尻拭い令嬢の恋
「アナスタシア・ベルベダッド公爵令嬢との婚約を破棄し、新たにクレム・バルボア伯爵令嬢との婚約をここに宣言する!」
新たな年が始まる祝いの夜会で、ロベール・ケイマン第二王子は演奏をわざわざ止めさせて指揮者を背に立ち、大きな声で叫んだ。
婚約者のアナスタシアはロベールにエスコートされたままだったので、会場中の視線が一身に集まってしまい、扇で顔を隠しながら王子への恨みの言葉を吐いていた。
王子を立てるように、恥をかかせないように、と長らく教育されてきたアナスタシアは今までの鬱憤を晴らすかのように王子に言い放った。
「なぜこのような場所で宣言をする必要があったのですか?我が公爵家からも婚約解消の申し込みは何度もしておりました!なぜ破棄だなどと強い言葉をわざわざここで使う必要があるのですか!」
「君が本心を隠しているからだ。私のことを愛しているのだろう?だからクレムのことを虐めてしまった。でも君はまだやり直せる。これは君のための婚約破棄なんだよ」
「ほんっと苛々しますわ。私はあなたを愛していません。思い込みはおやめくださいませ」
「良いんだ良いんだ。全部分かっているよ。照れ屋さんだなぁ」
「お父様!私もう限界です!」
慌てた様子のベルベダッド公爵がアナスタシアの近くまで走ってきた。強化魔法を足にかけて、一陣の風のように。
「アナスタシア!何ということだ。こんなに話が通じないとは、知らなかった。すまない」
「私何度もお伝えしましたわ!信じてくださらなかったのはお父様ではありませんか!」
「だって王子殿下はいつもちゃんとしていて……」
「それは尻拭い令嬢と揶揄されるクレモンティーヌ様がいたからですわ。彼女が全ての尻拭いをしていたのです!」
アナスタシアの言葉を聞いた夜会の参加者は口々に噂し始めた。
「尻拭いって公爵令嬢の口から聞くとは思わなかった」
「俺知らないんだけど」
「学園では有名だったようですわよ」
ロベール王子は自分では収拾がつけられなくなったと感じたのか、ポケットからベルを出した。
「あれ!ほら!あれよ!」
「あれは噂の!」
チリリリリリーン
「お呼びですか。ロベール様」
クリスタル貴族魔法学園の制服を着て、魔塔のマントを羽織った女の子が転移魔法で現れた。
騒然とする会場。転移魔法を使えるのは上級の魔法使いのみ。人が突然現れるのを初めて見た人も多かった。
騒めきを聞いてその女の子は眉を顰めた。
「ロベール様、公の場に呼びつけるのはご遠慮くださいと申し上げたハズですが」
「問題ない。クレムの素直な気持ちを皆に伝えてほしくてね。場内の人を黙らせてほしいんだ。騒ぎになってしまったのでね」
「素直な気持ちと申しますと?」
「クレムが誰を好きなのか、皆に伝えてほしい」
「な!な、なぜそのようなことをしなければならないのですか?困ります」
「好きな人、いるだろう?」
「……い、ます。でも……」
「では会場の皆に伝えなさい」
「え、嫌です」
「これは王子である僕の言葉だよ?クレムは逆らっても良い立場だった?」
会場は一瞬言葉を失ったが、次々と疑問を口にした。
「今脅迫しなかった?」
「クレム嬢は脅されているの?」
「クレムって略称だよな」
「相当親しいのか?」
「婚約発表で略称だなんて」
「クレム嬢は婚約する雰囲気じゃなくない?」
「クレム、君の好きな人を言わないと始まらないんだ。恥ずかしがってないで言ってごらん?」
「そりゃ恥ずかしいですよ!ご本人にも伝えてないのに!」
「大丈夫。僕は全て分かっているよ。安心して言ってごらん」
「……じゃあ、せめてご褒美をください」
「ご褒美?分かった。何でも買ってあげるし、何でも聞いてあげる。一つじゃなくてもいいよ」
これまで王子がすることを面白がって眺めていた王が初めて動揺した。慌てて玉座から立ち上がって叫んだ。
「いかん!」
王は駆け寄ろうとしたが、運動不足のお体では残念ながら間に合えなかった。
「分かりました。ご褒美は後からお伝えしても構いませんか?」
