第8話:十口亮子
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
円の表情は食前と比べて柔らかなものになった。
背景で表すならば、先ほどまで地獄の業火のような背景だったが、今は鮮やかな花の背景であろう。
「行きましょう、亮子さんもそろそろ帰ってきたんじゃないかしら」
「そう、だな」
叔母さんのとこに向かうのは別に嫌とかそういうんじゃないんだけど、少し抵抗がある。
つくもの事、そして続いて話すのは彼女――斜森未由の事も話さなければならない、話すべきではあるが……。
その結果がどうなるかは、予測がつかない。
行って早々に拘束されて病院に連れて行かれて検査やら受けたり……なんていう流れにはなったらどうしよう。
そうならないよう、祈りたい。
現在でも渋滞している面倒な事に、新たな面倒が並ぶのは嫌だ。
歩く事十五分ほど。
右手側には斜面マンションがずらりと並び、左手側には連結棟がずっと先まで伸びている。
我が家もこの連結棟と同じだ、ご近所さんとはうまくやっていけている。
新たに加わったご近所さんというか、ご神所さんとは今後うまくやっていけるかは分からんが。
「こんな場所があったのですね、建物がぎゅうぎゅう詰めという感じですわ。皆さん狭い場所がお好きなのですね」
「お主の家はどのようなものなのだ?」
「館ですわ、この棟十軒分くらいの大きさでしょうか」
「ほーそりゃあ大きいのぅ!」
「大きすぎるというのも困りものですわ、時々迷子になりますもの」
迷子になるほど大きく広い建物とは恐れ入るね。
そんな悩み事は金持ちだけが持てる特権だ、羨ましいけど少しムカつく。
「街から少々離れていますから、移動の時間が勿体無くて今年に高層マンションの最上階をお父様に買っていただきましたの。見えます? あそこですわ」
彼女の視線を追う。
街の中心部にそびえ立ついくつもの建物。
その中の一つを指していた。
高層マンションなるものは円柱型が三つほどまとまった形で、見るからにお洒落感のある金を基調としたデザインが施されていた。
「スーパーにジム、レストランもございますのよ」
「……ねえ郁生、金持ちを一度ボコりたいと思った事はない?」
「それに近い感情を抱いた事は正直あるよ」
連結棟が途絶えた頃。
角に立つ廃ビルのような雰囲気の建物の前で足を止めた。
看板はあるが何も書いていない、薄らと文字のようなものは見えるが今は看板もホログラムを利用するのが主であるので相当昔のものと思われる。
壁には亀裂が走り、いつ崩れてもおかしくない雰囲気。
「ここは……人が住む場所なのです?」
「うん、一応」
「信じられませんわ、倉庫ではなくて?」
「倉庫とも言えるかな」
築何年かは壁の劣化でお察ししてもらいたい、建物は三階建てで地下付き、一・二階は物置、最上階は事務所として使ってるんだとか。
機械関係の取り扱いの仕事をしているらしいが、そんな人が俺から機械を買い取って好き勝手に改良など加えて売りさばいていいものなのか。
入り口らしい入り口は無い。
通路を通れば奥にエレベーターと階段があるけれど、肝心の叔母さんは上にはいない。
階段のほうへと足を進め、地下への道を選択する。
地下一階が叔母さんの家である。
「なんか出そうで怖いのー……」
「神様のくせにビビんなよ」
「こ、このような雰囲気は苦手ですの……」
「幽霊のくせにビビんなよ」
地下の階段を照らすのは蛍光灯のみ。
古い照明は光が弱く、時折点滅して残り少ない寿命を知らせていた。
金は持っているだろうに、安いものは何でも利用するのが叔母さんだ。
地下へと行き、壁の認証機に暗証番号を打ち込むと格子が横に引かれていく。
数歩先の扉はガチャンと鍵が開く音がし、俺は扉を開けて中へ入った。
「いよぉ、お疲れさーん」
叔母さんは壁側のL字デスクでモニターに向き合いながら煙草の煙を天井へと溶かしていた。
まだ仕事中かと思ったが、俺達を見てキーボードの指を止めた辺りからして、そうでもなさそうだ。
「叔母さん、元気そうだね」
「元気も元気、超元気よ~」
俺のほうを、真っ直ぐに見てくる。
柔らかな笑顔、どこか見透かされているようなその細目には思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「意外と広いですわね」
「むむっ、奥には和室が見えるぞ。仏壇もある、こやつ……中々見所があるのう」
和室にはあまり入った事はない。
いつもこの手前のソファに腰を下ろしている、今日もそうだ。
円は隣に、つくも達は頭上に。
俺達が座ればそのうち叔母さんも向かいのソファに座る。話をするのはいつも大体この流れが決まっている。
だから俺は目の前にあるこのぼろいテーブルに置いてある灰皿を向かい側へと少し寄せる。
叔母さんはつくもの説明を円から聞いたであろうが、現時点でこいつらは見えているのだろうか。
ちらりと見てみる……けれど、細目で分からん。
「こやつ、私の事は見えとらんのかのー。というか目ぇ、細っ。何も見えとらんのではないか?」
「がっつり見えてるけど」
「ひょわぁあ!?」
ひょわぁあて。
つくもは飛び跳ねて俺に抱きついてきた。
彼女を、確かに叔母さんは薄らと覗かせるその黒目で追っている。
……どういう事だ?
