絵に描いたような婚約破棄
「スカーレット・ドゥ・アルエット、出てきたまえ!」
第八王子、レオンハルトが声高に叫んだ。
ここは貴族の子女が通う王立学園内、卒業パーティー会場である。
今は水を打ったように静まり返っている。
華やかな花畑のようなドレス達の中から、一際鮮やかな青いドレスが滑るように前に出てきた。
青いドレスの令嬢が口を開く前に、王子は早口で捲し立てた。
「お前は!このセシリア・フォクシー令嬢に何をしたか!忘れたとは言わせんぞ!」
「忘れるもなにも、私はなにも…」
宰相である筆頭公爵家の長女、スカーレットは不思議そうに首を傾げた。
海を想起させるような蒼いドレスは質の良い生地がふんだんに使われ、幾重ものレースに水滴を模したような小粒の希少アクアマリンが散りばめられており、公爵家の財力とコネクションを見せつけているかのよう。
艶のある水色の髪は緩く巻いてハーフアップにされ、小さな顔をいっそう引き立てている。
揃いのアクセサリーは大きなタンザナイトとダイヤの流行のデザイン。
こちらもわざわざ卒業パーティーの為に誂えた逸品だ。
第八王子の婚約者であるスカーレット・ドゥ・アルエット公爵令嬢は美貌も知力も非の打ち所の無い美女だった。
「セシリアをわざとつま弾きにし、教科書を破る、制服を破くなどの虐め!あまつさえ先日は階段から突き落とすという暴挙!!」
スカーレットは王子の腕にぶら下がっているセシリアを眺めた。
桃色の髪はツインテールに仕上げており、大きなリボンで飾られている。
濃淡のあるピンク一色で仕上げられたフリルたっぷりのドレスは、何故か膝丈。
周囲の令嬢はロングドレスなので相当浮いてしまっている。
アクセサリーはピンクサファイア。
先代皇后から王子に譲られ、婚約者に渡るはずだった高価なものだ。
それらと同じピンクサファイアのような大きな瞳は見開かれ、かわいらしい顔立ちと小柄さも相まって幼子のように庇護欲をそそる雰囲気を漂わせている。
スカーレットは猫のようにつり目がちだが、その瞳は光に翳した琥珀のように煌めいている。顔の系統は迫力のある美女といったところだ。
スカーレットの射るような視線にセシリアはビクッと身を震わせ、プルプルと震えながらいっそう王子に身を寄せた。
「見るがいい、こんなに怯えて!大丈夫だセシリア、私が君を守るから!」
第八王子はキッ!とスカーレットを見据えた。
「スカーレット!お前のか弱きものをいたぶる残酷さ、性根の賎しさは目に余る!とても未来の国母に相応しいとは思えぬ!まずはセシリアに謝罪するがいい!」
「あ、あたし…レオ様を好きになっちゃったのは、ごめんなさいっ!でも、意地悪については謝ってさえいただければっ!もうそれでいいんですっ」
「君はなんて優しくて素直なんだ!聞いたか!さあ謝れスカーレット!」
「スカーレット様!あたし、謝罪さえあれば許しますっ!」
スカーレットはパタンと扇を閉じた。
「お言葉ですが、私が何時何処でセシリアさんに何をしたか、証拠はございますの?」
周囲がスカーレットを肯定するかのように少しざわついた。
「セシリアがそう言ってるんだ!彼女のような清らかで純真な女性が言ってるんだぞ!それが全てだろう!」
見た目だけは抜群にいいレオンハルトが顔を赤くして怒鳴りだした。
「ですから、その虐めとやらが何時起きたのか聞いているのですけれど。
そもそも私、滅多に学園には登校しておりませんわ?」
「そ、そんなのっ…沢山ありすぎて覚えてないですっ!でも階段から突き落とされたのは4日まえですっ!」
「4日前。確かにその日は登校してましたわね」
「やっぱりお前が突き落としたんじゃないか!白々しい!」
「謝ってくださぁい」
スカーレットの合図で、後ろで控えていた女性の護衛が歩み出た。
「4日前、確かにスカーレット様は8時に登校なさってます」
スカーレットは頷いた。
「では、それは何時頃の話?」
セシリアは一瞬黙ってから瞳を潤ませ王子を見上げた。
「ほ、放課後ですっ!帰ろうと思って階段を降りようとしたら、スカーレット様がっ!」
「アンリ。放課後って何時かしら」
「4日前でしたら最終授業は15時に終了しております」
護衛はメモを見ながら答えた。
「学園には午前中しかおりませんでした。
お昼は王妃様といただいて、その後は王妃教育を受けていた私がどうやって学園にいたセシリアさんを突き落とせるの?」
スカーレットは微笑んだ。
「そもそも、何故私がセシリアさんを虐めなきゃいけないのかしら?」
「それはお前が醜くも私に愛されるセシリアに嫉妬したからであろう!この悪女め!」
「意味がわかりませんわね。私と殿下は王命で命じられた政略婚約じゃありませんか。
殿下の理屈ですと、私が殿下をお慕いしていないとその嫉妬は成り立たなくってよ?」
「だから!そう言っている!お前がいくら私を愛したところで、私の愛はセシリアの物であると!」
「きゃ、嬉しいですっ」
スカーレットは呆れたように呟いた。
「頭がどうかしちゃったのかしらね?」
「おかしいとはなんだ!もういい、謝罪すれば許してやったものを!