「もちろんだ」
「魔法契約が成立しました」
ロベールとクレムの間に魔法契約成立の光がボワッと浮かび上がった。
「すごい!魔塔の魔法使いの魔法契約よ!」
「初めて見た!きれい!」
「魔法契約をこんな短時間で済ませられるなんて」
「誰なの?クレム嬢の好きな人」
「あの王子、自分だと思ってない?」
「私、クレモンティーヌ・バルボアがお慕いしているのは……」
魔法契約が成立している以上、本人がどんなに恥ずかしくてもこのまま言うしかなかった。ロベール王子は嬉しそうに、恥ずかしがるクレムを眺めている。
「ジルベール・アーベンロート魔法騎士団副団長です」
クレムは恥ずかしさが込み上げてきたのか、真っ赤な顔を両手で覆って隠した。
「は?ジルベール?」
ロベールは呆けた顔でクレムを見た。いつの間にかロベールとクレムの近くまで歩み寄っていたこの国の王、アルベールは下がれとばかりにロベールの肩に手を置いた。
「クレモンティーヌ、褒美は何がいいのだ?」
言葉を失った息子の代わりに王が尋ねた。魔法契約を終わらせるためだ。魔法契約を守らなかった場合、違反者には魔法が襲ってくる。かけた魔法の強さによっては命を落とすこともあるのだ。
アルベール王はクレムが持てる力で可能な限りの魔法契約を結んだことに気がついていた。ロベールが約束を守らなかった場合、恐らく最悪の結果を生むだろう。しかし、ロベールがこんなに嫌われていたとは……とほほ
「アルベール王が代わりに叶えてくださるのですね。心強いです」
クレムは満面の笑みを浮かべた。まるで既に重荷を降ろしたかのように。
「ロベールの代理人であることを宣言する」
「承知しました」
クレムはカーテシーをした。会場は二人の会話を聞き漏らすまいと固唾を呑んで見守っていた。
クレムがカーテシーの姿勢から戻り、両手を体の前で結んだ。
「まずは、ロベール王子殿下の担当を辞めたいです」
「承知した。他には?」
「ロベール王子がお持ちのベルを回収させてください。契約違反で効力は失っておりますが、一片も残したくないので」
「……分かった。ジル、ロベールのポケットからベルを」
「はっ」
魔法騎士のジルベールはまだ呆けているロベールに駆け寄ってベルをポケットから取り出そうとした。
その時、急に我に返ったロベールが手足を振って暴れ出した。
「それは持って行っちゃダメなんだ!それがなくなったらどうしたらいいんだ!困ったらこれを振りなさいってお母様が言ったんだ!」
「失礼します」
クレムがそう言って、魔力の紐でロベールを拘束した。ロベールは泣き喚いたが、ジルベールはポケットからベルを取り出して、ベルに口付けをした。ベルは砂になって空中に溶けて消えた。
「ひぃっ」
ロベールは急に恐ろしくなった。魔塔の実力者が二人、目の前に立っていることをやっと自覚した。本能的に逆らってはいけない二人。なぜ今まで分からなかったのか。契約が終わってやっと分かった。粗雑に扱ってはいけなかったのだ。
「まだ、あるか?」
アルベール王はクレムに尋ねた。魔法契約が満たされていないことを理解していたからだ。
「あと、一つだけございます」
アルベール王は知らぬ間に肩に力が入っていたことを自覚した。良かった、次で最後だ。
「魔塔と王族の間の全ての契約を終わらせたいです」
「それは困るわ!」
ずっと席に座って大人しくしていた王妃が叫んだ。
「承知した。ロベールの命には代えられん」
「ありがとうございます。魔法契約は遂行されました」
クレムとロベールの間に、契約の時と同じ光が浮かび上がり、霧散した。
「やったー!」
王族の数と同じだけの魔法使いが声を上げてクレムとジルベールの近くに集まった。
「よくやってくれた!」
「嬉しい!解放されたわ!」
「ほんっとに嫌だったわ!」
「さっさと魔塔に帰って祝おうぜ」
「あ、お二人さんは寄り道して来いよな」
言葉を言い終わるとすぐにクレムとジルベールは花畑に転移させられた。クレムは先程自分が魔法契約によって想い人を発表させられたことを思い出して赤面した。
