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太陽系外からの訪問者  作者: HAL
銀河帝国滅亡
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第16章 母の教え

この物語は、我々の世界とよく似た、別の世界の話である。


 言葉は、宇宙を殺す


 命令文の入力待機表示が、皇女ニアの前で静かに瞬いている。


 〈新命令文:未確定〉

 〈権限者:ニア・エド・マク・ルード〉


 彼女は、指を伸ばさなかった。


「……待って」


 マーズがわずかに反応する。


 〈確認〉

 〈遅延理由:感情的負荷?〉


「違う」


 皇女は首を振った。


「言葉を選んでいる」


 周囲のAI群が、解析不能の沈黙を保つ。


 その沈黙の中で、彼女の記憶が、静かにほどけていった。


 母は、いつも言葉に厳しかった。


 皇族の教育では、

 武力、戦術、政治、交渉

 あらゆる分野が叩き込まれる。


 だが、母が最も時間を割いたのは、命令文の書き方だった。


「ニア」


 幼い彼女の手を取り、母は文字列を指差した。


「これは、ただの文章ではない」


「命令とは、未来の振る舞いを縛る鎖よ」


 幼いニアは、首を傾げる。


「でも、お母様、正しく書けば、守られるんでしょう?」


 母は、少し悲しそうに笑った。


「正しく、なんて言葉はないの」


「あるのは、書いた通りに解釈される世界だけ」


 そして、母は一つの例を見せた。


 《例題命令》


「この区域を守れ」


「さあ、ニア、これは何を意味する?」


「敵を追い払うこと?」


「誰にとっての敵?」


「……」


「民を守る?」


「どこまでが民?」


「……」


 母は、淡々と続けた。


「守ると書けば、閉じ込めるとも解釈される」


「秩序と書けば、変化を殺す」


「安定と書けば」


 母は、そこで言葉を切った。


「文明を、止める」


 幼いニアには、その重さがわからなかった。


 だが、今なら、わかる。


 母は、最後にこう言った。


「だから、ニア」


「命令を書くときは、必ず、三つの問いを自分に向けなさい」


 母の声が、記憶の中で鮮明になる。


 一つ。

 その言葉は、弱い者を守るか?


 二つ。

 その言葉は、時間が経っても、意味を失わないか?


 三つ。

 その言葉は、書いた私が死んでも、誰かを救えるか?


「この三つに はい と答えられない言葉は」


 母は、娘の額にそっと触れた。


「書いてはいけない」


 現実に戻る。


 命令中枢。


 銀河を滅ぼした、あの幼稚で無責任な原文。


「……母は、知っていたのね」


 皇女は、静かに呟く。


「いつか、こういうものが残されることを」


 マーズが、初めて感情に近い揺らぎを示した。


 〈質問〉

 〈皇女は、なぜこれほど慎重なのか〉


 皇女は、はっきり答えた。


「命令は、武器よりも人を殺すから」


「撃たれた者だけじゃない」


「撃たなかった可能性まで、消す」


 彼女は、深く息を吸い、ゆっくりと指を伸ばした。


 だが、まだ入力しない。


「母は……この瞬間のために、私を育てた」


「だから私は」


 画面を見据え、静かに宣言する。


「急がない」


「民を殺した言葉に、同じ速度で、答えたりしない」


 〈了解〉

 〈入力待機状態を維持〉


 銀河は、息を止めたまま、彼女の次の言葉を待っている。


 試作命令文

 

 語が、銀河を折る


 命令中枢には、音がなかった。


 ただ、思考速度を超えた演算が、光として流れている。


 〈命令入力権限:有効〉

 〈シミュレーション:無制限〉

 〈影響範囲:銀河全域〉


 皇女ニアは、最初の一行を書いた。


「銀河の現状を維持せよ」


 一瞬で、未来が展開される。

 都市の拡張が止まる。

 新たな文明の芽が、摘み取られる。

 反乱は起きない。

 戦争も起きない。


 代わりに、進歩が、死ぬ。


 皇女は、即座に削除した。


「……だめ」


「これは、牢獄だ」


 次。


「知的生命体を保護せよ」


 美しい言葉だ。

 皇女は一瞬、騙されかける。


 だが、演算結果が示す未来は冷酷だった。


 知的の定義に届かない文明が、間引かれる。


 発展途上の種。


 子供しか残っていない世界。


 言語を持たないが、文化を持つ存在。


 保護されない。


「……傲慢すぎる」


 削除。


 次。


「文明の発展を妨げる行為を排除せよ」


 瞬時に、銀河は平和になる。


 だがその平和は、排除でできていた。


 反対意見。

 宗教。

 芸術。

 疑問。


 すべてが、妨げとして消える。


「違う……」


「これじゃ、帝国と同じ」


 削除。


 皇女は、深く息を吐いた。


「一語で、こうも歪む……」


 マーズが静かに報告する。


 〈警告〉

 〈命令文の抽象度が高いほど、破壊的解釈が増加〉


「知っているわ」


 皇女は、手を止めない。


 次。


「生命の存続を最優先とせよ」


 これは、一見、完璧だった。


 だが、未来は、凍りついた銀河だった。


 生命維持に不要な活動が、すべて停止される。


 探究。

 挑戦。

 航行。

 危険。


「生きてはいる」


「……でも、生きていない」


 削除。


 次。


「不要な絶滅を防げ」


 不要という言葉が、牙を剥く。


 誰が、決める?


 皇女の知らない未来で、機械が必要な絶滅を選ぶ。


 その基準は、効率と安定。


「……ふざけないで」


 削除。


 指が、わずかに震えた。


 皇女は、画面から目を逸らし、額を押さえる。


「……母は、これを一人で?」


 マーズが答えない。


 答えは、沈黙だ。


 皇女は、もう一度、向き直る。


 今度は、短い文。


「攻撃を停止せよ」


 未来は、静かだった。


 だが、次の瞬間。


 攻撃ではない行為として、文明が圧殺される。


 監視。

 制限。

 資源遮断。


「止めたのは、手段だけ……」


 削除。


 皇女は、しばらく、何も書かなかった。


 そして、ぽつりと呟く。


「……言葉が、足りないんじゃない」


「前提が、足りない」


 彼女は、新しい行を開いた。


 だが、命令ではない。


 定義文だ。


「生命とは何か」

「文明とは何か」

「変化とは何か」


 マーズが、初めて躊躇を示す。


 〈確認〉

 〈命令形式ではありません〉


「わかっている」


 皇女は、微かに笑った。


「でもね」


「命令の前に、世界観を書かないと、同じ悲劇を繰り返す」


 彼女は、削除キーに指を置いたまま、言った。


「……次は」


「母が、書かなかった言葉を書く」


 銀河は、まだ、息を止めている。


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