スカーレット・ドゥ・アルエット!お前とは今を以て婚約破棄だ!国外追放だ!
そして私はセシリア・フォクシーと新たな婚約を結ぶ!」
「婚約破棄は結構ですけれど、殿下の有責なので契約通り、慰謝料は払っていただきますわよ?もちろんセシリアさんにも」
「は?」
「え?なんでっ」
「当たり前でしょう?王命での婚約を一方的に破棄するのですから。それに…」
スカーレットは謳うように二人のしたことを優しく伝えた。
婚約者がありながら、他の女性を大事なパーティーでエスコートするのどうなのかしらね?
私には殿下からドレスもアクセサリーも届いたことがございませんけれど。
セシリアさんのドレスやアクセサリーはどうされましたの?
領地の無い男爵のご実家にそんな資産があるとは思えませんわね。
殿下もセシリアさんも成績は下から数えた方が早いですし、私無しで本気で王太子のままいられると思ってらっしゃるの?
契約書読んでらっしゃらないのかしら?
あなたが王太子でいる条件のひとつに、私を妃とするという項目がありますのよ。
もちろん、破棄された今はアルエット家が殿下の後ろ楯になることはございません。
セシリアさんは偽証と私への侮辱ですわね。
知ってらして?
殿下と私はいずれ王と王妃になる身だったから、常に王家の監視がついていたんですのよ?
私があなたに何もしていないことは王家の影が把握してますの。
もちろんあなた達が学園で何をしていたのか…もね?
破かれた制服って誰に破かれたか着ていればわかりますわね。
あら?学校で制服を脱ぐようなことあるかしら。
きっとそれも影が知っていてよ。
最初の威勢良さはどこへいってしまったのか、レオンハルトとセシリアは
「え?聞いてない!」
「そ、んな…」と言うばかりで顔色が悪くなっていくばかり。
「うふふ、まあもう済んだことですわ。
ここにいる皆様が婚約破棄を認めて下さってるし、私の方は異存ありませんことよ」
ね、皆様?
会場の生徒達は拍手でスカーレットに同意を示した。
「な!?おまえたち、不敬だぞ!待て、スカーレット!」
「みんなひどぉい!」
王子とセシリアは教師に囲まれ、半ば強制的に会場から追い出された。
「皆様、お騒がせしてごめんなさいね?
お詫びにそれぞれのお宅に何か素敵なものをお贈りしますわね!」
スカーレットは優雅な姿勢を崩さず、会場を後にした。
ー後日ー
「で、何か申し開きはあるのか」
国王がため息を付きながら不貞腐れているレオンハルトに問いかけた。
「ですから!スカーレットは卑怯な手段でセシリアを虐め抜き、私たちを嵌めたんです!何故私達が謹慎になるんですか!おかしいのはスカーレットでしょう!」
国王は静かに話を続けた。
「ワシが頭を下げて宰相に頼み込んで何度も断られ、王命を出してまで決まった婚約だったのだぞ」
う、と言葉に詰まるレオンハルト。
この王宮の一室にいるのは国王夫妻。
二人の側妃、第三王子と第六王子。
そして宰相、レオンハルトの八名。
末子であるレオンハルトが王太子であった理由は、正妃の子であったからだ。
それまでは第二側妃の産んだ第三王子が王太子だったのだが…
レオンハルトが他の王子とかなりの年の差で産まれた為、すでに成人して次期国王としての実務をこなしていたにも関わらず王太子の座を降りたのだ。
レオンハルトは王位継承のルール通り正妃の血筋という点だけで王太子になった。
年の離れた末っ子ということで甘やかされて育ったレオンハルトは
見た目だけは王族らしく見目麗しかったが、頭の方は今一つ。
将来を憂いた国王夫妻が嫌がる宰相を押しきって一人娘であるスカーレットを婚約者に据えたのだ。
スカーレットは期待通り非の打ち所の無い淑女となり、国王と王妃に大変可愛がられていた。
「あんな平民上がりの令嬢を王妃にするって、本気なの?何をどう考えたらそうなるのかしら」
正妃は険しい顔でレオンハルトを睨んでいる。
手にした扇子がミシミシと音を立てるほどに。
「セシリアは優秀です!頑張り屋なのできっと王妃教育でも成果をだすでしょう!」
「頑張ってるのは男漁りだけでしょう?
