DIVE43「彼岸の妖蝶メルズ」
俺たちはアムナックの南に位置する風吹きの森の近くまで来ている。ミルルの案内で、この周辺に問題の「ノイズが走る魔物」が出現すると聞いたからだ。
「でもこの辺に出る魔物って言ったら、初心者向けの弱いやつばっかりじゃなかったか?」
「はい、そうだと思います。モンスター陣営のチュートリアル後の開始地点がアムナックですから」
リリーと02は、にわかには信じがたいと言いたげに言葉を交わす。
確かに二人の言う通りだ。こんな低レベル層向けの場所に、危険な魔物が出現することなんてあるはずがない。
俺はリリーたちと同様に疑問に思いながらも、ミルルの誘導に従って森の外縁を歩いて行く。
しばらく歩いたミルルはふと立ち止まると、俺たちの方を振り返った。どうやら現場に到着したらしい。
「たしか、この辺だったと思います」
ミルルはそう言うと、目の前を手で指し示した。左手には風吹きの森が、右手には草原が広がる何の変哲もないフィールドだ。
「いまのところ、何もないみたいだな」
俺が周囲を軽く見渡しながらそうつぶやくと、ミルルはものすごい剣幕で叫んだ。
「そんなはずない! お兄ちゃんはでっかい蝶にやられたんです! きっとまだこの辺りにいるはずです!」
もしかしたら兄が戻ってこないのではないかと不安なのだろう。俺はミルルの下に歩み寄ると、その両肩に優しく手を置いた。
「分かってるよ。大丈夫だから、落ち着いて」
「うぅ……」
その小さな背中を、リリーがそっと撫でて落ち着かせる。ミルルはうつむき加減に、うるんだその目をぬぐった。
俺たちは若干の緊張をはらみながら、周囲を慎重に警戒した。
ただでさえ得体の知れない魔物に、不意打ちをされてはたまらない。戦うなら、正面からぶつかっていきたいところだ。
そのとき、ミルルがビクンと体を震わせた。
「……あっ」
聞く者の背筋を凍らせるような、ザーザーという異音が辺りに響き渡る。
恐怖にガクガクと震えるミルルを背に回すと、俺は腰に帯刀している剣をゆっくりと抜き払った。
やがて木の影からノイズを伴って現れたのは、巨大な赤い蝶だった。
頭上には「Lv.30 彼岸の妖蝶メルズ」と表示されている。本来はパウダーモルフォという種類の魔物だが、どうやらこいつには特別な名前がつけられているらしい。
「どうしてこんなところにネームドモブが!?」
「ネームド……ってなんだ?」
「魔物の中でも、一部の強敵には個別に名前がつけられてるんだよ。こいつもそのうちの一匹ってわけ」
つまり、いわゆる雑魚敵とは一線を画す、特殊なモブということだ。MMORPGではよくあることだと、ネットで小耳に挟んだことがある。
そんな敵がいま、目の前にいる。
「それじゃあ、かなり強いってことですか?」
「ああ、そうだ。油断してかかると一瞬でやられるぞ」
武器の儀仗を構えると、02はごくりとつばを飲み込んだ。ベテランの02がそこまで言うなんて、やつは相当強いに違いない。
まして相手はバグっていて、もしやられた場合は何が起きるか分からない。俺は緊張に背中がこわばるのを感じた。
「02、ミルルのことを頼む」
「ああ、任せろ。お前たちは戦闘に集中してくれ」
俺は右手に持った剣を正眼に構えた。
怯えるミルルを02の方に優しく押しやると、リリーも弓を体の前に構えて戦闘態勢に入る。
「いいか、あいつが羽を大きく背中側に広げたら、必ず距離を取れ。そうしないと即死級のダメージを受けるからな」
「分かった!」
いつもはヒントしかくれない02が正しい攻略法を教えてくれるということは、本当にヤバい攻撃が来るのだろう。
俺はそのアドバイスを肝に銘じながら、彼岸の妖蝶メルズに向かってじりじりと近づいていった。




