51 襟から忍び込む虫
「わたくしが一番許せないのは、あなたです、シグモント様」
明らかに王妃は俺を責めている。
なぜ? どうして俺は、王妃の怒りを買った?
ラブレターがあまりにエロかったから? やっぱり深夜に文章を書いたらいけなかったんだ。妄想が先走っちゃうからな。
でも、お陰で妊娠できたって、王妃様、さっきは喜んでたじゃないか……。
「あなたさえ、カルダンヌ公をしっかりと捕まえていてくれたら、わたくしがここまで苦しむことはなかったはず」
あ、そゆこと。
てか、どうみても冤罪だろ、それは。
この件に俺は、全く無関係だ。
でも、言い返すことはできなかった。相手が王妃だからというのももちろんあるけど、それ以上に、なんていうか、彼女の感情がモロに伝わってきて。
それは、諦め切った疲労だった。
霊視するまでもない。彼女自身の悲しみだ。
「王女は、自分では嫁ぎ先を選べない。少しでもマシな相手であることを祈るだけ。そりゃ、栗を焼いてるだけとか、錠前作りばかりしているとかいうのよりはなんぼかマシだけど、それでも、……」
王妃は唇を噛み締めた。
やおらくるりと後ろを振り返り、立ち去っていく。
「来い」
ヴァーツァが俺の手を掴んだ。
「痛い!」
思わず叫ぶと、手首をつかむ力がわずかに緩んだ。けれど、決して放そうとしない。
屋上の庭園には、来客は残っていなかった。使用人たちは遠巻きに見ているだけだ。
俺はヴァーツァに手を引かれ、階段を下りた。
連れて来られたのは、同じ城にあるアパルトマン風の一室だった。重厚なデスクや戸棚、ベッドまで完備されている。
「俺の執務室だ」
言葉少なにヴァーツァが言う。彼は俺を、ソファーに座らせた。自分は立ったままだ。
「見せてみろ」
「え?」
「手首。痛いって言った」
返事をする間もなく、彼は俺の手を取った。袖をめくりあげる。現れた手首の赤い痕に、顔を歪めた。
「すまなかった」
素直な謝罪に、戸惑うばかりだ。
「君は……君は、誰からも好かれていて。トラドや、俺のことを嫌っていた使用人たちからも。身の回りの人はみな、君を愛するようになる」
ぼそぼそと言葉が落ちてきた。思わず俺は目を見開いた。
「使用人の皆さんは、貴方が嫌いなんかじゃない。怖がっていただけだ。でも貴方は心を入れ替えたから、今では喜んで奉仕しています」
「それは、シグ、君のお陰だ」
「俺のお陰なんかじゃないです。俺は、取るに足らない、つまらない人間です。貴方は、僕が身の回りの人から愛されるとか言ったけど、僕を好きな人なんか、いるわけがないじゃないですか」
「嘘だ!」
一瞬でヴァーツァがヒートアップしたのが感じられた。
「大家の孫は君に言い寄ろうとするし、王都警備隊の男は、厚かましくも君の寝顔を覗き込んだ!」
それ、シュテファンとジョアンのこと?
「誤解です。シュテファンは僕に言い寄ってなんかいないし、寝顔を見られるくらいなんだっていうんです? ジョアンは僕の親友だ」
ヴァーツァがぎろりと睨む。
「向こうはそうは思っていない。どちらもだ」
「だって、先に僕を捨てたのは貴方じゃないですか!」
あまりの理不尽に思わず口走っていた。
「即刻立ち去れって言った! ひどい。あんまりだ」
あの時彼から発せられた鋭い殺意を思い出し、目が潤んできた。ヴァーツァは俺が、アンリ陛下との友情を引き裂こうとしたと思い込み、怒りを募らせていた。
俺の言うことなど、これっぽっちも聞こうともせず。
泣くもんか。悪いのはヴァーツァだ。一滴だって涙をこぼすまい。
必死で目を大きく見張る。
「何を言うか、それは誤解だ。君こそ、さっさと島を出て行ってしまったじゃないか」
負けじとヴァーツァが言い返す。俺の怒りが爆発した。
「ちゃんと島を出ていくように、トラドさんに見張りまで命じた!」
「だって、一人で帰すわけにはいかないだろう? 途中、盗賊に襲われでもしたら、」
「きれいごとを言わないで! いっ、今まで、今まで一度だって僕の家へ来てくれなかったくせに! 貴方は住所だって知っていたはずだ」
だって家賃を肩代わりしてくれたのだから。
「貴方は僕の家を知っていた。それなのに一度だって様子を見に来なかったんだ!」
「行ったぞ」
鋭い声が遮った。
「それなのに君は、俺を成敗しようとしたじゃないか」
「嘘言わないで!」
なんて男だ。言い訳に事欠いて、嘘をつくなんて。
「嘘じゃない。俺は君の家に行った。それなのに、君は俺を踏みつぶした。ほら、あの嫌な呪文……ナントカ清浄、きゅうきゅう……」
言われて脳裏に蘇った。ジョアンとシュテファンに取り付いた、うじゃうじゃした影。二人を食欲不振に陥れ、夜な夜な悪夢をみせていた生霊。呪文を唱えると、四方に散っていった……。
「……もしかして、虫?」
「は?」
「襟から服の中に潜り込もうとした……」
あれは、ヴァーツァだったのだろうか。あの虫が?
「下等霊の仕業だな。俺が使役した」
けろりとしてヴァーツァは答えた。




