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時を待つ 9

 巨木の内壁に続く階段を登っていくとようやく頂へと辿りついた。


 無数に伸びた枝からは力強く葉が生い茂っていた。


 下を見れば湖と化した地面が小さく見える。


 落ちたらひとたまりもないと考えるとロブは背筋に冷えるものを感じた。


 背筋が冷えたのはほぼ無風だった木の内部と違い頂は若干の風を感じ、かつ汗が冷やされたせいもある。


 激戦を掻い潜ってきた身だが、エキトワ領に移ってからは戦闘らしい戦闘もなければ長距離行軍もなかったので思った以上に体力がなくなっているようだった。


 今ならブランクと戦っても負けるかもしれないな、とロブは涼しい顔でロブの呼吸が整うのを待っているブランクを見ながら思った。


「俺、今ロブと戦ったら勝てるかも」


 同じことを考えていたのかブランクがにやにやしながら呟いた。


「持久力が課題だな。こんなはずではなかったんだがな」


「呪いのせいか?」


「いや、単純に怠けていたせいだ」


「それでもあれだけ強いんだからすげぇよ」


「培った技術はなかなか失われるものじゃない。が、体力はすぐに衰える」


「衰えるって……まだ若いだろ」


「もう三十五だ」


「若いじゃん! オタルバなんて二百歳以上らしいぜ。ルーテルが言ってた」


「……亜人は長寿だな。お前は?」


「俺十六」


「妥当だな。若い時間が長いのか」


「それは人それぞれかな。……さてと、そろそろいいか?」


「ああ。だいぶ落ち着いた」


 ロブの呼吸が整ったのでいよいよ慈愛のイェメトと謁見する。


「あれがイェメトの……家か?」


 木の内壁に穿たれた階段が途絶え、吊り橋が続く先には巨大な宿り木の塊のようなものがあった。


 道はその中に続いている。


「そうだよ」


「こんなところに家を建てるな」


「仕方ねぇよ。あそこじゃなきゃいけない理由があるんだ」


「理由?」


「イェメトの使う魔法は結界に触れたやつを問答無用で眠らせる魔法なんだ。イェメトを中心に半球状に張られるらしくてさ、だからこんな所に住んでるんだよ」


「ジウ全てを包んでいるということか」


「範囲魔法っていうらしいよ。オタルバのいる門のところだけその効果を打ち消す何かが成されているらしい。門以外の所から中に入れる場所なんかないけど、でも鉄壁ってことだから安心できるよな」


