1.
ストロボの光に万亀山 雄輝が照らし出される。
最終競技者が順当に高得点をたたき出し、優勝を決めた瞬間だった。
表彰台の一番高い場所へポンッと飛び乗ってみせた万亀山に、小さな歓声があがった。 補助として横についていた従兄でトレーナーの晴輝が、プッと噴き出している。 もはや顔馴染みとなっている二位、三位とグータッチをかわし、万亀山はスポンサーへ感謝をこめて、大きく胸を張ってみせた。
かつての万亀山は、スノーボードで冬季オリンピックの日本代表枠を狙える位置につけていた。 ランニング中、酔っ払い運転のバカに轢かれさえしなければ、十中八九選ばれたであろう、とスポーツ紙は書いた。
――事故当時、数日後に病室で意識を取り戻した万亀山は、すぐに状況を把握して、全身数か所の骨折から復帰するのにどれくらいかかるか、と焦った。 それが絶望に変わったのは次の日のことで、右脚の膝下が無くなっていると知ってしまったからだった。
他にもまだ続いている種目があるので、インタビューは場所を変えるらしい。
誰もが、万亀山は再起不能だと思い、次のスターを探しに離れていった。 二年半に及ぶ入院生活の間に、見舞いに来たライバルたちもまた然り。
いずれは……いや、オリンピック後にプロポーズする予定だったカノジョが、自分の元からあっさりと去っていったことは、脚の欠損ほどショックではなかった。
結果去ることになったとしても (ずっとあなたを支えていくつもり) なんて言ってくれて、それを彼女のためを思って、こっちから突っぱねて……恥ずかしながら、そんなやり取りを夢想したことは認めるが……。
「車(椅子)使う?」
この日だけ特別に設けられたインタビューブースの前には、記者たちが待ちかまえている。 中でも大丸いスポンジの付いたマイクを持っている女性が、ひと際美麗だった。 というより女性は彼女ひとりだけ。
競技後にはいつも義足との接面が痛むのだが、万亀山は車をはにかんで遠慮した。
晴輝は困り顔に鼻息を添えて、なにも言わずにスケボーを抱えた。 自分で歩いて、あの光の中へ行きたいのだろう、と察したのだ。 その顔が瞬時に歪む。
「あ、あの女……」 と舌打ち。
万亀山を捨てた元カノが、メインインタビュアーとして 「万亀山選手、こちらでお願いします」 と声を張った。 雑多な音が入り混じる中、よくもまぁ通る声だこと……。 二人の視線を満面笑顔で受け止めてみせる彼女も、プロなのだ。
「もう五年も前だよ、晴兄ぃ」
「たしか、今のカレシは……水泳の」
「らしいね。 ってか、だからもういいって」
「そうだな。 ……悪ぃ」
二人の実家は同じ学区内にあり、そのちょうど中間くらいの場所に、祖母の家がある。
二人ともが学校帰りにそこへ寄ってご飯を食べさせてもらうので、顔をみない日はなかったし、本当の兄弟のようにして育った。 スノーボードを始めたのも晴輝くんがきっかけだった。
「……そうですねぇ、一番に誰ってきかれても難しいです。 離れていった人も多い中……」 インタビュアーが、そのときだけ顔をしかめた。 「応援してくれる商店街のみなさんに。 事故前と変わらず叱咤激励してくれる婆ちゃんに。 ずっと支えてくれる兄貴に。 とにかく思いつく人みんなに感謝を伝えたいです」
「ありがとうございました。 これからの活躍に――」
万亀山が控室へ戻るときにヨロめいて、晴輝が肩を貸す。
大丈夫か? なんてことはないよ。 ――二人はそんな会話を省く。
「雄輝ぃあの女、ムッとしてたな」
「そうだった? べつに、皮肉ったつもりじゃないんだけど」
ハハハ――
控室にはシャワーも完備されていたが、擦りむけた個所から血が出ているようなので、病院へ直行する。 着替えるだけでさっさと荷物をまとめ、控室からは車椅子を使った。 晴輝のワンボックスカーに乗り込み、会場をあとにした。
万亀山が住んでいるマンションは、真上からみると◎の建物で、中庭公園には大きな樹木と、小さな噴水がある。 そのちょうど中階にあたる八階で、ひとりで暮らしていた。
「晴兄ぃ三日間ありがとな。 恵美子さんに、独占してゴメンって言っといて」
一方、晴輝のほうは両親と実家暮らしだ。 彼が留守にすると、妻の恵美子さんが少しだけ不機嫌になって、実家へ戻ったりするらしい。
部屋へ荷を置いた。 「おう。 んじゃ行くな。 ゆっくり休めよ」
万亀山は腕の力だけでベッドへ飛び、しばし蛍光灯を見上げてからスマホを手に取った。
まずは商店街の応援会長に報告する。 それから、
「あ~婆ちゃん、雄輝。 全国大会、俺優勝したよ。 褒めて」 フフ……。
(ホホ、ついにやったんじゃねぇ。 雄輝が世界一じゃねぇ。 晴輝も一緒かぇ?)
