Endless Summer
【背徳のラム】
『ねぇ、私って欲張りかしら。』
蘭は髪をかきあげて私にこう聞いてきた。
『なによ、急に。』
そう答えると、彼女は私の答えに不服げな顔をして、さっきかきあげた黒髪を撫でるようにして弄った。
『急なんかじゃないわ。ずっと思ってたのよ。私ってとても強欲なんじゃないかしらって。』
『どうして?』
彼女の言葉の意味が理解できず、私は彼女の言葉をかき消すように聞き返した。
夕方の赤い空が教室を明るく照らす。外からは、グラウンドで練習している野球部の声が聞こえている。赤い空を背景に、机の上に座って外を向いている彼女の制服の色も淡く薄赤色に染まっているようだ。
『相反する感情が、いつも胸の中にあるの。それって、結局どちらも私の感情だと思って。』
ぽつぽつ、と彼女は呟く。それに合わせるように、私も短く相槌を打つ。
『うん…。』
『あれも欲しい、これも欲しい、って泣く子供みたいじゃない?』
ふふっと声を出して笑う彼女の表情は、その声色と反して暗かった。落ちていく太陽の影が彼女の顔に憂いの色を重ねていく。
『うん…。』
『私、縛られるのが嫌なの。』
『うん…。』
『時間にも、人にも、自分自身にも。』
『うん…。』
『ああ、それと社会や思想や…。なにもかも!』
『うん…。』
『あなた、うん、しか言わないのね。』
再び、うん、と相槌を打とうとして、私は慌てて、『縛られるのが、嫌なの?』と彼女の言葉を繰り返した。
別にいいのよ、と藍が声を出して笑った。
『そうねえ。私、海賊になりたいの。』
『海賊?』
思わず大きな声で聞き返す。そんな私を見て、彼女は今までよりも大きな声を出して笑った。拍子抜けしてしまうくらい、彼女の夢は意外で、唐突で、それでいてとても奇怪だった。彼女の容姿からは海賊の"か"の字も出てこない。蘭は、名の通り花のような女の子だった。可憐で、美しく、どこか儚い空気を纏う女の子だった。
『意外って思ってるでしょう。』
何かを見透かすように、私の瞳を見つめる彼女は、片方だけ口角をあげて、にやりと笑う。
『本当よ。私はラム酒を飲んで、バンジョーを弾く海賊になるのよ。』
『海賊って今もいるの?』
どうしても彼女の姿から、海賊のイメージが思い浮かばなかった。私は彼女の描く海賊像には触れずに、こう聞いた。
『いるんじゃないかしら。』
彼女の黒髪は、漆黒と呼ぶにふさわしいほど艶やかな色をしている。その髪を惜しげもなく、少し乱雑にかきあげて彼女は答えた。
『いようといまいと関係ないわ。私は1人でも海賊を名乗りたいもの。』
『じゃあ、伝説の黒髭みたいにカリブ海を支配したり、他の海賊と闘ったり。時には宝探しで大冒険するのかな。』
我慢できずに、自分が知っている海賊のイメージをぶつぶつと呟きながら、私は彼女の海賊姿を想像していた。どうしても、可憐な彼女のイメージは拭きれず、荒れた海の中で凛とする彼女の相入れなさが想像できて、思わず笑いが溢れた。
『なに想像しているのかしらね。』
私の考えていることが分かるのだろう。蘭もふふっと声を出して笑う。
『悪いことをするのは嫌いよ。』
法律に反することはしたくないわ、と彼女は窓の外で今にも沈もうとしている太陽を見つめて目を細めて呟いた。
『ただ…。』
『ただ?』
そう言って口を止めた蘭を見て私は彼女の言葉を繰り返した。
『海の上で色んな陸を遠目に見ながら、過ごすのも悪くないんじゃないかしら、と思うだけよ。』
『それは、海賊じゃなくて海の民ね。』
『海の民ではないのよ。私はあの黒い海賊帽をかぶって船に立ちたいの。』
『じゃあ、海賊の格好をした…海の上に住む人?』
私たちは顔を見合わせて笑った。
『蘭の船からはバンジョーの音が鳴り響くのね。なんだかとてものどかな感じね。』
いかにも、という毒々しい海賊の格好をした人が動かす船から聞こえてくるのが、カントリー調のバンジョーというのはなんとも滑稽な気がする。
『そうね、結局私は欲張りなのよ。夢を語る時にも、そうなってしまうの。いい子ちゃんなんてやめてやる、と思って海賊になろうと思っても悪いことなんてできない。せいぜいラム酒を大量に飲むくらいだわ。船から流れるのは、闘いを始める合図の笛の音でも、剣の音でもなく、気が抜けるほどのどかなバンジョーの音。』
先ほどまで顔を出していた太陽は、向こうのビルの中へと消え、一つ、二つと星が姿を見せ出したようだ。
『いい子でもいたいし、悪い子にもなりたいんだわ。』
困ったように俯く彼女は、机の上に座って足を投げ出した。その仕草が、私にはとても魅力的に見えた。足を投げ出すという乱暴な仕草の中に彼女の可憐さが滲み出ていたからだ。直接彼女には伝えなかったが、とても綺麗だと思った。
『暗くなってきたわね。そろそろ帰りましょうか。』
カバンを持ち、蘭が机から降りた。開けていた窓を閉めながら、いつの間にか外の風が涼しくなっていたことに気づく。私たちは、カーディガンを羽織って教室から出た。
『私も欲張りよ。』
唐突に蘭に話しかけた私を見て、蘭は驚いた顔をした。
『だからさ、悪いことその1。今日は寄り道して帰ろう!』
『寄り道?もう結構遅いけれど、大丈夫かしら。』
『少しだけ。楽器屋に行ってバンジョーを見ようよ。』
『海賊の格好をした、悪いことをするのが嫌いな海の上に住む人が、凶悪の雰囲気をした船からメロディーを奏でるのよね。』
私たちはもう一度顔を見合わせて笑う。
『じゃあせめて弾く曲は海賊の曲にしましょう。』
それがいいね、と私たちはスマホで、少しでも怖そうに聴こえる海賊の歌を検索した。
学校の門を出て、目の前の交差点で信号を待ちながら、私は蘭に尋ねた。
『ねえ、ラム酒って美味しいのかな。』
『さあ、どうかしら。』
彼女は少しだけ微笑んで、前を見つめたままそう答えた。
信号が青に変わり、その瞬間涼しい風が吹いて、樹々の葉っぱが音を鳴らす。
『背徳の味…。ってとこかしら。』
秋の匂いがふわりと香り始めた。




