帰宅
ノエルが外に出ようとすると、テントの外からオリビアの声がした。
「聖女様、おはようございます。今お時間はよろしいでしょうか、お話したい事がございます」
「どうぞ」
私は丁度良いので彼女を中に迎え入れた。ノエルが渋面を作っていた為オリビアは彼を見て体を固くしてしまったけれど。
「おはよう、オリビア。貴女がこうして話し合いの場を設けるのは久しぶりね」
「はい」
「私はテントから出て行った方がよいか?」
ノエルは椅子に座り足を組んでいる。
女性同士の話し合いに実に堂々としたものである。
「いえ、ノエルはテントから出てはだめです。オリビアもそれでいいかしら?」
オリビアは昨日の一部始終を見ていたので、彼がここに居たことは元々知っていたはずだ。一人で来るのはさぞ勇気がいるだろう。
「はい」
「どうぞ座って」
「ありがとうございます。前は立ったままだったのでご一緒できるのが少し不思議な気分です」
「そうね」
あの時は街に降りると伝言を頼んだのに、知らないと嘘をつかれた日だった。
「そう言えば、あの日エリスと話すことは出来ましたか?」
「エリス?あの日というのは?」
どうしてオリビアの口からエリスの名が?同じ名の別人?
「実は聖女様が街に行かれた際、伝言を猊下にお伝えしなかったのはエリスが聖女様に会いに行くと思ったからなのです。勝手をして申し訳ありませんでした。会いませんでしたか?」
オリビアは不思議そうな顔をする。
「その日街で私に話しかけてきたのは、年配の女性が一人だけよ」
誘拐犯だったけどね。
「まぁ。そうでしたの……。あんなに会いたがって毎日教会に来ていたのに。すれ違ってしまったのでしょうか。異国風の顔立ちに、赤い髪、可愛らしい容姿の少年なのですが」
ノエルを刺した男に間違いない。私に会えなかったら、民間募集の兵に混じって会いにきたと言うことなのだろうか。
「それは昨夜私を刺した男ではないか?」
ノエルが口を挟むとオリビアはビクッと反応し恐怖に涙目になる。
「私は遠くて顔が見えなかったのでわかりませんが、エリスは誰かを刺す様な人では無いはずです」
私はオリビアの言葉に首を振る。
「昨日、ノエルを刺したのはエリスでした。さっきオリビアが言った外見の特徴も一致しています」
オリビアは口を手で覆い息を飲む。
「私には未だに信じられません。あんなに素直で良い子が」
「私も最初の印象はそうだったわ。でもお茶をしていたとは言え、わたくし達3人が誰も気づかなかったなんて」
「私は気づいてたぞ」
ノエルは自信満々に言うので私は呆れかえる。
「じゃあなんで刺されちゃったのですか」
「盗聴の輩かと思ったのだ。足音も訓練された者の物だった。万が一襲い掛かってきても返り討ちにしてやろうかと思っていたが、まさか君の魔力を纏った魔剣を持っていたとは」
「うっ、申し訳ありません」
簡単に人に力を渡すなと皆に言われた意味を身に染みて感じ、反省した。
「オリビアも会えばわかるでしょう。エリスは今どこに?」
閉じ込められた場所を聞くとオリビアは首を横に振った。
「それが逃げられてしまったのです」
「えっ?」
こんなに兵がいるのに?