あれか? 認識とかの他に、霊力? それがあるとか?
「ちょ、ちょっと、放り投げないでくれるかしら?」
円、ナイスキャッチ。
「お、叔母さん……これ、なんだか、分かる?」
「……昔はもっとね、神様のためにお祭りを開いたり夏になれば怪談話で盛り上がって肝試しっていう、心霊スポットに行ったりもしたの。都市伝説もいっぱいあったしネットではそういう話を集めたサイトがたくさんあったわ」
叔母さんはすっと席を立ち、向かいのソファへと場所を移した。
「そんな話もまるでこの煙草の煙のように、気がつけば空に融けて消えちまうばかりでねえ。話す人も減り、見える人も減り、そして祓う人もすっかりいなくなっちまった」
「祓う、人?」
「でもね、なんとか……風前の灯火のように辛うじて残ってるのよ。だってさ、彼らもいなくなったわけじゃないからねえ。近年では憑くものを人から機械へと変えて永らえているって聞く」
そこはかとなく、威圧感が伝わってくる。
固定された笑顔ながら、確かな敵意も感じられる。
それは俺に向けているのではない、つくもにだ。
「神、幽霊、妖怪、それらは怪異と呼び……機械に取り憑くものは――機怪異と呼んでいる。聞いた事あるかい?」
「つ、つくもに聞いた」
「ほう、その子はつくもというのかい。もしや付喪神かな?」
つくもは落ち着き無く、俺の後ろへと隠れてしまった。
顔だけを覗かせて、じっと叔母さんの様子を窺っている。
「ま、何であれだ。そんな機怪異が、うちの甥っ子に取り憑いているらしいのだよ。何か知ってるかい?」
「わ、私は何も知らんな~」
その下手糞な吹けてない口笛をやめろ。
「しかもそれだけじゃなく、別のものもついてきたか。この首はなんだい?」
「私は斜森未由と申します。お名前をお聞きしても?」
「私か? 私は十口亮子っていうんだ、宜しくね。ちょっと機怪異に詳しい一般人だよ、君の中身はAIデータじゃあないね? どうも普通の感じじゃあない……怪異、神……いや、さっき名を名乗ったな。であれば幽霊の類か」
「なっ……分かるのですか?」
「いや全然」
がくん、と。
思わず体の力が抜ける。
「ただの推測だよ。やぁれやれ、機怪異に絡んでいれば身内もいつか巻き込まれるとは思っていたが、その日が来たか。じゃあ、さらっとでいいから説明してくれ」
「あ、うん……」
それからは、俺が入院した時に治療用ナノマシンを投与してもらった事、そのナノマシンに付喪神――つくもが憑いていた事、そしてゴミ収集場で手に入れたAIデータが斜森未由と名乗り、まだ先である六月六日に殺されたと話した事を説明した。
これだけの情報を一度に摂取したら胸焼けするんじゃないかと心配したが叔母さんは特にこれといった反応もせず、にこやかな笑顔は保ったままだった。





