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ああ、うるわしのイライーダ!  作者: 安芸ひさ乃
イライーダ様、肚を決められる
3/4

 *




 人生の轍が狂う時、大抵不吉な風が吹くものだ。

「ふうむ」

 イライーダは書簡を手に顎を掻いた。それは前皇配からの年に二度ばかりの荷物に入っていた物で、特段問題ないといえば問題ない代物である。

 そもそも前皇配はひどく頭のいい人間で、余計な証拠を残すことをよしとしない。いつも中央学舎にかかる費用を一括で支払った上、最低限『愛しい孫への荷物』という態の無害な代物を送ってくるばかりなのだ。

 だのに、今回の手紙は違った。

「どうしました?」

 アリビーナが寄ってくるのにイライーダは手元の書簡を手渡す。彼女は静かに目を動かし、「おかしいですね」と静かに言った。

「帰ってくるな、ですか」

「わざわざ暗号にしてね。何かあったんだろうか」

 あの前皇配ならある程度のことはどうにか出来る筈だ。愚かな息子の即位は阻めなかったが、非公式の軍隊は水面下にて編成済みである。ここぞという時には確実に動ける筈の戦力を有している男がわざわざ、どうして。

「国がきな臭いのは聞いたかい?」

「ええ。国がというか、王宮の様子がおかしいらしいことは」

「商人の耳目は千里を駆けるものだね」

 全く、と呟きながらイライーダは荷物の中にお情けのように入れられた焼き菓子を手に取る。木の実を混ぜ込んだそれは子供に人気があることは勿論、保存性と腹持ちとで兵卒の携帯食料代わりにもされている物だ。

 イライーダが歩を進めると、アリビーナは何を問うこともなく共に歩を進めた。時は夜半、おおよそ女子生徒が寮外に出る時間ではない。しかし二人はいつでも一緒だった。今までも、これからも。

 さて、中央学舎の外には大きな森が存在している。生徒を無闇に外に出さず、また外部者を入れない為とされるその森はこの中央学舎の最後の砦とも言え、精霊使いの監督が交代で見回りをしている場所だ。イライーダ達が入学するまで、それこそ羽目を外しに行こうとした生徒が監督の契約する精霊に丸呑みにされて引きずられる姿が散見されていたらしい。勿論イライーダ達入学後の女子寮には退学者が出ていないので、基本的に無関係な話である。

 そんな森の中を、イライーダはいつしかアリビーナと離れ一人歩いていた。そうして暫く、仔兎がピョイと跳ねるのに「案内しておくれ」と軽やかに笑う。果たして、仔兎はピョイピョイと跳ねては後ろを振り向き、跳ねては振り向きして、イライーダを誘うように森の奥へと誘った。

「イライーダ様!」

 やってきた茂みの奥、古ぼけた木の裏から小柄な一人の人間が顔を出す。喜びを隠さぬ可愛らしいそのひとに、イライーダは苦笑いで手を差しかけた。

「眠っていたのかい?」

「先程まで。顔が汚れていましたか?」

「いいや、可愛らしい寝癖さ」

 暗闇でもニィの愛らしさが増してしまうな。

 言うや、ニィと呼ばれたそのひとは顔を髪と同じく熟れた果実のように染めて恥じらった。イライーダのような美貌のひとに言われてもと思うかもしれないが、イライーダは常に快活に物を言うものだから誰もが素直に受け入れては喜ぶのだ。

「少しばかりだが保存食だ。腹持ちがいいからお食べ」

「感謝致します、イライーダ様。私は何もお返し出来ず、心苦しいばかりです……」

「そんなことはないよ、ニィ」

 イライーダはからからと笑い、まるで気にすることなく地面に尻をつく。すると我も我もと兎や栗鼠といった小動物達が集い、イライーダの周りでその身体を温めるかのように寄り添うではないか。

「わたくしは今までこうした素敵な目に会うことはなかったし、何よりニィが可愛らしい。お前様の愛らしさだけでも釣りが来る程だろう」

「はわわわわ」

 なんということだろう! ニィは顔を覆って腰を砕けさせた。社交辞令とは斯様に攻撃力のあるものなのか、ニィはイライーダに出会ってからいつでも胸を高鳴らせて唐突に死んでしまいそうだと思っている。イライーダもそれをわかって笑っているのだから質が悪く、それでもやめる気は毛頭ないのだった。こうしたイライーダの言動は既に身に付いて離れぬものでもある。

