第02章:座標の正体
この物語は、我々の世界とよく似た、別の世界の話である。
母が遺した場所
静寂の中で、艦隊は漂っていた。
恒星の光はない。
惑星もない。
ただ、黒に近い闇と、遠方で微かに瞬く銀河光だけが存在している。
「全船、状態報告を」
声は冷静だった。
だが、皇女ニア・エド・マク・ルード自身が、
その声の裏に感情を押し殺していることを、
AIネットワークは検知していた。
《損傷艦、全体の37%。》
《生命維持は安定。》
《民間艦における心理パラメータ、危険域に接近。》
当然だ。
100億の民は、初めて何も起こらない時間を与えられたのだ。
逃走でも、戦闘でも、命令でもない。
ただの、空白。
その空白に、焼け落ちた恒星と、消えた家族と、
戻らない母が流れ込んでくる。
ニアはそれを、許さなかった。
「民間艦の照明を20%上げろ。
環境音を流せ。
鼓動に近い周期で」
《了解》
静寂は、敵になる。
それを彼女は知っていた。
この座標は
通常空間ではなかった。
センサーが示す数値は、矛盾している。
距離はある。
だが、空間の厚みが異常に薄い。
時間の進みは安定しているが、重力定数がわずかに歪んでいる。
「……ここは、隠蔽層」
ニアは、母の言葉を思い出していた。
「もし、全てを失ったら、ここへ行きなさい」
「ここは、銀河のどの勢力にも存在を認識されにくい場所」
銀河の裏側。
表と裏の、縫い目。
《この空間は、観測されにくい性質を持ちます》
《次元断層による侵入、極めて困難》
「だから、敵は追ってこなかった……」
ここは、逃げ場ではない。
生き延びるための間だ。
その事実が、ニアの胸を締め付ける。
母は知っていた。
この日が来ることを。
「……母上」
声は、誰にも届かない。
涙は、流さなかった。
泣けば、感情は指先まで落ちてしまう。
指揮官の手は、震えてはならない。
だが
怒りだけは、燃えていた。
この座標には、もう一つの構造体が存在していた。
艦隊の中心から、わずかに離れた位置。
人工物だ。
古い。
だが、壊れていない。
《構造解析開始》
《帝国規格ではありません》
《文明階梯……不明》
ニアは、直感した。
「……ここが、始まりになる」
100億の民が、再び立ち上がるための場所。
そして
復讐ではない。償わせるための舞台。
彼女は、艦隊全体へと命令を流した。
「全船、ここを仮恒星系拠点と定義する。
民を守る。文明を繋ぐ。
敵は、必ず来る。だが、それまでは」
一拍、置く。
「生き延びろ。
そして、忘れるな」
銀河のどこかで、誰かがこの罪を犯した。
ならば、いつか必ず。
涙を奪った代価を、銀河そのものに払わせる。
皇女ニア・エド・マク・ルードは、
その怒りと悲しみを、静かに心の奥へ封じた。
剣は、まだ抜かない。
だが、確実に
鍛え始めていた。




