#4 夜の魔物・下①
#4
翌日、わたしたちは車を走らせて町をすきに走った。ユナのつくった旅のしおりを参考に、いきたい場所から、いけそうな場所へ向かい、そして偶然見かけた純喫茶で昼食をとった。
喫茶店のマスターは気のいいひとで、わたしたちが観光に来たと知るとなぜか食後のアイスがサービスになって、つぎに向かうつもりだった古い神社の話もしてくれた。いまの時期は海辺にひとが集まるから、反対に山のほうにある神社は落ち着いており、穴場で、しかも平地よりずっと涼しいという。で、パワースポットで有名なご神木があって、それが縁結びのご利益があるのだとかいって、店を出るときには手を振って送りだしてくれた。
駐車場の車は一時間も離れていなかったのにもう灼熱で、冷房が効くまで汗が止まらなかった。スピーカーからはサイモン&ガーファンクルの決定盤が流れ、暑さをまぎらわしてくれるような、べつにそうでもないような感じだった。
ユナは音楽を聴くのがすきで、ギターが騒々しいハードロックはともかく、わりとなんでもたのしく聴いた。気に入りは古い洋楽で、サイモンの甘い声はとくにすきみたいだった。
でもユナは、たとえ補聴器があっても、すべて耳で歌詞を追って音楽をたのしむことはできない。カラオケのテレビ画面に出てくる歌詞みたいに、順々にいまはどこを歌っているとか教えてもらえないかぎり、彼女はすぐ音楽を見失ってしまう。それで彼女がどういうふうに曲を耳で聴き、感じているのか、正直なところわたしにはよくわからなかった。ただ、曲が流れたら彼女はうれしそうにする。それだけがたしかに知れていることだった。
ちょうど『59番街橋の歌』がスピーカーから流れてきた。ユナがいちばんすきな曲で、となりでずいぶん愉快そうにしているのが運転していてもわかる。車のエンジン音と混ざって、きっとふだんよりうまく聴こえないのだろうけれど、それでも彼女の耳に音楽が届いているのなら、それ以上にすてきなことはなかった。
山の麓の駐車場に停め、石段をのぼっていく。数分のぼったところで、ようやっと灰色の鳥居が間近に見え、そのころにはふたりとも汗だくだった。ユナは麦わら帽子のしたで息を切らし、鳥居を潜ったらもうぐったりで、わたしが手を引かないと歩く気にすらならなかった。
とはいえ境内は、こころなし麓よりかは涼しい感じがする。標高があるからなのか、それとも神聖な空気感がそうさせるのか知らないが、ひとがすくないのもあいまって、落ち着くにはちょうどよかった。
参拝を済ませると、社務所でお守りを買った。わたしは交通安全のお守りを、ユナは散々悩んで健康祈願を選んだ。「体調、気になるから」とユナはいいわけするみたいにしゃべる。わたしは微笑んだだけで、なにもいわなかった。
巫女さんに場所を訊ねて、神社の裏手にあるご神木まで歩く。もうユナは完全復活を遂げており、わたしよりずっと先を歩いて、ご神木のまんまえまで駆けた。わたしは元気な彼女の振り子のように揺れるおさげ髪を見ながら、ゆっくりあとを追う。
彼女はご神木のまえで手を合わせ、それからじっと祈った。わたしもそれに倣って、緩やかな風の吹く木陰に合掌した。時が凍りづけにされたような涼しさがあった。
ご神木を離れるとき、わたしはなにを祈ったのかユナに訊いた。ユナはいたずらげに目を細めて、なにも答えなかった。鳥居を抜けて石段を戻ろうとしたら、ユナはわたしの服の裾を引っぱり、スマホを構えた。いちおうピースサインをしておく。シャッター音がして、ユナはうんとおおきく肯いた。いいのが撮れたらしい。
「景色、いいね」