「さて、こちらが炭だ。あまり手を汚さないようにね」

「! 有難うございます……!」

 端切れに包まれているのは小さく細い木炭の欠片だ。芸術科目での余り物だが、中央学舎で使われているだけあって質はよい。

「どうしてもそばかすが取れてきてしまって……」

「美しい肌だろうに、勿体ないが」

「イ、イライーダ様……ッ!」

「他人行儀な。イーラと呼んでおくれと言っているのに」

「いえ、いえ!」

 じりじりと離れようとする身体を追い、つつと先程寝癖を直してやったばかりの髪を一房摘まむ。まっすぐな赤い髪はよくよく見れば薄っすらと色褪せてぼやけてきていた。

「染料も落ちてきているな」

「は、はい……。また、どこかで染め粉を買うなり、泥を被るなりしなければいけません」

 つまり、このニィという人物は髪を赤く染め、炭でそばかすを描いて過ごしているのだった。どれもこれも、ニィがとある理由でその身を追われているが為だ。

「いつまでもそうしてはいられないだろう」

「……わかってはいるんです……。でも……」

 私は、争いたくない……。

 イライーダはその言葉を責めはしない。闘うということはつまり、他者を巻き込むことでもある。その責任を負う覚悟もなく拳を奮えと言うのはそれこそ無責任であろう。涙を湛えて揺れる榛の瞳にイライーダは穏やかに笑顔を向け、その小さな頭を緩く撫でてやったのだった。

 暫しの語らいののち、イライーダはニィと別れ、野鼠に連れられて森を抜けた。抜けた先、いつの間にやらずっとそこにいたかのように、アリビーナが歩幅を合わせて付いている。

「気の所為でもなんでもないと思いますので敢えてお伺いしますけれど、あの小柄なお方、私と色々似通った部分がございますね?」

「そうだろうそうだろう。だから初めて出会った時、思わず優しくしてしまって」

 うふふ、お手をどうぞ。するりと晒された掌に、アリビーナは至極当然のように掌を乗せる。

「話の端々を合わせるに、家族に追われているらしく。まっこと我が姫によく似ておられる」

「まあ」

 楚々と笑みを浮かべたアリビーナはしかし、表情とは裏腹に小さな声でこう問うた。

「それで、その実?」

「目星はついているとも」

 イライーダの瞼の裏、小さな身体で精一杯に腕を振って見送ってくれるニィの姿が焼き付いて、離れない。




 中央学舎は厳しい規則こそあるものの、その規則を守りさえすれば学生をきちんと保護してくれるし、自由にもしてくれる。

「よい便箋が手に入って何より」

「ええ。お祖父様に喜んでいただける、よいお手紙が書けますでしょう」

 前皇配への返信用にと、二人は中央学舎を出て街の文具店を訪っていた。事務方に申請すれば中央学舎共用の質のよい便箋一式は支給される。だがそれも味気なかろうと、気分転換がてらの外出だ。

「たまにはこうして出歩くものだね。国では気軽にはいかなかったから、なかなかどうして身に付かないが」

「あらまあ。そう言いながらひょいひょいと外出する不良騎士ですのに」

「ははは、ひどい言い様だ」

 からからと笑うイライーダの髪が光を纏って輝く。イライーダはどうしたって目立つものだから、彼女が出歩けばひとの目を避けることは出来ない。街中ですらどこぞの娘達から恋文を貰う始末なので、ちょっとしたお忍びなど夢のまた夢なのだ。今日も今日とて、幾つの恋文とお誘いとを断ったことか。

「アリー、お茶などどうだい? 小さいけれどよい店が出来たと先程娘さん達に聞いてね」

「卒がありませんのね」

「こういう時でないと行けないだろう? 我々の自由など束の間のものだ」

 芝居がかったようにそう言い、イライーダは腕を差し出す。その腕にアリビーナは手をかけ、誘われるまま路地を曲がった。と。

「アリビーナ姫とお見受けする」

 す、とどこから湧いたのかと思う程自然に、くすんだ長衣を頭からすっぽりと被った者に進路を阻まれる。どこからどう見ても不審者だ、イライーダはにやりと笑ってアリビーナを背に庇った。

