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元AIエンジニアの考える効率化と責任のあり方

作者: 蓬アルテ

 人類は先人たちが築き上げてきた文明で、様々なものを効率化、自動化した技術の恩恵を受け生活しています。これは例え、現代的な社会から隔絶された閉鎖的な集団においても例外ではありません。


 我々は歴史の授業で、狩猟採集の移動生活から定住した農耕牧畜への移り変わりを教わっています。これは、人類という種族が生存と繁栄のために行った、効率化のための発明の一つといえるでしょう。狩猟の時代でさえ、最初は人間が直接殴打していたものを、木の枝や石等で攻撃力を上げ、殺傷力を上げた武器に加工し、アトラトルや弓矢等の遠距離を攻撃できる武器を開発しました。ある時から、この武器が狩猟対象である動物以外にも同族である人類にも行使されるようになり、様々な形で発展を遂げました。

 今ではナイフなどの近接武器一つでも様々な用途によって使い分けられており、遠距離武器に至っては十数mから数kmの範囲で戦うための銃火器から、地球の反対側、必要であれば地球を一周して攻撃地点そのものを攻撃し、一撃で都市一つ、数万、数百万もの人類を殺害することが可能な段階にまで、目的に合わせて多種多様化し、目的に合わせそれぞれが効率化されています。


 さて、現代的な社会で生活する我々の身近にある代表的な技術は、水道やガス、電気といった「ライフライン」と呼称されてきた存在です。例えば、水道は言い換えれば、川などの水源から水を汲み上げる作業、煮沸、濾過して消毒する作業等を社会全体で一元化して行うことで効率化する技術です。ガスはかつて草木を集め加工し火を使っていた作業を代替することができる媒体の発見と、それを極めて広い範囲で使用できるようにした技術です。電気にも同じようなことが言えるでしょう。


 もちろん、これ等の一部、もしくはすべてが存在しない地域にも人は住んでいます。なぜそれが可能なのか、それはいたって簡単な理由であり、現代国家において使用される技術は、後進的とされる国家、集団で行われている営みを効率化するものが大多数だからです。


 ここ数十年間において、現代化した国家の中には、技術的に後進的とされる国々、地域に人的、技術的支援をしようという動きが多くみられます。これらの動きが成功することもありますが、失敗することも無論あります。技術を一方的に押し付けるだけで整備維持する人材を育てていなかった、経済的、地理的に現代技術でもっても改善が困難であったなどが理由に上がりますが、様々な分野で共通する定着しなかった理由、困難であった理由として見られるのは、現地の信仰との対立です。


 信仰というのは、現代技術においては非科学的と揶揄する声も一部の層から上がることありますが、先人たちが体験談と改善策を模索し、伝承してきた技術伝承の一形態です。伝承を忠実に守り何世代も生活し、理解できない出来事に恐怖することを繰り返してきたのが人類の歴史であり、いきなり信仰を置き換える技術が外部から持ち込まれて、拒絶を示さない方が難しいのです。


 とはいえ、人類に広く簡単に定着した現代技術も存在します。それは、携帯電話、スマートフォンといった携帯型のコンピューター端末です。100年と少し前には日本全国で約200世帯しかなかった電話の契約ですが、現代では人口よりも電話の方が多くなっています。これにより、本体についたカメラによって、数十年前のカメラよりもきれいな画像を簡単に撮影することができるようになりました。

 かつては、写真の印刷は専門技能でしたが、今では自宅のプリンターやコンビニでいくらでも簡単に写真を印刷できる時代です。フィルムを切り貼りする専門技術であった画像編集も手元の携帯で簡単に行えるのです。

 海外とのやり取り、情報へのアクセスも簡単になりました。かつては、翻訳家、通訳家の専門技能であった外国語への変換が手元の端末で簡単に行えるのです。

 情報を収集し整理しアクセスしやすいようにするのは図書館司書の仕事でしたが、今では需要の大多数をインターネットが担っています。世界各地の出来事を世界に発信するのは記者の仕事でしたが、誰もが写真を、そして映像を簡単に世界中に拡散できるようになっています。


 それ以外にも、様々な仕事の職域が、拡張機能、アプリの存在によって効率化されてきました。とはいえ、これらの効率化が全てにおいて人類に利益をもたらすわけではありません。


 例えば、悪意でもって水道に毒を入れられればどうなるでしょう。発電そのもの、もしくは送電網を遮断された場合は?核兵器保有国の一家国でも乱心し、高高度核爆発を起こされれば、地球上の広い範囲で防護措置の取られていない民間の電子機器ほぼ全てが使用不能になります。殺人という行為の効率化の結果によって銃を用いた犯罪は発生します。誰もが小型で高性能のカメラを入手できるようになったため、簡単に第三者の人権を盗撮という形で侵害できるようになりました。


 情報のやり取りがしやすくなった代わりに、悪意を持った誤情報の拡散も早くなりました。


 人類は、同じだけの行為を行うのに必要な意思決定が介在する部分を効率化をする代わりに、第三者にいとも容易く権利を、生活を侵害されやすくなったのです。


 どのような技術であれ、現段階の技術はすべて人類が意思決定を行っています。

 アラン・チューリングの提唱した「機械は考えることができるのか?」という考察から端を発するAI技術でさえ、現段階は人間が指示し、その結果をどのように扱うかは人間の意思決定の元に行われます。

 例えばイージス艦は、100km以上先の200以上の目標を同時に探知し対処可能であるというのが広く開示された情報ですが、「敵味方を自動で識別し、脅威度を算出し、最適な武装を選択し攻撃を実行する」機能がついているという噂があります。これが事実なのであれば、実行したときに何か問題が起これば、責任を問われるのは艦長以下、意思決定を下した幹部です。


 例えばコラージュ写真。機械学習技術を用いて作られたものを、別枠でディープフェイク等と呼称し特別視する人がいますが、例え手作業でネガを切り貼りして同様の行為を行っても、第三者の人権や、公衆の正常な感情を侵害すれば、当然責任を問われます。


 例えば著作物の違法な頒布。インターネット上でのものだけ取り沙汰されがちですが、コピー機で印刷して頒布しようが、手描きで模写して頒布しようが、関係なく責任を問われます。


 どれだけ手をかけようが、どれだけ効率化しようが、どれだけ精度が低かろうが、高かろうが、技術でもって責任の有無は判断されません。人類の意思決定の元で技術でもって行われた結果でもって、人は責任を問われるのです。


 もし、機械が自発的に考え、行動し、人間の意思決定が及ばなくなったのであれば、それはもはや技術ではなく新たな種族であり、例え機械が思考しなくとも、人類が意思決定を放棄し機械にそれを委ねるのであれば、人類は機械の使う道具になります。

 思想のいかんを問わず、今一度自身が利用し利益を享受する技術が、誰が負っていた責任を効率化する代わりに、自分達利用者、そして提供者が、どのような責任を負うことになっているのかを自覚することが必要です。

 技術が技術であり続けることを望むのであれば。

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