#2 ユナ①
#2
ユナを駅まで送ると、今日の予定がおわってしまった。わたしはやたら混んでいる市街地を走らせながら、ジョン・レノンが歌う車内でどうしたものか迷っている。
あっという間に盆にはいり、いまやもう梅雨の残り香もしないからからの八月だった。今日から三日、ユナはこの町にいない。クリーニング屋も休みにするようで、結局、わたしはなにもすることがなくて、ただじんわりとした虚無感が胸に沁みついてはなれない。
予定がないなら、と、いちどユナの帰省に誘われたこともあった。八月にはいったばかりの、たしか二日だったと思う。その日は昼から長引いた猛暑がうっとうしくて、寝苦しい夜だったが、そのぶん雲ひとつない夜空できれいな満月が出ていた。わたしたちはベランダにうちわと冷酒、ついでに安売りしていたチーズをもちだして、月を眺めながら乙な晩酌とでもしゃれこもうとした。
熱を孕んだ夜の空気はずっしりと重たく、冷酒でふっくら火照ったからだに吹きつける風はあまり心地よくない。それでも、物干竿のしたで冷たい酒を呑みながら見る月は、ユナにいわせると悪くなかった。悪くない、というのは手話的な表現で、ともすれば微妙なものいいだと思われそうだが、実のところは評価として上々という意味らしい。
うちわで汗を冷ましつつ見上げる満月は、たしかになかなか乙だった。酒がすぐにぬるくなる以外は、暑さもまた風流として許せる気もする、酒がぬるくなった以外は。くまなき月の煌々たるさまを、舌触りのだんだん悪くなっていく酒を呑みながらぼんやり眺めていた。
と、ふいにスマホが震えた。見ると、ユナからラインが来ている。となりに視線をうつすと、いまもなにかメッセージを打ち込んでいるみたいだった。手元にノートがないので、それにリビングから取ってきたところでベランダに広げるスペースもあまりないので、妥協したのだと思う。
ユナは筆談がすきだった。文字を書くのがすきで、書いた文字が紙のうえにしっかり残るのがなにより気に入りらしかった。それはもう執拗なこだわりにも近くて、わたしがなにか手話を覚えようとするとそれとなく嫌がるほどだった。
そのためにわたしは彼女と付き合って一年半経つのにほとんど手話も覚えず、ひたすら筆談をしたノートが増えていくだけだった。そしてノートが手元にないときは、まだ文字として会話が見えるSNSを使った。でもそれはきっと、彼女にとってはまさしく妥協でしかないのだと思う。できることならペンを握り、罫線にそってちいさな字を書き連ねていくのがユナにとってはよいにきまっていた。
「あつい」と、短い文面だった。「リコはだいじょうぶ?」
「わたしは平気」画面を叩いて返信する。「なかに戻ろうか」
「もうちょっと」
ユナはベランダの欄干に上体をあずけて、ひとくち酒を呑んだ。目がとろんとして、彼女はあまり酒に強くないから、汗ばむ夜にもう眠気がまわってぼんやりしているように見えた。ユナはつかみどころのない雰囲気でチーズをつまみながら、空いたもう片方の手でゆっくりとメッセージを入力している。
「ちかごろ、調子はどう?」
「どうって?」
「体調、とか」
「まぁまぁかな」
ユナは続けてなにか打ち込んでいるが、どこかで数秒とまって、それからしばらく送信しなかった。どうしたのかとスマホを覗きこもうとしたら、身をよじらせてくすくす笑い、首を振った。結局、その文章は見せてくれないまま、いつのまにかすべて消去したみたいだった。
代わりに、彼女はわたしの肩にぴったりと寄り添うようにして、それからまた月を見上げた。冷めることを知らない真夏の夜風がわたしたちを吹き抜けて、遠くでクラクションの音がした。ユナはもういちどスマホを叩きはじめて、
「お盆に、予定ないんだよね」
「うん」
「おかあさんが、会ってみたいって」
「わたしに?」
ユナは肩をすくめた。あなた以外にだれがいるの、とでもいいたげな仕草だった。
わたしは……答えに窮した。すくなくとも、すぐ肯く気にはなれなかった。その反応をユナはきっと見越していて、だから間髪入れずに、
「むりしなくていいよ」とトークを繋げた。「うちの地元、すごく暑いし」