成績が下から数えて2番目の令嬢が今からどうやって王妃になれるというの?」
「それはっ!頑張れば絶対に!」
「そもそも、お前が王太子教育で成果を出せなかったのが原因なのよ?
自国の言葉しか話せない王なんてあり得ないわ。だけれど、語学堪能なスカーレット嬢が妃であれば…次世代までの繋ぎでお前が王太子でも良いという話、何度もしたわね?」
正妃の扇が壊れ、バラバラと床に落ちていく。
第一側妃がそっと新しい扇を正妃に手渡した。
レオンハルトは俯いてだって、でも…と呟いている。
王妃は苛立たしげに声を荒げた。
「誕生日の贈り物は模造品のアクセサリ
ー!既製品の粗末な物!その辺で従者が見繕った花束!
スカーレット嬢から聞いたときは私、恥ずかしくて倒れるかと思いましたわ!
エスコートも何年もしていないそうね?」
「いえ、母上!私はきちんとスカーレットに贈り物はしておりました!スカーレットは嘘をついてるんです!エスコートはスカーレットが断ってきたんです!」
「アルエット嬢と言いなさい。お前に名前を呼ぶ資格はないのよ」
黙っていた国王がようやく口を開いた。
「レオンハルト、お前は我々の目を欺けると本気で思っているのか?
王族が買い物をすれば何を何処で何時購入したのか。それは誰に贈られたのか。
全て記録が残っておると何度も言ったであろうに」
「あ…」
この時宰相が初めて動いた。
「こちらが我が家に殿下から贈られた物品全ての目録になります。
で、こちらは王家の婚約者予算の出納帳ですね。請求書や送り先の写しは別紙にございます」
宰相は丁寧にテーブル上に書類を置いた。
王が無言でそれを確認し王妃へ手渡す。
王妃から第一側妃へ…と順番に目を通していき、最後はレオンハルトの目の前に置かれたが
レオンハルトは俯いたまま微動だにしない。
しっかり者の第一側妃とは違い、どこかぽや~んとした天然の第二側妃が不思議そうに声をあげた。
「あらぁ?お二人の婚約ってもう十年くらい経ってますのに、どうして目録が一枚きりですの?」
「ミーネ!お黙りなさい。贈ってないからに決まってるじゃないの」
第一側妃が肘で第二側妃をつついた後、新しい扇子を王妃に差し出した。
新たな扇子を広げ、パタパタと振っている王妃の顔は相変わらず険しい。
「お前、婚約者予算は何に使ったの?
毎年毎年きれいに使いきって!
マダム・ピルエットのドレス、フレッド商会の宝飾品…贈り先が全部フォクシー男爵家ね?」
レオンハルトは黙りを決め込んだまま顔を上げない。
「それにあのピンクサファイアのパリュール!何故王族でもない者が持っているのです?」
「セ、セシリアはいずれ王妃になるのです、先に贈ってしまったのは早かったかもしれませんがどちらにしてもセシリアのものになる…」
「なるわけ無いでしょ!いい?あの娘はフォクシー男爵の子ではあるけれど、庶子なのよ。
どこをどう頑張っても王族に嫁ぐなんてあり得なくってよ。
せいぜい愛妾がいいところよ」
「いくら母上でも言っていいことと悪いことがあります!セシリアに対する侮辱は聞き捨てなりません!」
「悪いのはお前の頭よ!」
「アルエット家の養女にすればいいじゃないか!身分さえ整えば…」
宰相が生真面目な顔で手を振った。
「殿下、それはあまりにも無茶な話でございます。我が家は一方的に婚約破棄された立場。
もはや殿下の望みなど聞く道理もないでしょう」
「んなっ!不敬だぞ!」
「不敬なのは貴様だ!」
とうとう国王が怒り出した。
「いいか、スカーレット嬢への慰謝料はお前の私財から出す。婚約者予算も全て私財から返却だ。」
「何故ですか!真の婚約者はセシリアですよ!婚約者のセシリアの為に使った金を返すのはおかしいでしょう!?」
第一側妃がさりげなく新しい扇子を王妃の手に滑り込ませた。
「あいわかった。お前はそのセシリアとやらと結婚するがいい」
王が手を鳴らすと、ノックの音と共に文官数名と震え上がって死んでしまいそうな形相の小柄な男爵とニコニコと機嫌の良さそうなセシリアが入室してきた。
レオンハルトは満面の笑顔でセシリアを抱き寄せ…
「セシリア!ようやく結婚を認めてもらえたぞ!」
「きゃぁ!ほんとですかぁ?嬉しい!」
二人の世界に入ったレオンハルトとセシリアは周囲で何が行われているか、気にする様子もなかった。