「小僧は何をしていたのだ」
「人混みでしたので、すばしっこい彼に護衛騎士は追いつくこともできなかったそうです。猊下の〈捕縛〉の魔法はチェルシー様を繋いでお出ででしたし」
「そう。それでは貴女が話してくれたエリスの情報を猊下にも報告しといてくれないかしら」
「嫌です」
オリビアの即答にノエルは眉を釣り上げた。それに気づいたオリビアは少し震えながらも、真っ直ぐ私の目を見た。
「チェルシー様が報告するのが良いかと思います」
内容的にはオリビアが報告した方が早くて、正確で合理的だ。
私が首を傾けているとオリビアは話を続ける。
「猊下は今、魂が抜けた様にずっと暗い顔をしてボーとしています」
あぁ……。それでオリビアがきたんだわ。
オリビアの話したかった事とはこの事だろう。
「聖女様のお顔を見て確信致しました。はやく仲直りしてください。一緒に猊下のテントに行きましょう」
私は腫れている目を瞑る。
「これはアレン様の心の問題なのです。わたくしがしてあげられることはありません」
「聖女様なら、なんでも出来るでしょう!?」
「わたくしを何だと思っているか知りませんが、アレン様がこれから教会本部に戻るのは仕方が無い事でしょう」
オリビアは、その言葉に反応し勢いよく立ち上がった。
「猊下は聖女様とお会いして変わられました!それまではずっとお一人でいた猊下をこんな表情豊かにしたのは聖女様です。猊下は聖女様といるべきなのです」
「しかし、わたくしは愛人として過ごすのも、聖女として教会本部でただ共に過ごすのも、アレン様が地位を追われるのを見るのも嫌なのです」
「それは小僧に伝えたのか」
熱くなる私に、ノエルは冷静に私に尋ねた。
「伝えたら全てを捨てて私の元へ来るでしょう。一時的な感情の為に枢機卿の地位を捨てるべきではありません」
「チェルシーにとって小僧はなんなのだ」
ノエルのこの質問は2度目だった。私ははっきりと口にする。
「私が愛した男性です」
「ふむ、今度こそよく理解した」
ノエルは私の手を引き、オリビアに声をかけた。
「娘、小僧に伝えろ。お前が腑抜けているなら私がチェルシーを貰うとな」
「えっ、小僧ってもしかしなくても猊下のことなんです?」
オリビアは話の流れから察するが目を丸くしている。
「ノエル?」
「お前の家を思い浮かべろ」
不思議に思いながらもマイハウスを思い浮かべる。
「〈転移〉」
周りが白くなり、一瞬で我が家に移動した。部屋の中を思い浮かべたからか突風が折角整えた部屋を荒らしてしまった。
「ノエル!?勝手に先に帰ってしまっては皆が心配するでしょう!戻りましょう」
「嫌だ。人間の魔力なんてすぐ無くなるでは無いか」
ノエルはツンと他所をむく。
「もう」
ノエルはこうなったら私の言う事なんて聞かない。
しかし、正直私もアレンと長時間馬車に乗るのは耐えきれない。アレンとだってこれから上手くやっていけるかわからない。
そんな不安から会いたくないという気持ちが大きくなっていた。
あんな挑発してもアレンはもう乗ってこないかもしれない。いや、寧ろ乗っちゃだめ。
私は少し期待してしまう自分を戒めグッと手を握った。
「お前らはお互いに気を使いすぎている。少し離れて、自分がどうしたいか、その為にどうするべきかをちゃんと考えろ」
「え?」
ノエルの言葉に少しどきりとする。わたしがアレンに出来ることは彼の足を引っ張らない様にする事、それだけのはずだ。
思考をぐるぐると泳がせていると、後ろから聞こえたノエルの声に邪魔をされた。
「これがチェルシーの家か?貧相だな」
ノエルは辺りを見回し、窓の外を眺め人間がいっぱいだと漏らした。
「今はノエルが散らかしたのもありますけどね」
私は足元に散らかった小物を拾い片付ける。考えることや、やることは沢山あるけれど今はまず、目の前のことから処理していかなければ。
「ノエルの部屋も作りましょうか」
「私は自分の城で暮らす。用があれば此方に来よう」
「それでは私はどうやってノエルを呼ぶのです。緊急時私が側に居ないのは困ります」
「普通に喚べば良いだろう」
「いくら私でも森の城までなんて声が届きません」
ノエルは不可解な顔をしているが、そういった生活に密着する魔法は魔族特有のものだ。魔族には電話のようなものがあるのだろうか。
「2階の奥の1室は使われていない部屋ですから、好きに使って貰っていいですわよ。私はこれからノエルの服でも揃えましょうか」
私は《アイテムボックス》を呼び出し平民の服に着替え、頭の装備を変更する。私は今、前髪が真っ直ぐ切りそろえられた鮮やかなピンク色のツインテールになっている。
「どうでしょう?私だとわからないでしょうか」
「品がない」
……まぁ、わからないならいいや。
街の人には私だとバレて、遠征に参加していないのでは?と疑いを持たれては困る。私は鏡の前に立ち、くるりと一周する。
「うーん、この髪型だといつもよりちょっと幼い感じもしますね。ではわたくしはノエルの服と食べる物を買ってきますから、ノエルはこの部屋を片付けといて下さいね。外へ出てはいけませんよ」
仏頂面に戻ったノエルに私はそう言い残し、買い物に出かけた。ついでに殿下に面会をお願いする手紙を守衛に渡した。
すると翌日昼過ぎに、マイハウスに使者が手紙を持ってきた。直ぐに読んでくれと言うので封筒を開けたら、文句がズラリと並んでいた。何故もう戻っているのか、王都凱旋に参加しないのかとずらずら書いてあり、すぐに城に来いとのことだった。
魔王の事を報告するならノエルも連れていかなきゃね。
私は急いで城に行く準備をした。
オリビアとエリスの関係は、閑話オリビアとアレンにあります。




