より、あの「黄金の夜明け」以来、影魔の発生件数が激減したこと。
私の工房──襲撃で壊された倉庫は、隊員たちの手によって以前より立派に修復されていた。
新しい作業台に、ピカピカの収納棚。
そして、私の手元にはダリウスがくれたミスリル製の工具セットがある。
「リディアさん! 郵便ですよ!」
若い隊員が、元気よく封筒を持ってきてくれた。
受け取った瞬間、私の指先が強張った。
封筒には、見覚えのある紋章が押されていた。
歯車と薔薇。
クロックフォード公爵家──私の実家だ。
「……ありがとう。置いておいて」
隊員が出ていくのを待って、私はペーパーナイフで封を切った。
中から出てきたのは、父の筆跡による手紙だった。
『リディアへ。
お前が下町で妙な技術を使い、評判になっていると聞いた。
どうやら、お前のその異能にも多少の使い道があったようだな。
今なら特別に許してやる。直ちに屋敷へ戻り、妹とジェラルド殿下のために尽くせ。
公爵家の娘として、家益になるなら置いてやってもいい』
最後まで読んで、私は深く息を吐いた。
怒りは湧かなかった。
ただ、呆れるほどに「変わらないな」と思っただけだ。
彼らは何も分かっていない。
私が何をして、何を感じてきたか。
機械たちの声を無視し、体面と利益しか見ない彼らに、私の言葉は届かない。
以前の私なら、この手紙に怯えていただろう。
「戻れる場所があるなら」と、縋ってしまったかもしれない。
でも、今の私は違う。
「……燃料にもならないわね」
私は立ち上がり、部屋の隅にある暖房用の魔導炉へ向かった。
蓋を開け、手紙を放り込む。
一瞬で炎が紙を舐め、紋章ごと灰にした。
未練も、恐怖も、一緒に燃えて消えた。
とても清々しい気分だった。
「リディア、いるか」
タイミングよく、ノックの音がした。
ダリウスだ。
入ってきた彼は、私の顔を見て、それからまだ微かに煙を上げている魔導炉に目をやった。
「……実家からか?」
「ええ。ゴミが届いたので、処理しました」
私が淡々と答えると、彼は目を丸くし、それから吹き出した。
「ははっ! ゴミか。……強くなったな、お前は」
「隊長のおかげです。私には、もっと大切な居場所ができましたから」
そう言うと、ダリウスは急に真面目な顔になり、咳払いをした。
「そのことなんだが。……王宮から、例の『謎の技術者』に対する問い合わせが来ている」
「えっ」
心臓が跳ねる。
王宮に見つかれば、今度こそ自由はなくなる。
「安心しろ。全部追い返した」
ダリウスは悪戯っぽくニヤリと笑った。
「『あれは古代の魔導遺産が偶然誤作動しただけで、特定個人の仕業ではない』と報告しておいた。現場の最高責任者である俺が言うんだ、誰も疑わん」
「そ、そんな嘘が通じるんですか?」
「通すんだよ。……お前を、あんな窮屈な鳥籠に戻したくないからな」
彼の声が優しくなる。
琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。
「それとも、お前は王宮付きの技師になりたいか? 名誉も金も手に入るぞ」
「いりません」
私は即答した。
「私は、ここの街灯を直していたいです。夜警隊の皆さんの剣を研いで、美味しいスープを飲んで……そういう毎日の方が、ずっと幸せです」
「そうか」
ダリウスは満足げに頷き、私の手を取った。
「なら、仕事の時間だ。……ついて来てくれ」
◇
連れ出されたのは、下町を見下ろす高台だった。
夕暮れ時。
空が茜色から群青色へと変わっていく、一番美しい時間帯。
眼下には、私が一軒ずつ直して回った街灯たちが、ポツポツと灯り始めていた。
以前のような、頼りない点滅じゃない。
どれもが力強く、温かい光を放っている。
「きれい……」
自分の仕事の結果をこうして眺めるのは、初めてかもしれない。
闇に怯えていた街が、今は光に守られて安らかに息をしている。
「リディア」
隣に立つダリウスが、静かに口を開いた。
「俺は、不器用な男だ。気の利いた言葉も言えんし、仕事ばかりで甲斐性もない」
「知っています」
「……即答するな」
彼は苦笑いして、少しだけ視線を逸らした。
その耳が赤くなっていることに、私は気づいてしまった。
「だが、お前を守ることだけは誰にも負けん。……これからも、俺のそばにいてくれないか」
それは、雇用契約の話だろうか。
それとも。
「夜警隊の専属技師として、ですか?」
わざと聞いてみる。
ダリウスはこちらに向き直り、私の両肩を掴んだ。
「違う。……いや、それもあるが」
彼は深く息を吸い込み、意を決したように言った。
「俺個人としてだ。……リディア、君がいない夜は困る」
ドキン、と胸が高鳴った。
「君がいないと、コーヒーが不味い。剣の手入れも決まらない。何より……隣に君がいないと、どんなに街が明るくても、俺の世界は暗いままだ」
なんて、ずるい言い方だろう。
そんなことを言われて、断れるわけがない。
ううん、断る気なんて最初からなかった。
私は微笑んで、彼の手の上に自分の手を重ねた。
油と煤で汚れた手。
傷だらけの剣士の手。
二つの手が重なると、不思議なほどしっくりときた。
「私もです、ダリウス様」
初めて、役職なしで名前を呼んだ。
「貴方がいないと、私の世界も寂しすぎます。……これからも、ずっとお世話係をさせてください」
「お世話係か。……まあいい、一生雇ってやる」
ダリウスが、私を引き寄せる。
彼の胸に顔を埋めると、心臓の音が早く打っているのが聞こえた。
私と同じリズムだ。
街の方から、鐘の音が聞こえてくる。
夜の始まりを告げる鐘。
でも、もう夜は怖くない。
私たちが灯した光が、街を、そして私たち自身の未来を照らしているのだから。
「帰ろう、リディア。みんなが待っている」
「はい、ダリウス」
私たちは手を繋ぎ、坂道を下り始めた。
その背中を、修理された街灯の光が、祝福するように黄金色に染め上げていた。
放置された悪役令嬢の物語は、ここで終わる。
けれど、下町の「女神の整備士」と、彼女を溺愛する不器用な隊長の物語は、まだ始まったばかりだ。
壊れた街灯だけ直して生きていくはずだった私は、いつの間にか、自分自身の幸せも直してしまっていたらしい。
──街灯、点灯よし。
──明日の天気、晴れ予報。
──私の幸せ、異常なし。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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