その場に立っていられなくて、花畑に座り込む。ジルベールは指を鳴らして四阿を花畑に設置した。四阿の中には椅子とテーブルがあり、テーブルの上にはお茶とお菓子が用意されている。
王妃担当の魔法使いだったジルベールはお茶の用意が妙に上手くなっていた。王妃は美しい景色の中でお茶をするのが大好きで、朝昼晩問わず、様々な場所で何度も用意させられた。
ジルベールは美丈夫だし、魔法騎士である彼がそばにいれば安全性も問題ない。その上、一部の魔法使いしか使えないという転移魔法で移動ができて快適。お茶とお菓子が微妙なのは直させればいい。王妃の充実した日々は永遠に失われた。
先程、アルベール王がジルベールにロベールのベルを取り出させたのは、ジルベールがアルベールの庶子だったからだ。
王族の体に触れる時に粗相があった場合、他の者では助けてやれない。ジルベールが庶子だとは知らない王妃に指名されて担当になってしまったジルベール。「ジル」と名乗って、庶子であることは巧みに隠していた。
「クレム、俺と一緒にお茶してくれる?」
ジルベールはクレムに手を差し出した。両手で顔を押さえて下を向いていたクレムはジルベールをチラッと見た。
「可愛い。クレム、おいで。前みたいに一緒にお茶しよう?お腹減ったでしょう?」
ジルベールはクレムが魔塔に入った時の指導係だった。
教会の魔力検査で水準以上の結果が出ると、魔塔行きを示唆される。もちろん選択肢はあるのだが、ほとんどが魔塔行きを選ぶ。国のために働く代わりの高給。魔法使いの就職先としては最善の場所。
魔塔に入ってから、王族担当に選ばれると大変だと聞かされた。選ばれさえしなければ快適に働ける場所。選ばれないだろうとクレムは考えていた。
それに例え選ばれたとしてもどの王族担当かで大変さは変わる。殆どの王族は良心的で人道的。それでも拘束時間が長過ぎるのが問題だった。
王族からの呼び出しがいつあるか分からないので、気が抜けない。あまりの負担の大きさに数ヶ月置きに交代するのが通常だった。
ただ、ジルベールを指名した王妃と王妃の息子ロベールは最悪の主人だった。
なぜか二人は交代を許さなかった。自身にとって快適な環境を提供してくれる相手を手放さない二人。対応できてしまう二人の辛い日々。ジルベールとクレムはお互い励まし合って今日までなんとか頑張ってきた。
「モンちゃん、おいで」
懐かしい呼び名にクレムはジルベールを見た。魔塔で働き始めたクレムの指導係になったジルベールは、様々な呼び名でクレムを揶揄った。怒るクレムが可愛くて、少しでも緊張を解してあげたくて。
「ずるいです。いつもそうやって、私の心の中に入ってくる」
拗ねた顔のクレム。ジルベールは懐かしくて、可愛らしくて、なんだか泣きたくなった。
クレモンティーヌは幼いながらも魔塔で上位に入る魔力量の持ち主だった。対抗できる指導者はジルベールのみ。ジルベールは王の庶子であり、高位の実力者。彼は孤独だった。
クレムはジルベールに手を引かれて四阿に入った。拗ねているクレムはなかなかちゃんと歩かない。クレムが四阿に着くまで少し時間がかかった。
紅茶からは湯気。
「懐かしい。このお菓子、大好きだったんです」
クレムが破顔した。ジルベールの胸を衝撃が襲う。
「僕も好きだ。……このお菓子」
「ああ、そうですよね。お菓子の話ですよね。いただきます」
「紅茶、熱いから気をつけて」
「はーい」
嬉しそうにお菓子を食べるクレム。クレムと過ごすようになってから、クレムの指導に悩むジルベールの周りには人が増えた。ジルベールも人だったんだな、と言われたこともある。
「モンちゃん、ありがとう」
「え?私何かしました?」
「解放してくれてありがとう」
「ああ、王妃様ですか?あの人たち酷いですよね。いつでもどこでも呼びつけておいて悪びれないし、話を聞かない。注意してもダメだし、説明しても理解しないし」
「僕はモンちゃんがロベールの側に侍らされているのを見るのが辛かった」
