14 お姫様の、キス
アンデッド。
死なない体。生ける屍。
ヴァーツァの弟は不死の魔物なのか?
「違うよ。僕は魔物なんかじゃない。単に死なないだけだ」
生意気そうな顔に笑みを浮かべて、バタイユが言う。まるで心の中を読まれたようだ。
やっぱりこいつはま、
「違うって」
「ところで、今は、何日だ?」
改めてヴァーツァが問う。
「8日です」
バタイユがそっぽを向いているので、俺が答えた。
「何月の?」
「霜下りる月の」
「なんだって! 今年はいったい何年だ?」
「アンリ歴元年です」
「アンリ歴?」
「アルトワール歴でいうと、23年です」
アルトワ―ルというのは、先王の名だ。
今まで落ち着き払っていたヴァーツァの顔に、初めて焦りが浮かんだ。
「なんてこった。俺は一年間も療養箱の中にいたのか? あの箱の中で眠って……ちょっと待て。アンリ歴って、アンリ殿下が即位されたのか?」
「ええ」
この一年の出来事を、俺はざっと話して聞かせた。
他ならぬヴァーツァの活躍で、アンリ殿下の命が救われたこと。ペシスゥス国は蛮族に勝利し、国に再び平和が訪れたこと。しかし気象異常が続き、また、国王陛下や政府要人に不審死が横行したこと。
「それら不吉な出来事は全て、戦死したカルダンヌ公、つまり貴方の霊障だと、王宮付きの祈祷師が喝破したんです」
有能な祈祷師だ。彼の見通しに間違いはなかった。今までは。
ヴァーツァが苛立ちの表情を浮かべた。
「だから、俺は死んでなんかいない」
「でも、世間的にはそういうことになっています」
健康そうなヴァーツァは、朝日を浴びて輝いて見える。確かに、死霊なら、太陽の光を忌避するはずだ。
「アンリ殿下……今では陛下だけど……の広報には、ヴァーツァ・カルダンヌ公は戦死したと書かれていました。みんなそれを信じています。疑う理由なんてないし。今現在、霊峰ベルナ山の頂上に、貴方の霊廟が建設中です」
肝心の遺体は行方不明になっていたけど、と口の中でつぶやいた。
まあ、彼は生きていたわけだし。
「なんてこった。アンリの奴、また、税金の無駄遣いをして。俺の墓なんて、棒きれ1本立てておけば充分だと、あれほど言っておいたのに」
ヴァーツァが変なところで憤っている。
「そこ?」
「うん。浪費は一国の王にふさわしくないからね。それはそうと、バタイユ。俺は死んでない、療養中だって、アンリに伝えなかったのか?」
「だって聞かれなかったもん」
すましてバタイユが答える。ヴァーツァは頭を抱えた。
「すぐに王都へ行って、生存報告をしなくちゃ。シグ、支度をしろ。王都の館へ向かうぞ」
「え、僕?」
なんで俺まで?
「ここでじっくり君を可愛がってやるつもりだったんだが、仕方がない、王都の館に着くまで我慢しろ」
「いえ、我慢することなんて何もないです」
脊髄で答えた。言い終わった途端、再び頬が赤らんだ。
「何を言う。俺を起こしたくせに」
「ダメだよ、兄さん」
酸欠の金魚みたいにぱくぱく口を開け閉めしていた俺を救ってくれたのは、バタイユだった。
「兄さんの傷はまだ治っていない。規定より早く箱から出ちゃったからね。だからもう少し、ここでおとなしくしてもらわないと」
「ええっ!?」
不満そうなヴァーツァに、バタイユはため息をついた。
「自業自得。なんでもう少しの間、ガラスの箱の中でおとなしくしていられなかったの?」
「仕方ないだろ。目が覚めちゃったんだから」
「なんでよ。俺の催眠魔法は強力だったはずだよ?」
「だから言ったろ。お姫様にキスされたせいだ」
ヴァーツァが言い、俺は死にそうになった。恥ずかしいのレベルを超えてる。
バタイユの頭上に巨大なはてなマークが見えた気がする。
「お姫さま? だって、キスされるのはお姫様の方でしょ? なんで兄さんが目覚めるの? つか、誰にキスされたの?」
ヴァーツァがにっこり笑った。呆れるほど魅力的な笑みだった。芸術的ともいえる微笑を浮かべたまま、俺をじっと見つめる。
