カヌレ領
見上げるほど大きな白い門を抜けカヌレ領、カヌレの街に入る。入領は問題なく終わった。門を入って直ぐは平たい田舎の風景がずっと広がり、長閑で豊かな領だと感じさせた。整地された大通りを進むほど家が増え、海をもつカヌレの街に着くと、心が踊った。
気掛かりなのは入領の際に門番が言っていたことだ。
入領許可書でアレンに気がついた門番たちは目を輝かせた。曰く、
「カヌレ領の聖女を迎えに来たのですか?」とのことだ。
「カヌレ領の聖女?」
アレンが眉を顰めたのを見て兵達は自分達の間違いに気づき慌てふためいた。
「自分達の勘違いです!」
「聖女はただ一人だ。教会はカヌレ領の聖女など知らない」
「失礼しました!!」
兵は頭を下げてそそくさと散っていく。
「どういうことでしょうか?」
カヌレ領にも私と同じスキルを持った人がいるのだろうか。
「教会としては見過ごせない案件だな」
渋い顔をしているアレンを尻目に私は再び馬車から見える景観を楽しむ。
カラフルな街並みで至る所に花が飾ってある。大きな運河には船が浮かび、そこに沿ってオープンテラスの飲食店が並んでいた。あちらこちらで楽器の演奏が聞こえ、音楽が有名な街であることを思い出した。
ゲーム通りだぁ!素敵過ぎる。
窓に張り付く私をアレンはクスリと笑った。
「後で一緒に回ろう」
「はい!」
にこにこしている私達を他所にカークはとても居心地が悪そうだ。
今回の旅は私とアレン、カーク、それとアレンの護衛であるダニエルが一緒だ。今回ダニエルが一緒なのはカークの見張り役という意味が強く、後の側近は皆お留守番である。
先ずは腹ごしらえだ。
私はアレンを誘う。
「アレン様!ご飯食べに行きましょう」
「待って。ちゃんとローブを着てね」
身分がバレると面倒臭いので私達はローブを着用する。この街ではお洒落を楽しんでいる人が多いため少し変な目で見られてしまうがしょうがない。フードをしっかり被りカーク達を引き連れて私達は街に繰り出す。
「どこに行きましょう?」
「チェルシーはエリスを探したいんでしょう?だったら酒場に行こう」
昼間から?と思った私の疑問は目の前の光景で納得できた。この港町は陽気な人や観光客で溢れて酒場は人がごった返していた。その中でも一際人が溢れている酒場がある。
私達はその店に入り暫く待ったあと席に案内された。
「いらっしゃい。あら、ロゼの国の人だね!」
そうカークに話しかけてきた店員は美人なお姉さんだった。長い髪を緩く一つ結びにしている。
「あぁ、婚約者と観光がてらな」
カークは私の肩の上に手を置く。演技だから仕方がないとしても、アレンの目が怖い。
「へぇ。ここはいい街だから楽しんでいって」
「ありがとう。ところで数日前に同胞が迷子になってしまったのだけれど、見てないか?」
カークはエリスの人相書きを渡してみせたが店員のお姉さんは首を横に振った。
「見てないわ。こんな可愛い子がきたら覚えてると思うんだけど……」
「そうか、ありがとう」
注文を終えると、他のテーブルから聖女様ー!と大きな声で呼ばれた。私は固まる。
誰!?知り合い?
