第11章「見えるようになってしまった人間」
最初は、
気のせいだと思った。
朝の通勤路。
街路樹の影が、妙に揺れている。
風は、吹いていない。
「……疲れてるな」
そう呟いて、
彼、志摩 恒一は歩き続けた。
だが、
次の瞬間。
影が、
こちらを見た。
「、っ」
足が止まる。
街路樹の幹の横。
空間が、わずかに歪んでいる。
色が、あるような、
ないような。
「……なんだ、あれ」
その時、
声がした。
「やっと?」
すぐ横。
距離、二十センチ。
「見える人、
久しぶり」
志摩は、
息を呑んだ。
そこにいたのは、
光でも、影でもない。
感情が形を持ったような何か。
「……誰だ」
喉が、
かろうじて動いた。
「精霊よ」
さらっと言う。
「正確には、
精霊種の末端意識体だけど」
末端でこれか。
「安心して。
あなたを害するつもりはないわ」
「……じゃあ、
なぜ、俺には見える」
精霊は、
少し考える。
「うーん……」
「たぶん、重なったの」
「……何が」
「あなたの脳の位相と、
私たちの存在層が」
志摩は、
笑いそうになった。
「つまり?」
「あなた、太陽系転移ゲートの建設現場、
三回通ったでしょ」
心臓が、跳ねた。
「警備の仕事だからな」
「ゲート起動時の余剰エネルギー、
浴びてる」
「……それで?」
精霊は、
悪びれもせず言った。
「見えちゃった」
軽い。
「戻せるのか」
「戻せる人もいる」
一拍。
「でも、
あなたは……」
精霊が、
じっと志摩を見る。
「もう、戻らない側」
沈黙。
通勤路の雑踏は、
何事もないように流れている。
誰も、
この会話に気づいていない。
「……俺は、どうなる」
精霊は、
少しだけ声を柔らかくした。
「孤独になる人もいる」
胸に、
小さな痛み。
「でもね」
「?」
「橋になる人もいる」
志摩は、
精霊を見た。
「人と、私たちの?」
「そう」
精霊は、
誇らしげだった。
「太陽系には、
見える人が必要なの」
「……選ばれた、と?」
「事故よ」
即答。
「でも、
無駄な事故は、起きない」
遠くで、
転移ゲートが低く唸る。
その振動が、
志摩の胸に響いた。
「選択肢はある?」
精霊は、
少し考えてから言った。
「二つ」
「聞こう」
「一つ。
今まで通り、人として生きる」
「……もう一つ」
「見えるまま、生きる」
「それは」
「世界が、
二重に見える」
志摩は、
空を見上げた。
青空の奥で、
何かが、微かに瞬いている。
「……給料、上がるか」
精霊は、
吹き出した。
「交渉次第ね」
「皇女は?」
「知ってる」
「異星人担当者は?」
「もう来る」
その瞬間、
志摩の背後で足音。
「……やはり、
あなたでしたか」
振り返ると、
異星人担当者が立っていた。
彼は、志摩を見て言う。
「あなたは、太陽系初の
公式に確認された可視者です」
志摩は、
乾いた笑いを漏らした。
「世界、
変わったんですか?」
異星人担当者は、
静かに答える。
「いいえ」
一拍。
「あなたが、
世界に追いついてしまっただけです」
精霊は、
満足そうに囁いた。
「ようこそ、
表と裏の境界へ」
志摩は、
深く息を吸った。
通勤路は、
もう、元には戻らなかった。




