04.文字通り乳母にすべてを預けた
掴まり立ちにチャレンジして転がり、頭を強く打った。大泣きする私を乳母が抱き上げる。慰められて、すんすんと鼻を啜りながら新しい情報を得た。掴まり立ちは足の筋力以上に、腕も鍛えないと無理。もっと這い這いで前足……じゃなかった、腕を鍛えなきゃね。
何より、赤子は頭が大きくて重かった。当然だけど転がる時は頭から着地する。これも考慮して動かないと、今回のように激痛に泣く羽目に陥るのだ。私はひとつ学んだ。前世の赤子の頃の記憶なんてないから、一から学び直しばかり。
頭を撫でる乳母の腕に甘えながら、豊かな胸に顔を埋めた。変態じゃないよ、本能だからね。柔らかくて安心できる温かい胸は、凄く安心した。痛みが和らいだ気がする。
「お嬢様、今夜は早く寝ましょうね」
眠りに誘う子守歌に耐えること10分……嘘です。ごめんなさい、一瞬で寝ました。
肌寒さにぞくりとする。寒くて目が覚めるなんて一度もなかったのに。石造りの建物だからしんしんと冷えるが、外を覆う苔のお陰か隙間風は少なかった。一気に目が覚めて、ぱちくりと瞬く。
……ん?
おくるみに包まれてよく見えないけど、もしかして屋外にいないかな? 寒いのは、屋外にいるせいで……ということは、季節は冬。私が殺されたのは夏だっけ。袖がないドレスだったから、暑い季節のはず。
昼間はさほど寒くなかったので、冬というより春先かも。草も枯れてなかったし。あれこれ考える間に、ぎゅっと抱き締められた。この柔らかいお胸は、間違いなく乳母だ。一瞬強張った体から力が抜けた。
「ああ、起きてしまったのね」
困ったと声に滲ませる彼女の顔を見上げ、私はぐっと堪えた。危ない、大きな声で泣くところだった。赤子の情緒ってよく分からないわ。なんで泣きたかったのかしら。
「お願いだから泣かないで」
頼まれたので気合いを入れる。突然泣きそうになるけど、堪えられるみたい。乳母の声は優しくて、私は素直に従った。触れる指先は冷えて少し震えている。私が泣いたら困る状況なのは、間違いなかった。
夜、木々の生い茂る森を抜けるのは恐ろしい。葉擦れの音や揺れる木漏れ日が、こんなに恐怖心を誘うとは思わなかった。それでも、かっと目を見開き我慢する。泣いたら終わり、なぜかそう感じていた。
乳母が私を害すつもりなら、とっくに死んでいる。事故に見せかけて私を殺す気なら、いくらでも彼女はチャンスがあった。にも関わらず、こっそりと私を塔から逃がそうとする。間違いなく、あの塔に残ってはいけない理由があるんだわ。
我慢していたけど、堪えきれなくて……いつの間にか私は眠ってしまった。押し殺した呼吸と乳母の温もり、しっかり抱き抱える腕の強さ。今信じられるのは、乳母だけだった。
記憶が戻った初日に会ったきりの母親より、ずっと近くにいる人だ。どうせ一度死んだ命だし、今も昔も抵抗できないのは同じ。文字通り、すべてを乳母に預けるしかないんだもの。