希望の子 9
なぜ皇帝が軍曹の生存を確信しているのだろうか。
聞きたくともエイファは恐怖を全身に感じ言葉が出なかった。
皇帝の纏う異様な気配は先ほどまでの威圧感とは格が違う。
己の汗の臭気が分かるほどにエイファの生存本能が研ぎ澄まされていた。
「分かったか少尉。陛下がこう仰せだ。全力で軍曹の捜索に当たれ。海流などから軍曹の漂着地点を割りだし捜査せよ。捜査隊は結成してあるからそれらの面々と協力するように。まずは捜査隊員との合流のため機械課棟にて待機せよ。以上だ」
ヘイデン少佐は皇帝が恐ろしくないのか同じ口調で喋る。
エイファはなんとか言葉を聞き取ったが憔悴しきっていた。
見れば皇帝は再び瞼を降ろしている。
これは不興を買わないうちに退散した方が良いだろう。
少尉は何とか敬礼をして踵を返した。
その背中に再びヘイデン少佐から声をかけられる。
「ああそうだ、少尉。先ほどの軍曹の犯行の説明には若干の訂正がある。彼が機密を盗み出した場所は帝都ではない」
「えっ」
少佐から意外な言葉が出た。
「違和感はなかったか? 考えてみろ。駐屯地の管理官は誤魔化せるかもしれんが帝都の入管は厳しいだろう」
言われてみれば確かにそれはそうだった。
帝都に入るには厳重な検問を抜ける必要があり特に軍人は厳格な管理下にある。
休暇であろうが出向であろうが逐一申請と許可が必要なのだ。
少尉は軍曹から申請を受けた覚えなどない。
それに圧倒的に……時間がなかった。
「軍曹が誰との接触もしなかったとされる空白の時間は約十時間だ。夕食後から朝の点呼の間の時間がほぼそれに該当する。この時間では君の駐屯地から帝都まで往復できるか? 往復どころか片道すら辿りつけんだろう」
「はい。確かに……」
「少尉、細かなことも疑え。疑わなければ真実には辿りつかんぞ」
「……申し訳ありません。では、少佐殿にお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「それではハースト軍曹はどこから重要機密を盗み去ったのですか? そして、重要機密とは一体なんなのでしょうか?」
そもそも情報すらないものを奪還せんと動いていたのも間抜けな話だが教えてもらえなかったのだから仕方がない。
軍曹を追い詰めた時に発砲を躊躇った理由の一つでもあった。
少佐が哀れなものを見るような目でエイファを見る。
聞くべきではなかったとエイファは後悔した。
「知らずに軍曹を追っていたのか? ……何処かしらで勝手な情報統制が入ったのか。私の子だよ」
「こど……も?」
「そう、重要機密とは私の子供のことでね。アーリー、一歳の女の子だ。エキトワのアルバレル修道院に疎開させていたのを軍曹がどこからか嗅ぎつけたらしい。軍曹は島嶼のどこかの国と通じていた疑惑が持たれている。情報将校である私の娘が敵対国に人質として渡ったら厄介な事になるのは君も分かるだろう?」
「疎開……あんな前線に、ですか?」
「いいぞ少尉。疑問に思ったことはすぐに調べるんだ。答えよう、前線だからこそだ。防備を厚くするにせよ密使を送るにせよ不自然ではないだろう? それに交戦中のリンドナル領や緊張状態にあるバエシュ領よりは膠着状態にあるエキトワ領は安心だと踏んでいた。だからそこに疎開させていたとうわけだ」
確かに他の前線よりは安全かもしれないが帝都にいたほうがずっと安全だった気がしないでもない。
それにしても少佐は自分の娘が攫われたというのにどうしてこんなにも平然と構えているのだろう。
エイファは唇を尖らせた。
結局なんだかんだ言って上の人間の尻拭いに東奔西走する羽目になるということか。
「……なるほど。軍曹は子供を抱えてはおりませんでしたので陽動だったようですね。協力者や何処の国の手引きがあったのかの洗い出しはどうするんですか?」
「それも追って説明するから今は機械課棟で待機していてくれ」
「了解いたしました」
「ああ、最後に。最後だ少尉、一つ言う事がある」
踵を返しかけたエイファに少佐は目を細めつつ口角を上げた。
「ヘイデン独立大隊へようこそ。歓迎するよ」
少尉は微妙な顔で会釈することしか出来なかった。