わたしはなんとなくいった。のぼっているときは気づかなかったが、こうして立ち止まって眺めると、その絶景ぶりに驚く。鳥居はうつくしいフレームのように向こう側の景色を切り取り、海沿いの町をここでは一望できた。
「ユナの写真も、撮ろうか」
訊ねると、ユナはしばらく悩んで、わたしのとなりに来た。ツーショットでもういちど撮るらしかった。のぼってくるひとも、おりようとするひともおらず、記念撮影にはタイミングがよかった。
わたしはきちんと笑おうと思った。昨日の道の駅で撮った写真は、夜に見返すと失敗した福笑いみたいで奇妙だったから、こんどはちゃんと自然に笑おうと思う。やりかたはわからないけれど、がんばってみる。
で、シャッターを切ったあと、ユナは写真の出来をたしかめて、口を覆って笑った。笑顔に失敗したらしかった。わたしは写真を覗く勇気がなくて、逃げるように石段をおりていき、ユナは慌ててついてきた。まだ笑っていた。笑い転げてしたまで落ちるんじゃないかというくらい。
日陰に停めていた車は、まだ灼熱というほどではなかったが暑いことにかわりなかった。わたしたちはふたりして旅のしおりを眺め、つぎの目的地をさがす。ここから車でいくとどの観光地もそれなりに距離がある。
わたしは……わたしはなんとなく、美術館にいこうといった。ユナは、わたしの口元の動きを見ていたが、一瞬わからなかったようで首を傾げた。びじゅつかん、とわたしが再度はっきりいうと、ユナは目を瞠って、それからたのしそうに肯いた。
§
美術館にいくのはいつぶりだろう。二回生の夏ごろからとんといかなくなったから、それこそ一年ぶりかもしれない。
車内では『いとしのセシリア』が流れ、わたしたちの旅路を鮮やかに彩っていた。ユナは、わたしが美術館にいくといいだしたのがまだ信じられないのか、カーナビとわたしの顔を交互に見て、あまり落ち着かない。わたしはそのようすがおかしくて、赤信号を待つあいだ、いちど彼女の顔をしっかり見て「だいじょうぶ」といった。彼女は肩をすくめて、ようやく安心したのか、それからはスピーカーから流れる曲に耳を澄ましていた。
むかしは、ふたりで出かけるのに美術館が外せなかった。アパート近くの美術館であたらしく展覧会が開かれると、そのたびにふたりでいき、その展示が気に入ったら期間中にリピートすることもしょっちゅうあった。わたしは半分、勉強のつもりで、もう半分は(というか本音は)ユナとのデートのつもりで美術館までの道のりを歩いた。
なにか催しがあるたびに、おなじ美術館に何度も付き合ってくれるユナは、そもそも展示を眺めるのがすきみたいだった。とくに現代アートが好みで、わけのわからない抽象画をまえに小一時間見入っていたこともある。そして帰りのカフェで感想会を開くと、もうとめどない批評があふれてきた。筆談ノートができてからは、そこに感想を書き込むようになったので、むかしのノートを見返せば一冊に十回は濃い批評文が登場する。
わたしが美術館にいかなくなって、だから最初、ユナは特別展示がかわるたびに誘ってきた。美術館がすきなのはユナもおなじで、バイトがどうとか雑な逃げ方をするたび、露骨に寂しがっていつも顔を伏せた。次第に誘いの頻度は落ちていったが、それでもことあるごとに美術館の名前を出し、気になる催しがあればすぐにラインを送ってきた。
鑿を握れなくなり、休学を決めた月、近所の美術館でたしか海外の彫刻家の作品展が催されることになった。
バイトから帰るとユナがいて、ちょうどそのチラシを見ながらコーヒーを飲んでいた。彼女はわたしに気づくと「おかえり」とやんわり発音して、コーヒーがいるか訊ねた。わたしはコートをハンガーにかけながら、ちいさく肯いた。
