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捨てられた令嬢は夜を直す〜機械の声と煤まみれの恋が灯るまで〜  作者: 九葉(くずは)


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第1話 廃棄された令嬢と、廃棄された街

 重厚なオーク材の扉が、背後で音を立てて閉ざされた。

 カチャン、と鍵が掛かる乾いた音が、広い廊下に響く。

 それが、私の十八年間の貴族生活が終わった合図だった。


 手元には、小さな革鞄が一つ。

 中身は着替えが二着と、当座の生活費が入った封筒。

 そして、右手には何よりも重い、鉄製の工具箱。


「……これでいい」


 私は小さく呟き、工具箱の取っ手を握り直した。

 指先に食い込む重みが、心地よい現実感をくれる。


 先ほどの父の言葉が、まだ耳の奥で冷たく反響していた。


『リディア。お前のような魔力なしを置いておく余裕は、我が家にはない』

『セシリアがジェラルド殿下と婚約することになった。姉のお前がいると外聞が悪い』

『病気療養という名目で地方へ送る。……ある程度の金はやる。二度と戻ってくるな』


 罵倒されるかと思ったけれど、父の声は事務的だった。

 まるで、壊れて動かなくなった時計をゴミ箱へ放り込む時のような、無関心な響き。

 隣で妹のセシリアが、扇子で口元を隠しながら勝ち誇った目をしていたのを覚えている。


 悲しくはない。

 不思議なほど、心は凪いでいた。

 むしろ、肩の荷が下りたような気さえする。


 私は公爵邸の玄関ホールを背にし、待機していた馬車へと歩き出した。

 紋章のない、古びた辻馬車だ。

 お金も載せてある。

 父の手回しだろう。屋敷の馬車を使えば、誰に見られるか分からないから。


「どちらへ?」


 御者が気怠げに聞いてくる。

 私は迷わず答えた。


下町ロウ・タウンの、西地区へ」


 御者の目が丸くなるのが見えた。

 当然だ。

 絹のドレスを着た令嬢が、スラム同然の場所へ行けと言うのだから。


「お嬢さん、正気かい? あそこは魔導灯もロクに点かない場所だぜ」

「構いません。急いで」


 私は工具箱を足元に置き、硬い座席に身を沈めた。

 窓の外を流れる貴族街の景色。

 白亜の壁、整備された街路樹、そして昼間でも淡く輝くクリスタルガラスの魔導灯。

 眩しい世界。

 けれど、私には息苦しいだけの場所。


 魔力を持たない私がここにいるだけで、空気は澱んだ。

 使用人たちは陰口を叩き、両親は私を「いないもの」として扱った。

 地下室で壊れたガラクタを直している時だけが、私が私でいられる時間だった。


(機械はいい。嘘をつかないから)


