プロローグ
夕暮れ時の空が真っ赤に染まっている。
バス停に一台のぼろっちいバスが止まる
「はー、やっと着いたァァァ」
バスから一人の青年が降りてくる。
「もうこれで最終バスなんだよな……田舎って不便だな」
去ってゆくバスの後ろ姿を眺めながら青年が溜め息をつく。
彼の名は織島伊織、二十二歳。
平凡な大学生だ。
「んで、桃源神社ってとこにいけばいいんだよな」
伊織がスマホの地図を見ながらキャリーバッグを引きずって歩き出す。
「夜までにつきゃ良いけどな……無理だよな~」
もう夕暮れの赤い空はだんだん青くなっている。
延々と続くあぜ道は不気味なほどに静まり返っている。
「人っ子一人いねぇ……後三キロも歩くのかよぉぉぉ」
伊織が嘆く。
そこから十分ほど歩いたとき、後ろに気配を感じた。
『足音……?こんな時間にこんなド田舎を出歩いてる奴がいるのか?てかなんで後ろに?誰もいなかったはず……こわっ』
伊織が駆け足になる。
すると後ろの足音も速くなる。
まるで追いかけてきているみたいに。
『なんか追いかけてきてね?いーや、気のせいかもしれん。自分の服が擦れている音を足音と勘違いするというよくある奴かもしれない!そうであってくれ、頼む!』
伊織が青ざめてスマホを見る。
「あともう少しで着く……え、もう三時!?」
伊織が思わず大声を出す。
それもそのはず、伊織がバスを降りて歩き出したのは午後五時。
『あり得ないだろ、スマホぶっ壊れたのかよ!』
伊織が涙目になって全速力で駆け出す。
『ちくしょう、母さんの言うことなんか無視すりゃよかったんだ』
伊織が後悔する。
『ずっとあぜ道だ……もう突き当たりの神社に着いてもおかしくない。なのに……』
伊織が立ち止まる。
そしてなけなしの勇気を振り絞って振り返る。
「誰だ!」
ぼろぼろの服を着た女性が佇んでいる。
「え、だ、大丈夫……」
伊織が心配して近づこうとしたとき、女が伊織にアザだらけの手を伸ばして叫んだ。
「殺してやる!」
伊織が腰を抜かす。
「ひええー!」
『何でそうなる!俺が何かしたか?あああ夢なら早く醒めてくれ~!』
伊織が目をぎゅっと閉じる。
「待ちなさい」
凛とした声が伊織の耳に飛び込んでくる。
「う、うぅ……」
伊織が恐る恐る目を開ける。
「あ、あなたは……?」
目の前に明治時代の女学生のような格好をした女が伊織を庇うようにして立っている。
「この男はお前にはなんの関係もない。立ち去れ。さもなくば斬るぞ」
女の手には刀が握られている。
『か、刀?俺はタイムスリップしたのか?』
「あ、あ、殺し、しす男は……」
ぼろぼろの女がぶつぶつ呟きながら近づいてくる。
「怨嗟をぶつけるべき男はこいつではない」
女が刀を構える。
ぼろぼろの女は聞く耳をもたない。
「人の言葉が通じぬほどの憎しみ……仕方ない」
女の刀が蒼く燃え上がる。
「魂断!」
蒼い軌跡が一閃、たちまち女の頚をはねる。
「あ、殺っちゃった……」
伊織が一層青ざめる。
女が納刀してこちらを振り返る。
「お前が織島伊織か」
「そ、そうだけど。今のは?」
「怨霊だ。見れば分かるだろ」
「う、人間じゃないのか……」
「黙れさっさと着いてこい」
「あんたの名前は」
「……」
「何で俺を助けてくれたんだ?よく気付いたな」
「うるさい」
「あ、そうだ」
伊織がスマホを見る。
時計は6:20と表示されている。
「時間が戻ってる!なんか分かんないけど助かったんだな、俺……」
伊織がほっと溜め息をつく。
「はあ、何でこんな人間を」
女が伊織を睨みながら溜め息をつく。
「着いたよ、桃源神社。ここに来たかったんでしょ」
二人が立ち止まる。
「おや、澪鬼と一緒だったのかい。その様子だと……怨霊に会ったみたいだね」
腰の曲がった老婆が杖をつきながら鳥居をくぐる。
「婆ちゃん、こいつが例のご子息?」
澪鬼と呼ばれた女が伊織を指差す。
「これ、こいつ呼びはよさんか」
老婆が杖で澪鬼の指を叩く。
「いてっ」
澪鬼が手を引っ込める。
「怖かったろう、今日はゆっくり休みなさい」
老婆が優しい声で伊織を労う。
「は、はい……」
⭐⭐⭐
伊織は神社の裏にある民家で晩御飯をいただいていた。
囲炉裏の前に座った伊織は澪鬼の額をじっと見つめていた。
「んだよ、角がそんなに珍しいかよ」
澪鬼が豚汁をすする。
彼女の額には二本の角が生えている。
色白で蒼い目と白い髪が儚げに輝いている。
「角のある人間なんか見たこと無いし」
伊織が豚汁をよそいながら言う。
「これ美味しいですね」
「そうかい、嬉しいね」
老婆が微笑む。
「おい」
澪鬼が伊織の隣に移動してスマホを持ち上げる。
「この蒲鉾板みたいなのはなんだ?」
「スマホだよ。勝手にさわるな」
伊織が澪鬼からスマホを取り上げる。
「スマホ?なんだそれ?呪具の類いか?」
伊織が老婆を見る。
老婆が立ち上がる。
「澪鬼は人里に降りたことが無いからね、知らなくて当然だ」
「え、じゃあ今の今までこんな田舎に?」
伊織が思わず口にしてしまう。
「ふふ、人里に負けんぐらい良いところがあるんじゃよ」
老婆がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「まさか、桃源郷に連れていくつもり?」
澪鬼が嫌そうにいう。
「桃源郷?どんな所なんだ?」
伊織が澪鬼に尋ねる。
「それは明日のお楽しみだ。さて、デザートにイチゴタルトでも食べようかね」
「え、現代……」
「あら、老いぼれだからって舐めないでほしいわね」
「そうだぞ、ヒメ婆は凄いんだぞ」
澪鬼が自慢気に言う。
「ふーん」
『桃源郷か……ちょっと楽しみだな……』
伊織が寝転がる。
『母さんが俺をここに行かせた理由も分かるかもな』