「この人だよ。俺を目覚めさせたのはシグモントだ」
「違っ、ちが、ちが、違っ!」
真っ赤になり、息も絶え絶えに否定する。
「違わないだろ?」
「違います! 第一、俺が口をつけたのは貴方じゃない、ガラスの蓋だ!」
「へえ。ガラスにキスしたの。やるなあ」
バタイユが、俺の弁解を一気に踏み砕いた。なんだかいやな言い方だ。
「精密な魔法装置である僕のガラス箱に? 君、勇気があるね」
つまりあれは、棺じゃなかったわけね。治療魔法の使い手バタイユが作った、治療器具だったんだ。
激しい戦闘で、アンリ殿下を庇って瀕死の重傷を負ったところまでは、その通りだった。けれど、実際ヴァーツァは死んでいなくて、駆けつけてきたバタイユによって、ガラスの治療箱に入れられた。それを柩と勘違いした誰かが(無理はない。俺だってそう思ったもの)、カルダンヌ公は死んだと思い込み、軍は王都に帰還したということらしい。
「シグはただ、俺にキスしたかっただけだ」
ヴァーツァが何の助けにもならない助け舟を出す。
状況は悪くなる一方だ。俺は、じっとりと脂汗がにじみ出るのを感じた。
「それでスイッチが切れちゃったわけだ」
腑に落ちたようにバタイユが言い放った。
「スイッチが? 切れた?」
思わず繰り返すと、バタイユの目つきがますます悪くなった。
「自然界には青い薔薇は存在しないだろ? あの子たちは、奇跡の花だ。加えて、僕の治癒魔法をどっぷりしみこませておいた。そして、兄さんを漬けこんだ。ただしこの治療法には、ひとつだけ弱点がある」
「弱点だって? 俺はそんなの聞いてないぞ」
血相を変えてヴァーツァが質す。当たり前か。医療器具に瑕疵があったら怖いものね。
兄を睨み、バタイユはむくれた。
「仕方なかったんだ。これは試作品だから。研究が完成する前に大怪我をした兄さんが悪い」
「それはすまなかった」
素直に謝るヴァーツァ。微笑ましく見えないことも……あるわけない!
「で、弱点って何なの?」
俺は尋ねた。だって、キスで開く扉ってさ。しかも棺桶もどきの。
「空気穴さ。ガラスの中が真空状態では困る。常に新鮮な空気を取り込み、また排気する必要がある。空気穴は必須だ。だからもし、空気穴が塞がれるような事態になった場合、箱は自動的に開く仕組みになっている。かつ、睡眠作用は消滅する。これは、近くに敵がいた場合に備えてだ」
「なるほど。よくできてる」
「感心している場合か! その大切な空気穴を塞いだのは君だぞ、シグモント・ボルティネ。君が兄さんにかけた治癒魔法を解いちゃったんだ!」
「まあ、結果としてよかったんじゃないか」
この修羅場で、なぜか満足そうにヴァーツァが頷いた。
結果って?
「とにかく、だ。兄さんにはもう少しの間、ここで療養してもらうよ。無理は禁物。ベッドでおとなしく寝てること。療養なんだからね!」
「ベッドにいればいいんだな?」
「運動禁止!」
バタイユが金切り声を上げた。
「わかったな、シグモント!」
「な、なぜ俺に振る!」
「君が諸悪の根源だからだ! ああっ!」
不意にバタイユは頭を掻き毟った。
「この大事な時に、僕は、しばらく留守をしなくちゃならない。兄さんには看病する人が必要だ。一人でこの城に放置しておいたら、絶対、抜け出して遊びに行っちゃうからな。仕方ない。いいか、シグモント、兄さんをしっかり見張ってろよ」
「なぜ俺が!?」
「決まってるだろ。兄さんを覚醒させた張本人だからだ。しっかりベッドに縛り付けておけ。もちろん、君が兄さんのベッドに入るのは厳禁だ!」
なんてことを言いやがるんだ。
「そんなことはしない!」
「兄さんにキスしたのは誰だ?」
「僕がキスしたのはカルダンヌ公爵じゃない! 棺桶の蓋だ!」
「それがいけなかったの!」
ガラスに付けられた空気穴を塞いだのは俺のキスで、だから……。
「そうだよ。俺を目覚めさせたのはシグだ。彼には責任を取ってもらわないと」
ヴァーツァがとどめを刺した。