 油の匂いと、歯車の噛み合う音。

 手をかければかけた分だけ、正直に応えてくれる。

 人間のように、裏切ったり、嘲笑ったりしない。


 馬車が大きな坂を下り始めた。

 王都を二分する境界線だ。

 車輪が石畳を叩く音が、軽快なリズムから、ガタガタという不快な振動へと変わる。


 空の色が変わった気がした。

 澄んだ青空が、薄汚れた灰色の霞に覆われていく。

 鼻を突くのは、香水の香りではなく、石炭の燃える匂いと、下水のような湿気。


「着いたぜ。これ以上奥へは行けねえ」


 馬車が止まったのは、下町の入り口付近にある広場だった。

 私は代金を支払い、重い荷物を持って降りた。

 地面は泥でぬかるんでいる。

 ドレスの裾がすぐに汚れたが、気にならなかった。どうせもう、この服を着る機会はない。


 御者は逃げるように馬車を走らせていった。

 取り残された私は、地図を広げた。

 下町西地区、七番通り。

 以前、屋敷に出入りしていた商人がこっそり教えてくれた「訳あり物件」の場所だ。

 元は小さな工場だったらしいが、持ち主が夜逃げして廃墟になっているという。


「……ここからなら、歩いて二十分くらいか」


 私は歩き出した。

 すれ違う人々は、皆一様に疲れた顔をして、灰色の服を着ている。

 彼らは私のドレスを見て、異物を見るような目で距離を取った。

 敵意というよりは、関わりたくないという警戒心だ。


 道端にはゴミが散乱し、建物の壁は煤で黒ずんでいる。

 けれど、私は妙な安堵感を覚えていた。

 この煤汚れも、油の匂いも、私にとっては「生活」の証だ。

 綺麗すぎて何もない貴族街より、ずっと生きている感じがする。


 目的の建物が見えてきた。

 煉瓦造りの二階建て。

 屋根の一部が剥がれ、窓ガラスは割れている。

 入り口の鉄扉は錆びつき、赤茶色の涙を流しているようだ。


「……ひどい有様」


 口ではそう言いながら、私は胸が高鳴るのを抑えられなかった。

 ここが、私の城になる。

 誰にも邪魔されず、好きなだけ機械をいじれる場所。


 錆びた鍵穴に、持参した万能工具を差し込む。

 カチリ、と小さな手応えがあった。

 私の指先には分かる。シリンダーの中のバネが一本、少し歪んでいる。

 微妙に角度を変えて、優しく押し込む。


 ギィィ……と悲鳴のような音を立てて、扉が開いた。


 中は薄暗く、埃っぽい空気が充満していた。

 床には得体の知れない金属片や、割れた木箱が散らばっている。

 けれど、奥の方には作業台らしきものが見えた。

 壁には工具を掛けるためのフックも残っている。


「上等じゃない」


 私は工具箱を作業台の上に置いた。

 ドン、と鈍い音が響く。

 それが、私の新生活の開始を告げる鐘の音だった。


 まずは掃除だ。

 私はドレスの袖をまくり上げ、スカートの裾を縛った。

 箒代わりの木の枝を見つけ、床のゴミを掃き出す。

 割れた窓には、落ちていた木の板を打ち付けて風を防ぐ。


 夢中で体を動かしているうちに、いつの間にか日が暮れていた。

 部屋の中が急速に闇に沈んでいく。

 窓の隙間から見える空は、不気味な紫色に染まっていた。


「……暗い」


 貴族街とは違う。

 あそこには夜なんてなかった。

 至る所に魔導灯があり、夜中でも昼間のように明るかったから。


 でも、ここは違う。

 本当の闇が、すぐそこまで迫っている。


 ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。

 寒気ではない。もっと粘り気のある、嫌な感覚。


影魔シャドウ……?」


 下町には、夜な夜な影の化け物が出るという噂を聞いたことがある。

 光を嫌い、闇に潜んで人の生気を啜る魔物。

 だから街灯が必要なのだ。

 光はただの照明ではなく、結界そのものだから。


 私は慌てて外へ出た。

 工場の目の前に、一本の街灯が立っている。

 古ぼけた鉄の柱。

 頂部のガラスケースの中には、魔石を組み込んだ発光ユニットがあるはずだ。


 けれど、それは沈黙していた。

 光っていない。


 周囲の家々は、窓を固く閉ざし、雨戸を下ろしている。

 通りの向こう、闇の奥から、カサカサという乾いた音が聞こえた気がした。

 何かが、こちらを見ている。

 視線の圧力を肌で感じる。


(まずい……)


