毒
私の朝は今日もクロエの部屋の掃除から始まる。
「おはよう、アリア」
アリアはいつもの様にクロエの部屋の前に立っていた。ただいつもと違って眩しい笑顔が返ってこなかった。
「?」
不思議に思い顔を覗きこむと、アリアは頬を染めてポォーとしている。心ここにあらずといった状態だった。
「アリアー?」
アリアの目の前で手を振ってみる。するとアリアは私に気が付いたようで、ハッとして私の顔をみた。
「おはよう、ルーシー」
気の抜けた感じだ。
「どうしたの?」
「私、恋しちゃったかも……」
その言葉に私はギョッとする。可愛いアリアの心を射止めた奴は誰だろう。
料理人見習いのトーマスだろうか。いや意外にキール兵団長ということも。渋くてかっこいいよね。マッド……はないな。
「楽しそうで羨ましいです」
アリアの顔はポポポポと真っ赤になった。
「そんな事ないの!好きになっちゃ……いけない人なの」
身分違いの恋だろうか。
「好きになるのは自由ですよ。誰かに咎められることなどありません」
アリアは涙目で私を見つめる。
「そう、なのかな。昨日初めてお会いしたんです。メイドの私にもすごく優しくて、お綺麗で。でも私、その方の前で粗相をしてしまって……」
それって、私の婚約者様……。
「大丈夫だと思いますよ。粗相でいうなら私も昨日大変なことをしでかしてしまったけれど、気にする様なお方ではないです」
私のライバルになるかもしれない人を応援してどうする!
「えっ!?誰かわかったの!?でも、やっぱりお優しい方なんだ」
意地悪な時も多いけどね!
「またお会い出来ないかしら。チェルシー様……」
「……クロエ様のお掃除しましょうか」
まさかそうくるとは思わなかった。頬を染めるアリアは恋する乙女であった。
部屋に入ると昨日片付けた筈のドレスが散乱してした。
これは、また。
「昨日、殿下にお茶に招待されたの。そのドレス全部綺麗に片付けて下さる?」
自慢げに言うクロエに、心の中でため息をつきながら、ドレスを仕分ける。お化粧がなどがついてしまい洗濯するものと、アイロンが必要な物は洗い場や作業部屋へ運ばなければならない。
その間、クロエはワザと私達に聞かせるかの様な声量で自分の侍女と話し始めた。
「殿下ったらわたくしの話に夢中なんですもの。とっても幸せな時間でしたわ。陛下もあの殿下を見たらどんなにわたくし達の関係が深いものであるか直ぐにわかった筈ですわ」
「クロエ様と殿下は知己の仲ですものね。殿下を一番わかってらっしゃるのはクロエ様です」
「まぁ。早く結婚して国中の民を安心させて差し上げたいわ。婚約を期待している聖女様が恥をかかないと良いのだけれど」
おそらく、殿下と仲良いという噂を広めて欲しいのだろう。しかし、この人が妃になると婚約破棄の危機に対する恨みを買った私の将来も面倒になる気がしてならない。
アリアを見ると顔が強張っている。
私は自分のことをいくら愚弄されても構わないが、アリアにとっては苦痛なのかもしれない。
「アリア」
私とクロエの声が重なる。
クロエは少し眉を顰めたものの、アリアを手招きする。
「いらっしゃい」
「はい」
アリアはおずおずとクロエの前に歩みを進める。
「昨日のディナーで聖女様の給仕をしたそうね?」
「はい」
クロエはにやりと笑い形の良い唇をアリアの耳元に近づけ話す。
何を話しているかは聞こえない。しかし、アリアの顔が戸惑いから真っ青に変わる。
最後に何かをポケットに入れられて戻ってきた。
「アリア……?」
「ごめんね、さっさと終わらせちゃお」
アリアは震える手でドレスを運ぶ。
こんなの、心配に決まってるよ。
私達はもくもくと掃除を終わらせてクロエ部屋を出る。
「アリア?さっきのことだけど……」
「なんでもないの」
「なんでもないなんて顔じゃ無いでしょう?」
「でもっ!」
アリアは今にも泣きそうな顔をしている。
「ほっとけないよ」
私達はいつもの使用人用の休憩室に移動する。この時間は皆仕事に出ているため料理を仕込んでいるトーマスしかいない。
席につくと料理人見習いのトーマスがお茶を出してくれる。雰囲気を察してすぐに離れようとするトーマスの裾をアリアが掴む。
「トーマスもいて」
トーマスはドスンと椅子に座る。
「どうした?」
「これ」
アリアがそう言って机に置いたのはさっきクロエに渡された瓶だった。
「なんだこれ」
トーマスは蓋をポンと開け匂いを嗅ぐ。
「駄目!」
アリアが血相を変えて瓶をもぎとる。
「毒、だと思う」
「は!?なんでそんなものもってんだよ。あぶねぇな」
私はそれで全てを察する。
「これで、聖女様を?」
アリアは頷く。
「数滴、聖女様の明日の夕飯の食事にって。クロエ様は体質改善の薬だといっていたけれど。誰かに話したり失敗したら家族にもう会えないかもしれないわよって……。私もうどうしたらいいか」
トーマスの顔が険しくなる。
「俺なら、なんとかなると思う」
「そんなの駄目だよ!!トーマスも聖女様もそんな目に合わせられないよ」
「でも、おじさんもおばさんもどんな目に合わされるか!いや、これを渡すってことはもう準備ができてるってことじゃないか!?」
「準備って……」
アリアの揺れる大きな瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
「その件、私に任せてくれませんか?」
「ルーシー?」
