目眩
ガタゴト揺れる馬車に乗る。わたくしが向かうのはカヌレ領に入って直ぐの寂れた村。そこは味方であるケーラ男爵の管轄地です。
馬車が男爵の屋敷で止まる。
中に案内されたわたくしは1人出迎えにきた男爵を見ます。
「それで、荷物は?」
「客室にご用意しております」
「案内して頂戴。あぁ、貴女達は馬車で待っていていなさい」
わたくしは付いてきた侍女達を追い払う。
「かしこまりました」
案内された部屋に入ると綺麗に整えられたベッドに人形の様な少女が眠っていました。
わたくしはそれを見下ろします。
「拘束は?」
「はい。手足に魔術具を。しかし聖女様にこの様なことを……」
「彼女の為です。お助けしたとはいえ、目が覚めて知らない場所では驚いて思いがけないことになるかもしれません」
「成る程。かしこまりました」
「エリスはどこです?」
「夕方、カヌレの港で待つそうです」
わたくしを運び屋に使おうなんて実にいい度胸です。
「メイドは?」
「縛った後、箱詰めに。どう致しましょうか」
「こちらで処理をいたします。渡して頂ければ結構です」
外国にでも売り払ってしまおう。行方不明になった平民など探すものもおるまい。
その時だった。ギシっとベッドが軋んだ音がした。
「まさか、アリアがいるの?」
鈴を転がす様な声で今まで眠っていた女が起き上がる。
「まぁ。聖女様、おはようございます。ご機嫌はいかがですか」
拘束された聖女は上体を起こし、鎖をじっと見る。両手首、両足首に手錠の様な魔術具がついている。
「聖女様!お噂に違わぬ美しさ!会えて光栄でございます」
男爵は聖女に跪くが、彼女はそれを気にする様子がない。
「クロエ様、関係のない者を酷い目に合わせたのなら許さないわよ」
「誤解でしてよ、聖女様。ほら思い出して下さいませ。貴女はこれから公務でロゼ大国にいくのでしょう」
「残念ですが、わたくしはあの毒を飲んでおりません。下手な暗示は効きませんことよ」
あのメイド!!
「あら、残念です。でもその魔術具で拘束されたらいかに聖女様とてどうしようもございませんでしょう?」
わたくしは怒りのまま聖女の髪を掴み上に引っ張る。
「メイドを抱き込んでいるとは気がつきませんでした。ご安心くださいませ、わたくしが髪の一本まで大切に大切にしてあげますわ」
聖女の怒りに染まった顔が心地いい。口が緩むのがとめられない。
漸くこの澄ました顔を崩す事が出来ました。
「貴女、わたくしのなにがそんなに気に入らないの?わたくしは婚約を辞退しているのよ?」
「そんなの決まっているじゃない、全てよ。わたくしの経歴に土をつけられたのよ。口でならなんとでも言えるわ。わたくしはね、邪魔な者は石ころでも砕いて歩くの」
「殿下に同情してしまうわ。貴女みたいなのと結婚しなくてはならないなんて」
侮辱の言葉につい手が出る。
直接人に手を上げたのは初めてだった。
聖女はガタンと棚にぶつかり地面に倒れるが怪我をした様子はありません。
すると、聖女はぶつぶつと何かを唱え出した。一瞬頭がおかしくなったかと思ったが、よく聞くと魔法を発動しようと呪文を唱えているようだった。
魔術具がはめられているんですもの。発動するわけがないでしょう。
ハラハラと見守っていた男爵が聖女にかけよる。
「あぁ、聖女様!大丈夫ですか?クロエ様、なんて事をなさるのです!」
わたくしは侮辱されたのよ。なんでわたくしよりも聖女を優先するのよ。
思えば、子爵も男爵もエリスが植え付けた聖女信仰だけは一向に変わらなかった。傷つける様な真似をしようとすれば、反抗される。それに付き合わせられるわたくしがどんなにストレスだったでしょうか。
「男爵、護衛を呼びなさい。少し早いけれど早くエリスに引き渡しに行きますわよ」
「え?あっ、かしこまりました」
護衛が部屋の中に入り猿轡を手に聖女に滲みよる。
その時、空気が揺れるのを感じた。ゆらりと澄んだ魔力が部屋を満たすのを感じる。
「なんです!?あの魔術具は魔法を使うことは出来ないはずでしょう!?」
「ええ。誰にも魔術具の効果を破ることなど出来ません」
ならこの魔力はなんなの!!