すると、お姉さんが元気よく「はぁい」と返事をし声がかかったテーブルに向かう。
「びっくりしたわ。もしかして、彼女がカヌレ領の聖女様?」
「聖女は一人しかいない。あだ名にしても不愉快だ。それと、カーク。次にチェルシーに触れたら命はないと思え。汚れる」
「ひっ。協力するんだからちゃんと見返りを下さいよ」
カークは青ざめ私の肩から手を下ろした。その後いくつかカークにテーブルを回らせたが知っているものは居なかった。
「エリスもかなり警戒して動いているのでしょうね」
実際この街にはロゼの国の者は結構いる。貿易商の者や観光客など、紛れるには丁度いい場所だ。
肩を落としていると、隣の席にいた商人の格好をしたおじさんが話しかけてきた。
「あんた達探し人かい?フレイヤが知らないなら街の人間は知らないさ。彼女はこの街一番の情報通で人気者だ」
「そうなのですか?」
フレイヤというのは先ほどの美人なお姉さんだろう。確かに彼女は今も違うテーブルのお客さんと仲よさそうに話している。
おじさんはフレイヤと話している男性を指差す。
「あそこにいるエイモンだって彼女の虜の一人さ。フレイヤを巡っての喧嘩なんてしょっちゅうさ。なんたってカヌレ領の聖女だからな」
「その聖女というのはなんなんだ?」
アレンが不機嫌そうに尋ねているのに対し、おじさんはよくぞきいてくれましたと言わんばかりに説明してくれる。
「彼女にかかればどんな病気もすぐ治っちまうんだよ。教会や薬師なんて目じゃないさ!それに俺も病気を治してもらった一人さ。奇跡の技だ。彼女こそ聖女と呼ぶに相応しい」
「どの様に治療を?」
「彼女は聖水をつかう。飲むとたちまち元気になれるのさ」
「普通に薬を溶かしてある水なのでは?」
「薬師に数日は寝込むと言われていた高熱を1時間も経たずに下げたんだぞ!そんな薬があるものか、本当にすごいんだ!」
そんな有名人に最初に当たった事は喜ぶべき事だが、問題のエリスはこの街にはいない可能性が出てきた。カヌレ領は広い。周辺に村や小さい町がいくつもある。
「はぁ。しかもあの美貌だ。彼女より美人なのは公爵令嬢のクロエ様ぐらいさ。まぁ、俺も実際には見た事ないんだがな。クロエ様も王族に楯突いて国外追放されたっていうじゃないか。事実上、この領で一番美人なのはフレイヤだ」
おじさんはトロンとした顔でフレイヤを見る。この人もよっぽどのファンみたいだ。
「彼女は聖女ではない」
そう言ったのはアレンだ。
アレン様!?面倒ごとはほっといてもいいんじゃない?
「おい!どういう意味だ!フレイヤが聖女でなければ王都の聖女なんて嘘っぱちだ。国が作り上げた偽物だろう」
「は?」
「アレン様!ここは抑えてくださいませ!」
アレンは今にもこの街を焼け野原に変えてしまいそうだ。
それに気がついたフレイヤが駆け寄ってくる。
「ちょっとちょっと!どうしたの?喧嘩は外でしてね」
「フレイヤ、だってこいつが……!」
おじさんはアレンのローブを掴み引っ張った。
その拍子にフードが外れ顔が露わになる。
その美しい美貌に騒がしかった店が一瞬にして静まる。
目を見開いたのはフレイヤだ。
「アレン・デュロイ枢機卿様……?」
「人違いだ」
アレンは気まずそうにフードを被り直す。
しかしフレイヤはローブのボタンを外した。
「……っ!何を…!?」
アレンはフレイヤの肩を掴んで押しのけるがボタンが外れる方が早かった。
フレイヤはローブの中から覗かせた緋色の礼服を見て目を輝かせた。
「やっぱり!」
彼女はそう言ってアレンにぎゅっと抱きついた。
「ごめんね皆んな。教会から迎えに来たみたい」
「何を言っているか分からないが貴女を教会が迎えることはない」
きっぱりと言い切るアレンにフレイヤはきょとんとした顔をした。
「えっ……?偶然?じゃあ運命だわ。だってアレン様が私の元に来てくれるなんて……!」
酒場は絶望の声で染まる。
フレイヤを連れて行かないでくれと男達は嘆き、商人のおじさんはへなへなと椅子に座りショックで真っ白になっている。
アレンはとても庶民が太刀打ちできる相手ではない。
「貴女を連れて行く理由がない」
「あら?私が最近ここでなんて呼ばれているか知っている?」
「聖女はただ一人だ」
「そんなのわからないじゃない?貴方も暫くこの街にいればわかるわ。それに」
ひっつくフレイヤをアレンは引き剥がそうとするが、彼女はより力をこめてアレンに抱きつく。
「私、貴方に恋しちゃったんだもん。絶対聖女だって認めて貰うわ」
フレイヤの綺麗な笑顔は私を青ざめさせるには十分だった。




