城での退屈な生活⑤
翌朝、目を覚ますと私は自分のベッドの中にいた。まだ空は薄暗く、いつもより早い起床に頭はぼんやりしてしまう。
「おはようございます」
「スティーブ……」
まだはっきりしない頭で側近の名前を呼ぶ。
「わたくし、昨日は」
いつ寝たのかしら。そう言い終わる前に、殿下の顔が浮かび青ざめる。
「レイ殿下は!?いつお帰りになられましたか?あぁ、寝てしまうなんて。無礼者だとは思われなかったでしょうか」
「殿下はとても感謝しておられましたよ。起こすのが忍びないと言っておられましたが、チェルシー様と顔を合わせづらかったのかも知れませんね」
「殿下は本当に優しいお方です」
「因みにお化粧を落としたのは僕です」
あまりに誇らしそうに言うので私は、スティーブの頭をくしゃくしゃに撫でてやる。
「何するんですかぁ」
「スティーブ、いつもありがとう」
私が素直に礼を述べるとスティーブは驚いた表情で固まる。
「よし、今日も掃除しにいきますわよ」
私は伸びをして、いつものメイド服に着替えて頭の装備を以前も使ったど派手なピンク色の頭のものに変える。
正直クロエの部屋の掃除などサボってしまっても良いのだが、クロエの怒りや嫌味がメイドのアリアに向くのが嫌だ。
フルーツをつまむと掃除道具を持つ。
「じゃあ、行ってくるわね!」
「今日は枢機卿も来ますからね!お早めにお戻り下さいませ」
「わかってるわ」
クロエの部屋の前に行くとアリアが待っていた。
「おはようございます」
「おはよう。今日も頑張ろうね」
アリアの笑顔に癒され、今日もクロエの部屋に入る。
今日はいつもに増してクロエの機嫌が悪かった。
髪色に品がないことから嫌味は始まり、最後にはコーヒーをわざと絨毯に落とされた。コーヒーは、扱い辛い絨毯だけではなくカーテンや壁にも飛び跳ね掃除は本当に大変だった。
「クロエ様ったらなんでルーシーにあんなに当たりがキツいのかなぁ」
従業員用の休憩室でぼやいたのはアリアだ。
「不思議ですね」
悪役令嬢という生き物は、ヒロインをイジメずにはいられないのだろうか。そんな因果を感じてしまう。それとも、まさかバレているのだろうか。
「ルーシーの髪色が銀髪だったからじゃねぇか?」
トーマスの言葉にアリアは首を傾げる。
「なんで?」
「どうにも、殿下はクロエ様のお部屋にはいかず時間があれば聖女様の元へと通っているらしい」
「あぁ、聖女様と言えば綺麗な銀髪をお持ちだものね。なんだ、八つ当たりじゃない」
噂とはいい加減なものだ。殿下とはたまに食事をご一緒するだけである。
「クロエ様も気に入らないのなら担当を変えて下されば良いのに」
そうしたら、私も掃除に行かなくて済む。
「あ〜、ストレス発散になってるのかもなぁ」
「「あぁ」」
それはあり得る話だ。
「それでもクロエ様の担当にならなけらばアリアとお話しすることはありませんでした。なので、私はクロエ様のお掃除担当になって良かったと思っているのですよ」
「ルーシー……」
アリアは目をうるうるさせてぎゅっと抱きついてきた。
「私もルーシーに会えてよかったよぉ」
はぁぁぁ。アリア、可愛い。
今日そう思ったのは何度目だろうか。
呆れ顔のトーマスと笑顔のアリアと別れた私は次に魔物対策研究課に行き、マッドと兵の訓練棟へ向かう。
「聖女様と実験出来るなんて幸せのかぎりっす〜」
「今は、ルーシーって呼んで下さいませ」
花をとばしながら歩くマッドに、私は訂正を入れる。聖女と呼ばれては変装して歩く意味がない。
演習場に着くとキール兵団長が出迎えてくれた。
「こんにちは。本日はどうぞ宜しくお願いします」
「っす」
