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ああ、うるわしのイライーダ!  作者: 安芸ひさ乃
イライーダ様、肚を決められる
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 ざ、と草を踏む音にそのひとは怯えた。仰ぎ見てくる榛色の瞳は涙に濡れ、まるで貴石のようにきらきらと輝いている。

「怯えないで」

 白い装束が汚れるのも構わず膝をつき、騎士の構えで掌を差し伸べた。

「わたくしはイライーダ。貴方のお名前は?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ごきげんようアリビーナ様、イライーダ様」

 鈴を転がすような声音に、声をかけられたイライーダは美しいかんばせを綻ばせた。

「エラージャ様、フィフィエリ様、エリゼベーラ様、ごきげんよう! 花のようなお姿を拝見し、今日も朝からよき日となりましょう」

 きゃあ! と黄色い声が飛ぶ。然もありなん、イライーダの髪は豊かに波打つ金糸で、大地を覆う麦のように長い睫毛が美しい金眼を隙間なく飾っている。その美しさにはひとつも隙がなく、またきちんと使う為の筋肉に覆われていながら目を見張る程の長身の為かすっきりとした見目を誇り、無駄な部分がひとつとしてない。

 美しくあり、また強くある。

 豪奢に細工された貴石の装飾品のように、しかし或いはそれらを形作る為の剛毅な一本の金の延べ棒のように、イライーダは誰よりも光り輝いていた。

「さあ」

 イライーダは行き交う女子生徒に笑顔を振り撒きつつ、一人の女性の手をしっかりと取ったまま食堂へと消えていく。正に完璧な騎士の図であり、女子生徒の憧れに相応しい。皆は皆、揃いも揃ってこう言うのだった。

「こちらの中央学舎に入れて本当によかった。イライーダ様が女性と知った時はこの世を呪う気持ちになったものだけれど、女性だからこそ女子寮にいらっしゃって朝から晩まであのご尊顔を眺められますものね」

 そう、イライーダは女性騎士。大陸の端に存在するカッサンディスカ帝国第一王女アリビーナの、唯一の共連れである。

 この独立政府にも等しい大学院である大陸中央学舎は、誰に対しても広く門戸を開いている。中央学舎の生徒達は各国の学ぶ意思のある者達で、男女で寮も分かたれて数年に渡り平等に管理され、監督も配されたそこで学んだ者は一定以上の信用を以て母国に迎えられるのだった。とはいえ、学問と各国要人との横の繋がりが出来るこの中央学舎に入るには頭の出来は勿論のこと人間性も重要であり、矯正出来ぬとなった人間はどういった立場の者であろうとただちに国許へと返される。それだけ厳しく整えられているからこそ、信頼されているのだ。

 その中でも、各国の王族のみ同性の共連れ一人を伴うことが許されている。カッサンディスカ帝国からの久方振りの入学生は皇帝の一人娘、連れに騎士とは納得のいく話であったろうが、その騎士が姫よりも顔を知られるとは思ってもみないことだった。

 本当に、重ね重ね、驚く程美しいのだ、イライーダという騎士は! 隣り合うアリビーナがくるくるもさもさの巻き毛で貧相な体躯をし、そばかすだらけの顔をしているものだから余計対比が凄まじい。なんならちんくしゃのアリビーナの顔を覚えていない生徒もいるくらいだ。実際アリビーナなど、イライーダの背後に置かれればすっぽりと覆われてしまって視界にも入らない。

 イライーダがアリビーナに従ってやってきた時、中央学舎は動揺に揺れたという。というのも、イライーダがアリビーナと共に女子寮へと入ったからだった。あの美貌の騎士が見送りでもなんでもなく、共連れでつまり女性!

 女子寮はそれこそ上も下もないような大嵐であったが、イライーダ達が歩む時だけはまるで平静を装い、誰も彼もが彼女に悪い印象を持たれないよう気を配った。ああ、なんて素晴らしいことだろう。男性なら遠巻きに眺めるだけで終わるというのに、女性であるからこそ朝から晩まであの美貌と共に暮らすことが出来るのだ。この平穏の為にと女子生徒達は諍いのひとつもなくなり、実に平和に過ごすこととなる。

 そうして暫く、特に王侯貴族の出である女子生徒はすぐにひとつのことを考えるに至った。

 ──アリビーナが己の男兄弟と縁を結べば、イライーダが国にやってきてくれるのではないか?