全国大会は全部の国って意味じゃないけど……ま、いっか。
「晴兄ぃは恵美子さんを迎えに」
(ほぅかいな。 明日の晩にでもうちに来なっせ。 晴輝も恵美子ちゃんも誘って。 稲荷寿司いっぱいこさえとくから)
「うん、うん……」
元々電話は苦手なので、早々に切り上げた。
通話を終えて、万亀山は音楽をかけた。 トレーニング中に流すようなジャンルではなく、しっとり系の女性ボーカルもの。 その曲のベースが痛みの明滅とリンクする。
天上からの光と意識の光が万亀山の目玉をぐるぐると巡り、表裏で入れ替わる。 体をよじると、横槍にもうひと筋の光が飛び込んでくる。 テーブルに置いたクリスタルトロフィーからの発射光だった。
ストロボが光る。 彼女が笑う。 すばらしいと称える顔々に、憐憫の色が貼り付いている。 なにが完全復活だ! いくらみつめられても、脚はもう生えてこない! これ以上はがんばりようがない。
万亀山は叫び声をあげて、トロフィーをコレクションケースへ投げつけた。 ガラスの割れる音がけたたましく。 落下した数々の功績を転がりながらつかみ、投げては転がって脚を蹴り上げた。
ひとしきり暴れて消沈した頭に、音楽が再び流れ込んできた。
万亀山は四つん這いになって玄関へ向かった。
八階からのぞく中庭は、おとぎ話の世界のように穏やかな時間が流れていた。
共用廊下の壁百二十センチ+三十センチの落下防止手すり。 目の前のこれを乗り越えての転落死には、あきらかな意思が存在する。 つまりは自殺と断定されるだろう。
その絵画の中に動くものがあった。 虚ろだった目の焦点が定まった。 黒くて小さくて……よくみえない。
万亀山の美的感覚がそれを邪魔だと判断し、彼はふらふらと部屋へ戻った。 洗面所に立って鏡をみると、そこにぐちゃぐちゃになった自分がいた。
顔を洗い、手鼻をかみ、血を拭き、帽子をかぶってタオルを首からかける。 引き寄せた車椅子の車輪を手で漕いでエレベーターに乗る。
車椅子が砂を拾いながら進んでいく。 タイヤを回しているのは万亀山自身だが、自動で動いているように錯覚した。 探すまでもなく吸い寄せられるようにして、噴水に着いた。
「カメ……。 え、本物?」
亀は水を求めているのか、噴水の外縁にすがりついて登ろうとしていた。 体のサイズからいって無理だろう。 万亀山の接近に気づいて、手足を甲羅の中に引っ込めた。 しかし、右の後ろ脚だけは出たままになっていた。
「ひでぇことしやがる」
脚に串が刺さっていて、それが引っ掛かって甲羅の中にたためないのだ。 あきらかに人為的だった。
万亀山の頭に動物病院とか麻酔とかは、まったく浮かばなかった。 一秒でも早く抜いてやらねばならない。 ただそれだけだった。
甲羅を持ち上げタオルに包んだ。 膝の上に載せて部屋へ戻った。
キッチンの流しでペンチを使い、串を二もなく三もなくいきなり抜いた。 すると脚がにゅ~と甲羅の中へ収納されていく。 骨が折れたりしていないようでホッとした。 と同時に汚れや匂いが気になった。
水を細く出し、亀の子タワシで甲羅を擦りに擦る。 黒は黒いままだが、ぬめりは幾分マシになった。
写メって画像検索。 と……クサガメ? 珍しくはないようだ。 もちろん、このまま飼うつもりなんてない。
チャカチャカと音がするので、みると亀は爪でシンクを掻いていた。 首を伸ばす亀と目が合ったような……。 礼は不要。 竜宮城への招待も断る。
少しニヤニヤした後、万亀山は部屋の惨状を見回した。
床に落ちているミニチュアのスケボを拾い上げる。 これはいつかの大会で、副賞としてもらった物だ。 その土地の職人に特注でつくらせた美術工芸品で、かなり精巧にできていた。 タイヤもちゃんと回るし、素材も本物と同じくハードメープルだとか。
万亀山は、それをボンドで亀の腹に貼り付けた。
甲羅のほうが少しだけ大きくて、真上からみると板はすっぽりと隠れている。 車輪が小さいので脚も地面に届くはず。
「お前は自分の脚で思う存分走り回れよな」
言われた通り、亀はバリアフリーの床を必死になって走った。 万亀山の想像を超えた速さで走った。 追いついて玄関扉を開いてやると、壁まで直進して左へ方向転換。 ブレーキングに小難ありか。 体重移動が理解できればいいのだが……。
万亀山は亀を見送ってから部屋へ戻った。
コレクションケースの中身をすべて払いのけ、代わりに自分が入っていって眠りについた。
サルモネラ菌に注意せよ