「くれぐれも無茶はしませんよう。危なければ直ぐに中止致します」
「わかりました」
私が演習場に姿を現すと兵達からは戸惑いの声が上がった。
メイドがこんな所に姿を現せば不審に思うのは仕方ない。私に気がついた兵達は遠い目をしている。
「今回お前らを指導するルーシーだ。皆、この度の貴重な機会を逃さないように」
兵団長のその言葉に、佇まいを正す者、にやにやと私を見る者、顔を輝かせる者と色んな表情が伺える。
私は《アイテムボックス》からレイピアを取り出し構える。
「最初にお相手頂ける方はどなたでしょうか」
私から漏れ出る魔力を浴び、にやにやしていた兵士達さえも顔をひきしめた。
最初に出てきたのは小隊長のバッチをつけた男だ。
私は基本補助魔法がメインだった。キール兵団長は指導なんて言っていたけれどどこまで自分に力があるだろうか。
「どうぞ、お手柔らかに」
*・*・*
チェルシーは妹チェルシーは妹チェルシーは妹。
もうこの言葉を何度繰り返しただろう。
私、レイ・スフィアは今あることにずっと悩まされている。
最近チェルシーを見ると、緊張し上手く話せない。それどころか昨日は悪酔いしてみっともない姿を見られてしまった。
昨晩は本当に失態だった。薄暗い部屋の中ので目覚めた私は心地良いまどろみの中、温かいぬくもりを感じギュッと抱きしめ引き寄せた。
しかし、果たして自分のベッドにこんなものがあっただろうか。それ以前にこの温かいものは何だろう。
温かいものを視線で追い見上げるとそこにはチェルシーの寝顔があった。
「なっ!?」
寝ぼけた頭では状況が整理できず、 慌てて起き上がると自分の側近が「チェルシー様が起きてしまわれますよ」と静かに近づいてきた。
「何故私を起こさなかった!?」
「気持ちよさそうに眠っておいででしたので。常識的な時間になれば起こして自室へお戻り頂くつもりでしたよ」
時計を見れば今は8時。まだもう一仕事出来そうな時間である。2時間程眠っていたようだ。ソファで寝た割には体が妙にスッキリとしている。
辺りを見渡すとスティーブといったか、チェルシーの側近は入り口近くの椅子に座り爆睡していた。
「あの者がチェルシーの側近とは私は不安だぞ」
「子供の時からの付き合いだそうで。この限られた空間で唯一心が開ける者なのでしょう」
「調べたのか?」
側近は眼鏡をクイッと上げて、殿下の婚約者になるかもしれない者を調査するのは当たり前でしょう。といってのけた。
まぁ、これがこいつの仕事であるし、気に食わなければ排除にかかるこの側近がチェルシーに対しては何も言わないということはそれなりに彼女を認めているのだろう。
「チェルシー、起きろ。こんな所で寝ていては風邪を引くぞ」
チェルシーの肩を揺らすとコテっと頭が自分の胸に落ちてきた。
「寂しいです」
彼女のその言葉に心臓が早鐘を打った。しかし、次の言葉は自分を落胆させるものであった。
「アレン様」
顔を恐る恐る覗き込む。チェルシーは寝息を立て、未だ夢の中だった。
「ねごと……か」
一体何を期待したのだろう。彼女と枢機卿の関係はずっと見てきた。ただ、今更自分にこんな感情が生まれるとは思わなかった。
「もう殿下ったら聞いていますの!?」
その声で現実に引き戻される。今、目の前にいるのは婚約者のクロエ・カヌレだ。幼い頃から婚約者として数度会ったが、彼女の素行の報告書を受け取る度に至極残念な気分になる。
家柄、容姿は申し分ないが裏のある性格のせいで全く好きにはなれない人物だ。この国の王子として生まれたからには愛だの恋だのというつもりはないが。
「枢機卿が羨ましいな」
ぼそっと口から出た言葉はクロエには聞こえなかったようだ。