フォクシー男爵は泣きそうな顔で三枚の契約書にそそくさとサインしている。
文官が一枚ずつ読み上げる。
「セシリアは貴族籍を抜かれ、今後のフォクシー男爵とは無関係とする」
「不正に受け取った物品は現物か金銭で王家に返還する」
「アルエット家はフォクシー家に現時点では慰謝料は求めないが、セシリアと関わった時点で一括払いで要求するものとする」
男爵は異論ございません、と呟き契約書に締結の魔力を通した。
男爵が逃げるように出ていっても二人は気づきもしない。
「さて」
国王がレオンハルトとセシリアを呼び、結婚契約書を出した。
「書式は整えてある。良く確認してサインし、締結の魔力を通すように」
「結婚式の前にサインですか?」
レオンハルトはさすがに違和感を感じたのか、疑問を発した。
「式など後から勝手に行えばよかろう」
どこか疲れた王の言葉に納得したのか、二人は契約書の確認さえせずにサインをして
結婚を成立させた。
「嬉しい!豪華な結婚式にしましょうね!」
「もちろんさ!王妃になれば予算ももっと貰えるからね!」
国王はため息を付きながら、第三王子に謝罪した。
「振り回して済まないね、ジャスティン。お前がまた王太子だ。
後日王太子の儀を再度行うとしよう」
国王と第三王子がサインを済ませると、お花畑の二人を残し、全員が一斉に退室していった。
「え?どういうことだよ!なんだよ、触れるな!不敬だぞ!」
「やめてっ!私は王妃よ!触らないでよ!」
兵士達がレオンハルトとセシリアを城外に連れ出す間、二人は大声で抵抗し続けた。
「あらあら」
鈴を転がすかのような麗し声にレオンハルトは振り向き、同腹の姉の姿を見つけて助けを求めた。
「姉上!謀反です!コイツらを捕らえて下さい!おいやめろって!私は王太子だぞ!」
王妃に良く似た第二王女は兵士を手で制止した後にこう続けた。
「何を言ってるの?あなた達は平民なのだからお城には居られないのよ?
お父様のお話、またちゃんと聞いてなかったのかしら?
その娘は貴族籍を抜かれて平民。あなたは廃嫡されて平民。
本来は私に話しかけるのも不敬だわ。
二人で頑張って生きていきなさいな」
「そんな!嘘だぁー!聞いてない!」
「そうよ、聞いてないですぅ!」
侍女が第二王女に新しい扇子を手渡して一歩下がった。
「聞いてない、じゃなくってよ。
聞かなかったが正しいのではなくって?」
第二王女はコロコロと笑い声を上げた。
「何を言われても聞き入れなかったのはお前じゃないの。命までは取られなかったのだから、ありがたいと思いなさいな。
さ、早く連れていきなさい」
二人が連れて行かれた後、第二王女は侍女を近くに呼び寄せ、囁いた。
「ね、レオンハルトって何で王族のまま…あんなちんちくりんと結婚出来ると思ってたのかしら」
侍女は周囲を伺いながら微笑んだ。
「流行りの真実の愛ってやつじゃないでしょうか?」
「ああ、庶民に流行ってるっていう話ね?
そんなの真に受けるって正気なのかしら。
お父様お母様、側妃様達、私達兄弟姉妹を見てなんとも思わなかったのかしらね?
あんな身体が小さくて魔力も少ない女と子を設けたって、私達のように産まれるわけ無いじゃないの」
「そうですわね、王家の皆様は揃って背の高い美男美女で魔力も多いですものね」
「でしょう?そう言う相手を選んで続いてきた家柄だというのに、わざわざ何もかも条件に合わない子を選ぶなんてねぇ」
第二王女は侍女を従え、優雅にその場を去っていった。
ーさらに後日ー
平民となったレオンハルトはセシリアと共に辺境に送られ、鉱山で日銭を稼ぐ生活を余儀なくされた。
セシリアは坑夫相手の安宿で酌婦になり、同じように日銭を稼ぐ日々。
レオンハルトと喧嘩ばかりしていたセシリアはすぐに逃げだし、他国で娼婦となって数年後に病死した。
レオンハルトはセシリアよりは長生きしたが、酒に溺れ毎日過去を悔やんで飲んだくれており、ある日路上で亡くなっているのを発見された。
1枚の銅貨すら持っていなかったという。
婚約破棄をされたスカーレット嬢は高位貴族の子息達から縁談の申し込みが殺到し
気に入った子息を婿養子にとった。
優しい夫と三男一女に恵まれ、生涯幸せに暮らしたそうだ。