 それはおおよそ当たりであろう。高貴な人間の供となれば、そのまま人生に付き従うことも少なくない。人間性も何もかも一から調べることも、また慣らす手間もないからだ。

 しかし物事は簡単には済まぬものである。彼女達には大きな壁が立ちはだかった。イライーダ達がやってきた国、カッサンディスカ帝国である。

「口惜しいわ。カッサンディスカの出でさえなければお兄様も頷いてくださいましたものを」

「うちも両親が絶対にならんと手紙を寄越しましたの」

「どちらでもそうですのね。こうなりますと、あとはアリビーナ様がどうされるかですわ」

「そのまま帝国にお帰りあそばすのかも」

「……イライーダ様のご尊顔が」

「垣間見ることも出来なくなりますわねえ……」

 女子生徒達は大いに悲しみ、けれど前以上にイライーダに執心した。家名で呼び合うことをよしとせず名で呼び合うようになったのもそれからで、つまりイライーダに名を呼ばれたいからという一点に尽きる。この数年、素行不良で退学させられる女子生徒がいないのはイライーダの存在が為であると、寮監督は記録している。




 さて、件のカッサンディスカ帝国は大きな領土を誇る帝国であるが、近年頓に評判が悪い。というのも善政を敷いた前女帝の病没後、帝位に就いた皇帝がものの見事な唯我独尊の男尊女卑、どこに女帝の血を置いてきたのだという有り様で国を治めているからだった。

 しかし女好きの皇帝ながら胤には恵まれぬのが唯一幸いというべきか、多くの女を収めた後宮にあって子供はたったの四人しか生まれず、内一人、末子で唯一の姫がアリビーナだ。

 帝国の人種は〈黄金の血〉とも呼ばれている。その言葉の通り民すらも小麦色や薄い金色の髪色をしており、中でも皇帝の血筋は必ずや美しい金髪であった。その中においてアリビーナ姫はくるくると渦を巻くような見事な赤い巻き毛をしていた。──赤髪である。

 皇帝は怒髪天を衝いた。妃が浮気をしていたのか、もしくは不出来な子供が産まれてしまったのか。前者においては妃が出産と同時に亡くなった為真相は闇の中であるし、後者においてはそもそも女という時点で皇帝にとっては不出来も不出来だ。

 アリビーナは産まれ落ちて即、父皇帝にその存在ごと打ち捨てられた。打ち捨てられながら殺されずに済んだのは、皇帝の父、つまり前女帝の皇配たる祖父が彼女を引き受けたからである。

「一人くらい可愛い子を身近に置いても許されるだろう?」

 祖父は女帝を立て、ただ静かに国に貢献してきた学問の徒だ。皇帝も流石に親の顔は立てるが、口うるさいだけの今や地位もない男親が子供一人で黙るのならよしと思ったのであろう。

 そうこうして離宮に追いやられた隠遁暮らしの前皇配の元で、アリビーナは乳姉妹を得て後宮の毒牙にかかることなく育ったのだった。その乳姉妹こそが美貌の騎士たるイライーダである。

 そんなアリビーナ達が地味な生活を捨てさせられたのは十四の歳の頃の話だ。

『中央学舎へ向かえ』

 皇帝から届けられた書面一枚でアリビーナの行く先は決定付けられた。思うに、女がいても使い道を考える気もなければ使う気もないし、己の手で他所の適当な嫁入り先を得よとのことなのだろう。皇帝一家は己らが秀でていると他を見下しているものだから、自分達からどこぞに伺いを立てるつもりは一切ない。後宮の女達も自国民か流浪の民ばかりで、けれどそれゆえに他国との諍いは今のところありはしないのだ。

 つまり、アリビーナ達に学がないとなって中央学舎を出されるようであればそれを恥と責めて修道院へ押し込め、全てを終いにするつもりに違いない。それくらい皇帝一家に面倒と思われている自覚はある。何せ幼い頃はわざわざ貶されたし、イライーダとは引き離されそうになったし、二人とも無礼な女だと襲われそうになったことも一度や二度ではないのだ。

「はっはっはっ、正直正直」

 イライーダは不敬にもそう高笑いし、書状を持ってきた侍女が驚きで目を見張るのにも構わず「勿論わたくしも共に参りましょう」とアリビーナの手を取った。

 正式な通告書としながら文官でもなんでもない侍女に持たせている時点で舐められているのだ、共連れくらいどうとでも出来る。このままこの国で飼い殺されるより余程よかろう。

 それから三年、アリビーナとイライーダはお互いだけでこの学び舎で生活していた。初年度こそ帝国から学費が支払われたけれど、次年度から支払いすら滞り、前皇配が全額工面してくれている。どうせそうなると思っていたし、元から貴人らしい暮らしはしていなかったから二人に問題はない。

 有難いことに、中央学舎は年間の単位さえ取れれば生活を保障してくれるのだ。卒業式に出席さえしなければ、それこそ単位を取得し続ける限り学生としての存在を認めてくれる。つまりそれ自体が困難であることの裏返しでもあったが、二人はその難関を突破し続けた。

 学び、鍛え、実に青々しく健康的に、二人は故郷から離れ自由に過ごしていたのである。

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