「やっと殿下とお会いできて嬉しいですわ。わたくしをお忘れになってしまったのではと心配になった程です」
「あぁ、すまないな」
ここは秋薔薇の庭園だ。美しくも棘のある花が彼方此方で咲き誇っている。思春期に入る頃には薔薇という花が何故だかあまり好きではなくなった。
今日クロエと会ったのは城で噂がたった為だ。婚約者よりも聖女にばかり会っているという類の噂のようだがあながち嘘ではない。が、彼女の面子も立てておかなければならない。それで急遽この場を設けた訳だが……。
「それであのご令嬢ったらまた流行遅れのドレスを着てくるものだから、去年わたくしが着ていたドレスを譲って差し上げましたわ。あっ、その時のわたくしのドレスはミス・ラベンダーのオーダーメイドで……」
愛想笑いを作るのも楽ではない。クロエとの会話は社交界の話が多く、突き詰めれば自分が如何に活躍したのか、という話ばかりだ。もう既に帰りたいのだが、我が側近はカップにお茶を足す。まだ居ろということだ。
話に適度に相打ちをして昨晩の事を再び思い出す。
確かあの後はチェルシーをベッドまで運び、側近にはスティーブを起こさせた。
「あぁ〜。失礼しました」
起きたスティーブは眉毛をハの字にさせてあわあわしている。
「構わん。私は帰る。チェルシーが起きたら私が礼を言っていたと伝えてほしい」
「起きたら……?ってベッド寝ていらっしゃる!?えっ?えっ?」
スティーブはベッドで寝ているチェルシーと私の顔を交互に見て疑問符を頭から飛ばしている。
何を想像したかは知らぬが何もしておらんぞ。
わざわざ言葉に出して言うのもおかしいので、見送りはいらないからそのまま寝かせておいてやって欲しいといい私は彼女の部屋を出た。
私は昨晩の記憶を手繰るのをやめ、お茶を飲む。
最近はチェルシーのことばかり考えてしまう。彼女は今何をしているのだろうか。昨日途中で寝てしまった事を気に病んではいないだろうか。
そんな事を考えていると、演習場の方角から大きな打撃音が響き風が吹き荒れた。
「きゃあ」
「何事だ!?」
その場に緊張が走ったが少し離れた所に剣や盾がいくつか落ちてきただけだった。
側近は落ちてきた剣を一振拾い上げた。
「紋章から見るに我が兵のものですね。演習場から飛んできたようです」
「馬鹿な。一体ここからどれだけ離れていると」
「確認させます。万が一に備え殿下とクロエ様は城の中に避難下さい」
「あぁ」
しがみつくクロエの手を引き移動しようとした時だった。聞き覚えのある声が聞こえた。
「あぁ、いくつか薔薇が折れてしまったわ。まさか、こんなに飛ぶとは思わないじゃない」
女性の声だ。当然、隣にいるクロエの声ではない。だが、この声の主は奥の居住塔に居るはずだ。
「あ〜、あったあった。見つかってよかった」
庭園に姿を現したのは派手なピンクの頭をしたメイドだった。
私と目が合ったメイドは悪戯がバレた子供の様な顔をした後、脱兎の如く去っていった。
「ははっ」
その姿が可愛くて思わず笑いがこみ上げる。あの娘は全く、私を楽しませてくれる。そんなところが愛おしい。
……愛おしい?
「そんな、馬鹿な」
私は慌てて自分の口元を抑える。
「殿下?」
「いやなんでもない」
「全く。ルーシーったら何をしているのかしら」
「あのメイドを知っているのか?」
「……っ!はい!」
クロエは私が興味をもったことがよほど嬉しいのか、顔を明るくさせた。
「では、教えてもらおうか」
やっと彼女の口から退屈しない話が聞けそうだ。
カヌレ家は王都にタウンハウスを持っています。クロエが城の客室にいるのは宰相のコネですね。
次回はようやくアレン様の出番です。