「お前、わかっているのか!?成功も失敗も待っているのは暗い未来だ。アリア達の命だってかかっているんだぞ」
アリアも心配そうに私を見る。
「……昨日、手は大丈夫でしたか?」
「え?」
私の唐突な質問にアリアは面食らった顔をしている。
眼鏡を外した私は《メニュー》を開き頭の装備を外す。
露わになった銀髪がふわりと肩に落ちた。
「えっ?えっ??」
2人は目を見開いて固まる。
「私も毒殺されるのは真っ平ですからね。アリアのご家族のことも対処しましょう。どうぞお任せ下さいませ」
*・*・*
私は再び頭をピンクにし、その足で魔物対策研究課に向かう。毒ならばマッドに聞くのが一番だろう。
「マッド、いますか?」
私はノックをするが返事を待たずに中に入る。
「聖女様じゃないっすかぁ!今丁度聖女様の事を考えていたところっす」
嬉々としてやってくるマッドに私はたじろぐ。
「何を考えていたのですか?」
「前に聖女様の血にも退魔の効果が有るといっていたじゃないっすかぁ〜。むふふ、それでどうやって血液を採取しようかとずっと考えてたんですが、あ、これです」
目の前に出されたのはビリビリ茸だ。摂取するとすぐ様全身が痺れる効果がある。食べたが最後解毒がされるまで1日程動けなくなる厄介なキノコだ。
「これを食べれば痛みを感じないっす!食べてください」
「拒否します」
そんな名案を思いついたみたいな顔されても。
マッドは断られると思っていなかった様で雷に打たれた様な顔をしている。
「そんなことよりも、これです。なんの毒かわかりますか?」
ポケットから瓶を取り出しマッドに見せる。
「わからないっす」
萎れたマッドは調べようともしない。急いで調べて欲しいのに。
「わたくしがもし怪我をしたらマッドに血を提供しますから」
「え〜。約束っすよぉ」
イマイチ気の乗っていないマッドは渋々瓶を受け取り、匂いを嗅ぐ。
「甘い匂いっすね」
「そう言えばトーマスも何処かで嗅いだ匂いだとぼやいていたわ」
「あぁ。これは、パペッドの出す毒の匂いっすね」
パペッドは上級の魔物だ。西洋人形をモチーフとする可愛い人形型の魔物で姿形は人気がある。しかしプレイヤーを混乱させる毒を出すので、それに当たるとしばらくこちらがパペッドになってしまうのだ。そのため戦いづらいランキングに輝くモンスターである。
「この毒って口に入るとどうなるの?」
「体に吸収された後は、しばらくは脳に催眠状態が続くみたいっすね。前に動物実験したときは自我を失った猿がよく僕の指示をきいてくれたっす」
「じゃあ、死ぬ様な毒ではないのね」
「数滴で死なないのは身をもって確認済みっすよ!感覚としては頭が真っ白になってボーとしたっす」
飲んだのか。流石変態。
「これだけ全部飲めばどうなるかはわかんないっすけどね」
一体何を企んでいるのかしら。
「ありがとう、マッド」
「あぁ、魔石に魔力を」
何か聞こえたが、私はドアを閉め、来た道を帰る。
こんなシナリオがあったかしら。
思い出さなきゃ。
類似のシナリオがあるかもしれない。城で起こっているという事はきっと殿下のルートだ。散々やったルート。
レイルートのラストは戦争になった。原因は主人公をいじめた悪役令嬢のクロエが追放となり恨みを持った宰相が他国と手を結び王族に刃を向けたからだ。
つまり、クロエが婚約破棄、国外追放となって初めて宰相は動く。そして、悪役令嬢が殺意をもつ程のいじめをするなんてエピソードは無かった。
私がとぼとぼ歩きながら考えていると、後ろから声がかかった。
「チェルシー!!」
殿下の声だ。そんな大声で私の本名を呼ばないで欲しい。抗議をしようと後ろを振り返った瞬間、ジャケットを被せられた。
「わっ!なんですか!」
前が見えない。
「走れ」
殿下が私の手を引き走る。私も殿下に身を任せ走った。頭に被ったジャケットを浅く被り前を見た時気がついた。
あれ?私また……透けてる。
触れるだけ以前の時よりはまだマシの様だ。
そのまま2人で中庭まで走り抜けた。木の陰に入り死角になっている。
「殿下、側近の方は?」
「その場で待機させた」
「全然気がつきませんでした。ありがとうございます」
「いや、私もたまたま通りかかったのだ」
見られたのが殿下でよかった。
「チェルシー。やはりその症状、枢機卿に相談した方がよくないか?」
「いえ、余計な心配をかけたくはありませんから」
「私は、もし其方が消えてしまったらと思うととても……」
殿下は切ない顔で私の肩を掴む。
「とても恐ろしいのだ」
「どうか、わたくしのことでお心を乱さないでください。急に消えたりなんてしませんわ」
私は笑って殿下の頬に未だに透けている手を添える。
この間と同じ様に魔力を全身に流れるイメージをすると大分色が戻ってきた。
「そんな、いつかは消えてしまう様な言い方しないでくれ」
それは約束できない。私も出来る限りこの世界に留まっていたいと思うが、どうなるのか全くわからないのだ。
私が返事に躊躇っていると、殿下は私を引き寄せ抱きしめた。
「殿下?」
「チェルシーが何者なのかは聞かぬ。だが、どこにも……いかないでくれ」
悲痛な声が耳に残る。私は小さい子にやる様に殿下の背中をさすった。
「殿下のご命令とあれば聞かぬ訳には参りませんね」
私が茶化して言うと殿下も作ったような笑顔を私に見せた。
「其方は、いつだって私の思い通りになど動かないではないか」