「あの人の勘違いっぷりはキツかったです。アナスタシア様には本当に良くしていただいて。お互いに言葉が通じる喜びを噛み締めあって過ごしていました。ベルベダッド公爵家には何かお礼をしないと」
「そうか。何がいいかな」
「アナスタシア様は宝石がお好きなんです。何か特別な品を贈りたいです」
「うーん。鉱山でも掘ってみる?」
「天然物が良いですよね。魔塔所有の鉱山に行ってみようかな」
「僕も鉱山持ってるから、そこはどう?父から譲られたんだ」
「もしかしてまだ採掘されていない?」
「そう。ほとんど」
「行ってみたいです!」
クレムは思わずジルベールの手を握りしめた。
ジルベールの顔が赤くなって、それを見たクレムは慌てて手を離して紅茶を飲む。
「あちっ」
「ほら、気をつけて」
クレムはカップを置いて下を向いた。優しく微笑むジルベールの顔が見れない。突然、つい先程衆前で告白したことを思い出した。
「モンちゃん、あの時、僕がどんなに嬉しかったか分かる?」
クレムは顔を上げてジルベールを見た。熱のこもった視線。「この人私のことが好きだ」クレムは驚きと喜びで胸がいっぱいになった。
「クレモンティーヌ嬢、あなたのことを愛しています。僕の伴侶になってください」
ジルベールはクレムの手を取って、手のひらの上に自分の瞳の色の宝石をのせた。
この王国で流行りの婚姻の申込み。宝石を渡して、承諾されたらその石を加工して揃いの宝飾品を作る。一つの石を割って分け合うのが良い、と言われている。
クレムの両目から涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「ほんとに?」
「ああ。僕の人生はモンちゃんと会ってから楽しくなった。……ロベールの横に立つ君を見て、ずっとモヤモヤしていた。それに、いつも君が頑張ってるから僕も頑張ろう、って心の支えだった」
「ジル様は、家族に捨てられた私の光でした。大好きです!」
「愛してるとは言ってくれないの?」
「……まだ、ムリです……そのうち……きっと」
ジルベールはクレムを抱きしめた。
「ずっと待つよ。言ってもらえるように僕も頑張るし」
「……うぅ……」
「あぁ、耳が真っ赤で可愛い。まあ、僕も真っ赤だとは思うけど。ねえ、一週間くらい旅行でもしよっか。このまま魔塔に行くのもなんか嫌だし。素直に揶揄われに行くのもなんかね。それに、今までの休暇分をちょっとくらい貰っても良いよね」
「お休みありませんでしたもんね」
「信じられないよね。非道だよ」
クレムがジルベールに体を預けて力を抜いたのが分かった。ジルベールは嬉しくてクレムを抱きしめる手に力を込めた。
「どこへ行きたい?」
「温泉に行きたいです。のんびりしたい。呼び出される緊張感から解放されて眠りたいです」
「……大変だったもんね。分かった。僕が持ってる別荘へ行こう。温泉地にあるんだよ。例の鉱山も近いから、そこも行こう」
「良いですね!美味しいものもありますか?」
「もちろん!劇場もあるよ。我慢してたこと、全部やろう!」
「たのし……み……で……す」
クレムの体から力が抜けた。
慌ててジルベールがクレムを見ると、スヤスヤと眠っていた。
「お疲れ様」
ジルベールはクレムを横抱きにして立ち上がった。
四阿を片付けて、自身の別荘まで転移した。別荘ではジルベールの執事と侍女頭が嬉しそうに出迎えた。
「お知らせをいただき、出来得る限りではございますが、お部屋をご用意しております。そちらがクレモンティーヌ様ですか?」
「うん。これからよろしく頼む。やっと王家から解放された。我々は自由だ」
「おめでとうございます!街をあげてお祝いをしませんと」
この温泉街はジルベールが王妃の相手で疲弊した心を癒すために整えた街で、今では有名な観光地の一つになっている。街の収入は右肩上がり。鄙びた温泉地だったのが嘘のような劇的な変化を遂げた。
「愛してるよ」
ジルベールはクレムの額に口付けを贈った。
完
*誤字報告ありがとうございました!
助かりました




