幕間「孤軍奮闘」
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俺は全身の鈍い痛みとともに目を覚ました。
ぼーっとする頭をなんとか覚醒させようと、上体を起こして首を横に振る。
「うっ……ここは……?」
周囲を見渡すと、そこは実に奇妙な場所だった。
真っ白に彩られた空間に、立方体が寄り集まったような形の大小様々なオブジェが浮かんでいる。
俺は立方体の形をした白い部屋の中に座り込んでおり、俺の近くにはたくさんのプレイヤーたちが横たわっている。
明らかに見たことがない場所だが、どうやってここまで来たのか、全く記憶がない。
覚えているのは、巨大な蝶――たしか、彼岸の妖蝶メルズとか言ったはずだ――に襲われて、力及ばずにやられたことくらいだ。
思い返せば、あの蝶はやけに強かった。攻撃しても全く歯が立たず、やられてしまったのだ。
あんなに強い敵には初めて会った。もう一度戦うのはごめん被りたいところだ。
あっ、そうだ。リスポーンの際にミルルとはぐれてしまったが、大丈夫だろうか。
彼女はまだレベルも低いしゲーム初心者だから、兄の俺がついていてやらないとなにかと心配だ。一刻も早く合流してやりたいところだった。
DMは――ダメだ、送れない。ログアウトも試してみたが、同様に出来なかった。
ここでは各種の通信手段が制限されてしまっているらしい。これでは助けを呼ぶこともできないじゃないか。
ひとまず、この謎の空間から脱出しなければならなさそうだ。
俺はふらつく体で立ち上がると、出口を求めて歩き始めた。
幸いなことに、立っている場所から一本の通路が伸びていて、俺は迷うことなく先へと進むことができた。
それにしても、得体の知れない場所だ。一体誰が何のために生み出したのだろうか。
俺は周囲を警戒しながら進んでいった。
通路をしばらく進むと、前方に大きな部屋が見えてきた。
そこからさらに通路が三本伸びており、真正面の通路の突き当たりに開いた穴から光が差し込んでいるのが見える。
「もしかして、あれが出口なのか……?」
俺ははやる気持ちを抑えながら、慎重に進んでいく。
そのとき、耳障りの悪いノイズが聞こえてきて、俺は戦慄した。
それは聞き覚えのある音。彼岸の妖蝶メルズが発していた、ザーザーという異音と同じものだ。
しかも、それだけではない。ぐっちゃぐっちゃという湿った音も聞こえてくる。粘着質の液体がのたうつような音だ。スライムの移動音にとてもよく似ている。
そう思ったのも束の間。立ち止まっている俺の目の前に、三本ある通路のうち右側の通路から、巨大な質量の物体が現れた。
無色半透明の塊は、ナメクジのようにぬめぬめとうごめきながら足場の中央に陣取ると、方向を転換して俺の方に向き直った。
「お、おい……待てよ……なんだよこいつ……」
俺は一歩、二歩と後ずさる。その巨大スライムはじわじわと通路のすき間を埋め、俺を通せんぼするようにしながらこちらへと近づいてきた。
ここで俺は重要なことに気がついた。
ここから後ろは全て一本道。このまま後退していっても、逃げ場はどこにもない。
待っているのは、こいつに捕食される運命だけだ。
ここで攻撃しないでどうする。生き残って、妹と会うんじゃないのか。
「う……おおっ……!」
俺は震える拳を握りしめると、巨大スライムに攻撃を開始した。
基本コンボを叩き込んだ後、ドリルホーンでその流動する体を穿とうと試みる。しかし、スライムはびくともせずに前進を続けた。
HPバーは……ダメだ、減っていない。あのときと、メルズと戦ったときと同じだ。全く手応えがない。クッションのような弾力性のある体に攻撃が吸収されてしまうのだ。
それでも俺は諦めずに必死に攻撃を続けた。巨大スライムに圧されてじわじわと退きながらも、懸命にスキルを発動する。
そうして戦い始めて、一体どれほどの時間が経っただろう。汗水たらした奮闘の果てにも関わらず、結局、俺は最初の正方形の足場まで戻されてしまった。
戦意を完全に失った俺は、両腕を力なく下ろし、両膝をついて呆然とした。こんなの、勝てるわけがない。
「や、やめてくれぇ……」
巨大なスライムはそれでも前進をやめない。
ずぶり。音を立てながら俺の体にのしかかると、巨大スライムはその体内に俺のアバターを取り込み始めた。
「う、あああっ……!!」
液体のどろどろとした感触が全身を包む。俺は圧倒的な絶望感に苛まれながら、スライムの体内へと徐々に一体化していった。
ごめん、メルル。兄ちゃん、最後までお前のこと守ってやれなかった。
俺が流す涙でさえ、巨大スライムは根こそぎ吸い取っていく。
そして俺はついに意識を失った。
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