そんな事を男爵に言っても仕方ない。
「なにしてもいいわ!聖女の意識をとばしなさい」
「クロエ様!聖女を傷つけてはなりません」
護衛の者はわたくしと男爵を見比べます。
わたくしか男爵の命令で何故迷うの!
そうこうしている間にどす黒く線が引かれていく。引かれた線からは黒く細かい粒子が舞っている。その線は徐々に室内を満たしそれは魔法陣の形となる。
こんな魔法陣は見た事がありません。只の線で、魔法陣でこんなに悪寒を感じたことはない。魔法陣が完成すると聖女は叫んだ。
「〈召喚〉〈魔王〉おいで下さいませ、ノエル!」
すると、魔法陣は強烈な光の柱を立て風を巻き起こす。
その風は凄まじく目を開けて居られません。壁の煉瓦や窓、屋根の一部が吹き飛び宙を舞う。
光の柱が収まり姿を現したのは凱旋式で見たことのある男だった。
「チェルシー、こんな小物相手にこんな朝早く私を呼び出したのか?」
「ごめんなさい、色々計画が狂ったの」
男は聖女を抱きかかえた。
「なんだ!お前は!何故宙に浮いている!」
尻餅をついた男爵がノエルと呼ばれた男を指差して喚く。
今気にする所はそこではありません。警戒するのはこの男から湧き出るドス黒い魔力でしょう。
こんな凶悪な魔力が人間から出せるものでしょうか。
奥歯が震えるのを必死でおさえる。
「は、早く捕らえなさい」
わたくしの命令にハッとした護衛達は男に掴みかかろうとするが、近づいただけで魔力に当てられ真っ青な顔になった。震えて動けないものもいれば許しを乞い出す者もいた。
それでも護衛でしょうか!
わたくしは護身用に持っていたナイフを鞘から抜き男に投げつけますが、男に当たる前にナイフは弾けて消えてしまいました。
わたくしを瞳に映した男が一歩、また一歩と近づいてきます。
距離が近づくたびに心臓が激しく脈打ち気が狂いそうになる。
「こないで!」
足が絡まり、転倒する。必死に後ずさるが背中に壁が当たりもうこれ以上距離がとれないことを悟る。男の靴を鳴らす音が大きく感じる。それ以上近づくと心臓が破裂するのではないか。そんな思いにかられ呼吸が荒くなる。
わたくしが死を意識した時、焦りを滲ませた聖女の声がした。
「ノエル、もういいわ」
その声を皮切りに彼が纏っていた魔力が霧散した。
辺りを見回すと意識を持っているのはわたくしだけだった。
「さぞ」
「?」
「さぞ気分がいいでしょうね!」
息切れしながらも、わたくしは精一杯聖女に声を張り上げます。
「いえ、どちらかといえば最悪です。夜中にガタゴトと運ばれて枷までつけられたのですよ?」
「そんなもの!わたくしの屈辱に比べれば」
「こんなものが屈辱だなんて。わたくしの足を引っ張り損ねただけでしょう」
「貴女には公爵家に生まれた人間のプライドやプレッシャーなどわかりません」
所詮、階級は子爵であり、ただの伯爵令嬢でしょう。
「これからは解放されますわね。よかったではありませんか」
聖女の言葉に頭が真っ白になる。
「わたくしは宰相の娘で、公爵令嬢です。あ……貴女にそのようなことを言われる謂れはありません」
大丈夫、証拠は残してはいません。聖女を攫ったのは子爵や男爵。毒を持っているのはアリア。
「あの毒……わたくしの治癒魔法で治ってしまうかもしれませんね。正気に戻った彼らは貴女を庇うかしら?」
どきんと心臓が跳ねた。
聖女は言葉を続ける。
「それに、貴女の侍女達は何か知っているかも知れませんね」
わたくしの侍女達は皆貴族令嬢だ。証言が認められます。あの子達は転落しそうなわたくしの味方になってくれるでしょうか。
あぁ、目眩がする。