彼女がコーヒーを淹れてくれるあいだに、わたしはテーブルのうえに置かれたチラシを手にとる。特別展の宣伝文句はろくに読めず、目が滑り、頭痛がした。ソファに腰かけると、わたし用のコーヒーカップを手にしたユナがとなりに来て、「どうかな」とわたしの顔を覗いた。
「ごめん」と首を振り、わたしはカップを受けとる。とうていいく気にはなれなかった。ユナはいつものように表情を曇らせて、それからめっきりしゃべらなくなった。
コーヒーは苦く、圧し潰されそうな孤独感があった。どれだけ時間が経ったろう、押し黙ってどす黒いコーヒーを飲み、カップの半分くらいまでかさが減ったころ、ユナはおもむろに筆談ノートを開いた。そして、緩慢な手つきでオレンジのボールペンを持つと、ペン先を数秒、宙に迷わせてから「もう、誘わない方がいい?」と書いた。
緑のボールペンを握ったのは、それから一分ほど経ったころだった。わたしはノートを彼女の手から受けとり、膝に乗せ、なにか返事を綴ろうとする。手が初期微動のように震えているのに気づいて、ぞっとするほど嫌な予感がした。なにも書いてはいけないと思った。手の震えが大きくなる。思わずペンを投げ飛ばした。
急なことに驚いたユナは、心配そうにわたしの表情を覗き、そして震える右手に手を伸ばした。わたしがそれを、自分でも信じられないほど強い力で打ち払うと、彼女は救いのない暗やみに突き落とされたように瞳孔を開いた。ハッと背筋が冷えて、わたしはなにかいおうとしたけれど、もう身動きのとれない場所にいた。声が出ない。なのにいまにも叫びだしそうで、それで脳が灼かれるようなひどい苦痛があった。
「帰って」と、わたしはからがらいった。「今日はもう、帰って」
消え入るような声だったが、ユナには唇の上下で伝わった。彼女が不安そうに、あいまいに肯くので、わたしは内心ほっとした。あともうすこしで、わたしはずっと恐ろしいことをしでかしそうだった。
ユナは荷物をまとめて、チラシもトートバッグにしまうと、静かに「ごはん、ちゃんと食べてね」とノートに書きつけた。そして、リビングを出ていくまえに「ごめんね」ときれいに発音した。ドアを閉める音が響くと、わたしは知らないうちに泣いていて、自分勝手で醜かった。わたしの胸のうちの目も当てられない煮えた沼地が、ごとごとと不穏な物音を立てて広がっていくのを感じた。
その日から、ユナはめっきり美術館に誘わなくなった。わたしのまえでは絵や彫刻の話をしなくなり、筆談ノートからは一度で数千字にも及ぶ批評が消えた。やがてわたしが病院に通わなくなったときも、彼女はかなしそうな目をしながら、ほとんどなにもいわなかった。
ただ、となりにわたしがいることだけを、ユナは毎日たしかめていた。甘い不干渉によって成り立つ半同棲の日々は、彼女にとって、きっとわたしの生を繋ぎとめるためのその場しのぎだった。そして同時に、彼女が彼女を繋ぎとめるための脆いホーサーに過ぎなかった。
だとしても、彼女はたまに、たとえば趣味でつくった旅のしおりの最後のページなんかに、美術館の名前を載せた。目立たないよう、ひっそりと、ちいさくまとめた。わたしが気づかないふりをしたっていいように、彼女が忘れたっていいように、そして微かな祈りを込めて書いた。それは彼女のしたたかさであって、ある意味では卑屈さだった。
すべては曇りない善意によって裏打ちされる、打算に満ちた愛すべき願いだった。知らない町の知らない道でカーキのラパンを走らせながら、わたしは、今日ならその願いに向き合える気がする。きっとそれは夏の魔術で、ありもしない陽炎に揺蕩う幻想であり、誕生日の無意識に浮かれたこころの気まぐれだったけれど……それならそれで、べつによかった。