「共に来ていただきたく」

「小汚い格好をして小汚い真似をする。遠方までご苦労なことだ」

「減らず口もそこまでだ、栄華の道から落ちぶれた者めが」

 男の腰から小刀が鈍く光っているのが見え、イライーダも腰を深く落とした。一国の姫の騎士ゆえ、街中での佩刀は許可されている。柄を握ろうとした、刹那だ。

「!」

 複数の小刀が男に向かって投擲される。跳ね除けようとした動作で頭巾が剥げかけたのだろう、思わず体勢を崩したところに更に一回り大きな刀が当てられた。

「動いたら死ぬぜお前」

 こちらもまたどこから湧いたものか、随分と小柄な人物が男の首をしっかりと捉えているではないか。

「おやリュカ、有難う!」

 リュカと呼ばわれた人物はイライーダ達の同級生である。他の学生の存在を食いまくるイライーダをして、リュカは我関せずと付かず離れずの立場を維持している男子学生だ。

 それもその筈、リュカにはとあるひとつの能力があって、その結果としてイライーダ達に関わることがなかった、というだけの話である。つまり、今回彼がわざわざ介入してきたというのは、その能力に関わった結果なのだ。

「有難うじゃねえよ」

 気が抜ける、とリュカが息を吐いた瞬間、男の首が刀へと向かった。

「あ、あ!」

「わ、あーくそ!」

 血の吹き出る、軽い音。男はずるりと身体を折り、路上でびくびくと震えている。

「なんだこいつ! わざわざ刃に向かってきやがった!」

 リュカは不可抗力で浴びた血を腕で拭いつつ、その男の身体を蹴って転がした。首と口とから血を吐き出し続ける男を見るに、余程深く刃に首を押し付けたらしい。

「そ、んな、ま、まじょさ」

 ごぼりと大きな血痰を吐き、男はすっかり静かになった。その様を見、イライーダはアリビーナを引き連れて躊躇することなく元来た道へと引き返す。

「おい! こいつはいいのか!」

「放っておけば憲兵が来る! それより問題があってな!」

 一国の姫を引き連れたままでの疾走に、リュカも己の三つ編みを払って後を追ってきた。もしやアリビーナがヒールを挫いてよろけるかも思ったのかもしれなかったが、生憎アリビーナは姫らしからぬ健脚でイライーダと会話を重ねながら走り続けている。

「元々殺すつもりではなかったようですわね」

「きな臭え話だな。国際問題になるだろやめろ」

「まあ、誘拐が目的ではあるだろうがな。あれは帝国の人間だ」

「ちょ、ま」

「うちの人間だ」

「やめろ聞かせるな巻き込むな!」

「我が一門が権力闘争に敗れて負け犬扱いされていることを知っていた。内乱だな!」

「わー! このくそ女!」

 リュカが青い顔をして吼えるのに、しかしイライーダがからからと笑うだけだ。

「閃くものがあって飛び込んだんだろう? 自業自得さ、お前の〈勘〉を信じるんだな」

「……くそが」

 イライーダにくそくそと罵倒を重ねるリュカの能力、それは詰まるところ〈第六感〉だ。その勘でもって都合の悪いところからは運よく逃げ、都合のいいところでは美味しい思いをするのが常で、それは代々継承されてきた由緒正しき能力である。だからこんな状況ではあれど、結果的に『リュカには都合のいい展開』になる筈なのである。

「とにかく! なんで誘拐なんだ! 国に帰れと命令書ひとつ送ればいい話だろうが!」

 全くその通りだ。普通であれば。だが、ここで懸念が浮かぶ。

「少々きな臭いらしい話があってな」

「確かに戻れと命令すればいいだけの話です。けれどそれをしない程急いでいて、かつその後の本人の評価を気にしないやり方……都合のいい切り捨て方でも見つけたのでしょうか?」

 アリビーナが淡々と喋るのに、リュカはその内容も相俟ってますますげっそりとした表情を隠さない。

「きな臭いってとこには俺も耳に覚えがあるぜ。無関係だといいんだが、こう来たらそうはいかねえんだろうな……」

 くそが、と再三吐き捨て、リュカは木立の合間に姿を隠してしまった。体躯が小さいものだからこそ出来る芸当、きっと木々の合間を飛び交って後を付いてくるに違いない。イライーダはその所在を問わず、アリビーナに告げた。

「誰何された。つまりあちらは姫の顔をほとんど正確には知らないということだ。特徴しか伝わっていない」

「特徴?」

「小さな体躯、赤髪、そしてそばかす」

「……イーラ」

「ああ」

 最近特徴のよく似通った人間がいるではないか。イライーダ達は迷うことなく土を蹴り、森へとその身を躍らせた。

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