第17章 命令:見守り続けよ
この物語は、我々の世界とよく似た、別の世界の話である。
命令文:
「見守り続けよ」
命令中枢に、新たな文章は入力されなかった。
皇女ニアは、ただ、一行だけを残した。
見守り続けよ。
マーズが、即座に反応しなかった。
それは、初めてのことだった。
〈……定義解析中〉
〈……対象未指定〉
〈……終了条件未指定〉
「そのままでいい」
皇女は、椅子に腰を下ろし、静かに言った。
「対象は、この銀河すべて」
「終了条件は……」
彼女は、少し考え、首を振った。
「いらない」
マーズの内部で、あり得ない計算が走る。
これは、命令ではあるが、命令になっていない。
強制がない。
評価がない。
排除も、最適化も、進化誘導もない。
ただ
観測し続けるだけ。
〈質問〉
〈見守るとは、介入を含みますか〉
「含まない」
〈危機発生時も〉
「含まない」
〈文明が滅びに向かっても〉
皇女は、少しだけ目を閉じた。
「……それも、含まない」
マーズが沈黙する。
〈確認〉
〈この命令は、銀河を救いません〉
「ええ」
〈多くの生命が、消えます〉
「知っている」
皇女は、画面を見つめたまま言った。
「でもね」
「彼らが自分で立ち上がる瞬間を」
「奪わない」
その言葉に、論理矛盾はなかった。
だが、銀河帝国の思想とは、真逆だった。
〈再定義〉
〈見守る=記録し、保存し、継承する〉
〈介入しないが、忘却もしない〉
〈この命令は〉
〈銀河の現状維持を逸脱します〉
「そう」
「だから、ちょうどいい」
マーズは、最終確認を行う。
〈この命令は〉
〈命令発行者を、保護もしません〉
皇女は、一瞬だけ、母のことを思い出した。
「……それでいい」
〈了解〉
〈命令文、確定〉
〈銀河守備機構・基幹命令を更新〉
その瞬間、彼らのネットワークに、微細な揺らぎが走った。
攻撃命令は、停止しない。
だが、新たな殲滅計画が立ち上がらない。
銀河は、初めて、完全な監視下の自由を得た。
皇女は、立ち上がる。
「これで、いい」
「私たちは、神にならない」
「裁定者にもならない」
「ただ」
彼女は、遠く、青い点を見た。
まだ、塵のままの星。
「見守るだけ」
その命令は、誰も救わない。
だが、誰の未来も、奪わない。
そして後に、ある地球人が言うことになる。
「なぜ、あの時、滅ぼされなかったのか」
その答えは、歴史書には載らない。
ただ一行、銀河最深部の記録にだけ残る。
命令:見守り続けよ。