 このままでは、私の「城」が襲われる。

 まだ住み始めたばかりなのに、初日で終わりなんて笑えない。


 私は街灯の柱に駆け寄った。

 点検用のハッチは錆びついて開かない。

 構うものか。

 私は工具箱から小型のバールを取り出し、隙間にねじ込んで強引にこじ開けた。


 バキンッ、と蝶番が弾け飛ぶ。

 中には、複雑に絡み合った配線と、魔導回路の基板が露わになった。


 私は震える手を伸ばし、その回路に触れた。


 ──瞬間。

 頭の中に、ノイズが走った。


『痛い、痛い、詰まってる』

『流れない、寒い、暗いのは嫌だ』

『あいつが来た、また石を投げられた、ガラスが痛い』


 声ではない。

 感情と感覚の塊が、指先を通して直接脳に流れ込んでくる。

 これが、私の才能。

 他人が聞けば狂っていると言われる、「機構共感」。


「分かった、分かったから。今楽にしてあげる」


 私は無意識に呟きながら、工具を取り出していた。

 目で見る必要はない。

 指先が、どこをどうすればいいか知っている。


 魔導回路の三番目のラインが焼き切れている。

 バイパス管が煤で詰まっている。

 魔石の固定具が緩んで、接触不良を起こしている。


 魔力がない私には、魔法で直すことはできない。

 けれど、物理的に繋ぐことはできる。

 詰まりを取り除き、流れを整えることはできる。


 私はニッパーで焼き切れた銅線を切断し、予備のワイヤーでバイパスを作った。

 小さなドライバーで調整ネジを回し、魔石の位置をミクロン単位で修正する。

 錆びた接点をヤスリで磨き、通りを良くする。


『……あ、流れる』

『あったかい、くすぐったい』


 回路からの「痛み」が消え、心地よい振動へと変わっていく。

 まるで、止まっていた心臓が再び脈打ち始めたような感覚。


 私は最後に、基板のメインスイッチを押し込んだ。


 ブォン……!


 低い起動音と共に、頭上のガラスケースの中で火花が散った。

 次の瞬間。

 カッ、と黄金色の光が溢れ出した。


「っ……!」


 私は思わず腕で顔を覆った。

 眩しい。

 温かい。


 街灯が灯った。

 オレンジがかった金色の光が、工場の前を円形に照らし出す。

 その光の輪の中にいるだけで、先ほどまでの冷たい恐怖が嘘のように消え去った。


 闇の奥から聞こえていたカサカサという音も、急いで遠ざかっていく。

 影魔は光を嫌う。

 この光がある限り、あいつらは近づけない。


「……直った」


 私は街灯の柱にもたれかかり、ズルズルと座り込んだ。

 全身から力が抜けていく。

 手は油と煤で真っ黒だ。

 顔にも煤が付いているかもしれない。


 見上げると、街灯の光が優しく私を見下ろしていた。

 まるで「ありがとう」と言っているかのように、明滅を繰り返して安定する。


「どういたしまして」


 私は小さく笑った。

 こんなに達成感を感じたのは、いつぶりだろう。

 屋敷では、何を直しても怒られた。

 余計なことをするなと罵られた。


 でも今は違う。

 この光は、私が灯したのだ。

 私の技術が、私自身を守ったのだ。


 お腹がグゥと鳴った。

 緊張が解けて、空腹を思い出したらしい。

 鞄の中に、硬くなったパンが入っていたはずだ。


 私は立ち上がり、光に守られた工場の扉を開けた。

 中はまだ暗いけれど、入り口から差し込む街灯の明かりが、足元を照らしてくれている。


「……これなら、今日はぐっすり眠れそう」


 私は扉を閉め、内側から鍵をかけた。

 明日からは仕事を探さないといけない。

 やるべきことは山積みだ。

 でも、不思議と不安はなかった。


 少なくとも今夜は、この街で一番優しい光が、私の家の前に灯っているのだから。


 ◇


 翌朝。

 私が直した街灯の下で、黒いコートを着た数人の男たちが地面を調べていることになど、ぐっすりと眠りこけている私は気づく由もなかった。


「隊長、これを見てください。影魔の足跡がここで途切れてます」

「……ああ。結界が機能した証拠だ。だが妙だな」


 低い声の男が、街灯を見上げる。


「ここの灯りは、先週から壊れていたはずだが……?」

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