それで、この話はおしまいだった。しばらくするとわたしたちはそろって部屋に戻り、おなじシャワーを浴び、おなじベッドに眠った。わたしはユナを傷つけたと思う。彼女はなにも変わりなく、静かに笑い、やがてわたしの腕のなかで健やかな寝息を立てたけれど、わたしは彼女を傷つけたと思う。冷房の音がうるさくて、わたしはずっと眠れなかった。天井の暗やみがわたしを見つめている。目に見えない無数の目を覚えている、ずっと。
§
わたしはひとつの目的もなく、とあるショッピングモールの駐車場にいた。まっすぐ家に帰る気にもなれず、かといって特段の用事もないから、なにもなくても時間をつぶせる場所にいきたかった。そうして選んだのがショッピングモールだった。
冷房の効いた車を降りると、むっとした暑さが皮膚を逆なでした。足の進むのをたしかめながら薄暗い立体駐車場をゆく。
盆休みのショッピングモールは盛況で、真夏日の外と較べると肌寒くすらある屋内にはあまりにも眩しい家族連れが目立った。わたしはひとりぼっちで雑踏に紛れ込み、二階、三階とてきとうに物色して、最後は映画館にきていた。いまどういう映画をやっているのか、まったく知らなかったが、ユナのすきな女優が主演しているものがあったので、なんとなくチケットを買った。いちばん近い上映時間ではほぼ満席だったが、それでもシアター左端の席が空いていたのでそこにした。昼食はポップコーンでいいと思った。行列は長かった。わたしはすでに頭痛がして、ろくに映画も観れない予感がした。
ポップコーンとコーラを買い求めても時間が余ったので、こじんまりしたグッズ売り場で若干の暇をつぶしてから、シアターにはいった。たぶん特撮か子ども向けのアニメ映画があったのだろう、ちょうどたくさんの親子連れと通路ですれちがう。チケットで何度か確認して、3番シアターにはいる。まだ客入りは微妙だったが、わたしのうしろからも続々とひとが雪崩れ込んで、たしかに満席になるのもすぐだろう。さっさと買った席に座る。映画の内容はまったく知らなかった。
それにしても、こうして映画館で新作を観るというのはひさしぶりだ。去年の冬からは、おそらくいちども劇場のスクリーンでは映画を観ていない。そもそも、映画を観ることそれじたいが長らくなかった。たいてい二時間、短くても九十分という量の映像作品を鑑賞するには、それなりの体力と精神的な余裕が必要なのだと思う。
大学一回生の時分は、製作の参考によくひとりで映画を見にきていた。石を彫るのに、映画がどう参考になるのかといわれると難しいが……すくなくとも刺激とモチベーションにはなったし、鑑賞後、たまにアイデアが降ってくることもあった。そのころは映画だけではなくて、美術館や博物館にも暇があれば足を運んだし、そうして出かけるときはとなりにユナがいた。家では小説も読んだ。音楽も聴いた。充実していたと思う。
それが、大学二回生の秋ごろから、だんだんとできないことが増えてきた。音楽にノイズがはいるように感じられて、本を開いてもぼんやりしてしまう時間が多くなってきた。博物館や美術館には次第に足が向かなくなり、映画もひとりでは観なくなった。そして冬にはいり、アトリエで鑿とハンマーがてのひらから零れ落ちたあのとき、わたしから伸びていたさまざまな枝筋がぷつんと途切れて、虚無が残った。
いま、こうしてわたしが劇場の席に座り、スクリーンを見上げているのは、だから異常なことだった。暴力的な音量で流れるあまたの予告編を、ポップコーンに手も付けず、からっぽの瞳で見つめているのは……おかしい。わたしはこんなところにいるはずじゃない。動けない。
やがてとなりの席には二十代くらいのカップルが座り、なんとなく、どういう映画なのか察せられた。憂鬱な気分がして、思い出したようにふとポップコーンを一粒口に含むと、無味だった。さらにあたまが痛くなってきた。シアターは暗がりへとかわる。また数本の予告編が流れたあと、スクリーンは暗転し、微妙な静けさが会場を包み込む。オープニングのロゴが出て、映画がはじまった。裸の主演女優がベッドから起き上がるシーンだった。