「ずっと魔法を使っているっていうことか。使い切ることがないのか」


「それだけイェメトの魔力が凄いってことだよ。でもその代わりイェメトはずっとここから動けない。夜はもっと凄いよ。オタルバが寝ている間は門さえも通れなくなる」


「だから門が開くまでサロマ島で待ったわけか」


「まあね。夜の航海は危険だからっていう理由が一番だけど」


 吊り橋を渡り家の前まで来た。


 ブランクは何やら躊躇しているようだったが、意を決して中に声をかけた。


「イェメト、ジウから聞いてるんだろ? ロブを連れてきたぜ」


「はァい、いいわよ、はいって、きてェ……」


 妖艶な女性の声が聞こえた。


 ブランクはばつが悪そうな表情をロブに送ると先に家の中へ入って行った。  


 扉の代わりの天幕を抜けるとむせかえるような甘い香りがした。


 ロブはとっさにこれは長時間嗅いではいけない香りだと察した。


 そして目の前には眩い光が在り、それがイェメトなのだと分かった。


 大賢老の言うように魔力を理解出来れば視覚に飛び込んでくる光も調節できるようになるのだろうか。


「ロブだよ。ゴドリックの元兵士で俺たちの計画に協力してくれた人だ。ロブ、こっちがイェメト。ジウの表向きの長だ」


 ブランクはうつむいて目を泳がせながら各々を紹介し、ちらりとイェメトの姿を盗み見てすぐに目を背けた。


 家の中では所せましと並べられた呪術用具の中に埋もれるように女性が腕枕をしながら寝台に横になっていた。


 流れるように艶やかな銀髪、長い睫毛、触れば沈み込むほど柔らかそうな白く透き通った肌。


 薄い布をかけているがそれ以外の衣類は身につけていないようで布越しに凹凸が丸わかりになっている肢体。


 腰のくびれは扇情的な魔性を秘め、身をもたげる仕草がいちいち情欲をくすぐる。


 女性は半身を起こして目を開くと官能的に微笑んだ。


 布がはだけ乳房がこぼれると明らかに女性が普通の人間ではないことも露わになる。


 女性の瞳孔は横に潰れまるで山羊の瞳のようだった。


 乳房は三対あり、張りつめた先端からは母乳が滴っていた。


「ようこそロブちゃん、わたしはイエメト。ジウの忠実な精奴隷よォ」


「ロブ・ハーストだ。よろしく頼む」


 挨拶もそこそこにいきなりイェメトが下劣な事を言いだしたがロブは動じなかった。


 似たような系列の一等兵が身近にいたので耐性が付いていたのだ。


「あらァ? 素っ気ないのねェ」


「初対面の挨拶なんてこんなものだろう」


「うふふゥ……強がらなくていいのよォ。お礼もしたいし、いいわよォ……きてェ……」


 イェメトは片肘で体を起こして自ら布を全て捲り、片足を立てて秘所を中指で撫でた。


 ブランクは顔を真っ赤にしあからさまに明後日の方向を向いているがロブは至って冷静だった。


「お礼?」


「ええ。リオーニエちゃんは無事ジウに連れて来れたわァ。そのお、れ、い」


「誰だ」


「赤ちゃんの名前よォ」


 言われてみてロブは赤ん坊の名前を今までずっと知らなかった事に気づいた。


 正直どうでもいい情報だったのでラグ・レやブランクに尋ねもしなかったが、下賤の出ではないわけだからすでに命名はされていて当たり前だった。


「さっきまで授乳してあげていたのよォ。赤ちゃんて可愛いわよねェ。でも今はこの空間に居させ続けるのは問題だァだなんて言われて離されちゃったのォ……寂しぃい」


「大丈夫なのか?」


 亜人の、しかも妊娠しているわけでもない生きた化石のような老婆の乳を飲ませるだなんて恐ろしい事だとロブは赤ん坊が心配になった。


 しかしイェメトは自分が心配されていると誤解したようで嬉しそうに微笑んだ。


「ロブちゃんって優しいのねェ。オッタちゃんがときめいちゃうのも分かるわァ。私も疼いちゃう……お乳もまだ飲ませたりなくて胸が張って痛いから、優しいついでになぶってくださるゥ?」


「断る」


 ロブは早くこの空間から出たくて仕方がなかった。


 イェメトの呼気、臭気には媚薬のような効果があるのか呼吸をすればするほど頭が回らなくなってくる。


 此度の謁見は挨拶することが目的なのだからその目的が果たされた以上は長居は無用だった。


「今後色々な話し合いが必要だ。赤ん坊の事も含め、帝国への対処、レイトリフ大将への返答など。赤ん坊を攫った首謀者があんただとあんたの口から聞けた以上これはもう個人の問題ではなく国家の外交の問題になる。下手をすれば戦争だ。刺客だって送られてくるだろう。俺も持てる情報は全部出すから話し合おう。時間はないぞ」


「せっかちねェ。わかったわよぅ。じゃあ今晩、夕食も兼ねてジウの神殿に来なさァい。オッタちゃんやほかの有力な戦士も集めて話し合いましょお」


「よし」


「それまではわたしと……」


「ラグ・レに会わなければ。ブランクも、そうだろう?」


「あ? あ、ああ。ノーラもな!」


「あの子たちなら今ここに向かって登ってきているわよォ?」


「そうか。じゃあブランク、行こう」


「あ、ああ!」


「せっかちな男ねェ。まぁ、気持ちよくなりたかったらいらっしゃい。いつでもいいわよォ」


「いずれな」


 ロブは淡泊に返事をすると踵を返して部屋を後にした。


 イェメトは何が可笑しいのかくすくすと笑っていた。


 外に出ると空気が清々しく美味しく感じられた。


 長時間いると思考も鈍ってくるので今後注意が必要だなとロブは思った。


 なんにせよ耐えられないほど眩しかった。


 あれが魔力の量の可視化だとするとやはりとんでもない化け物だと言えるだろう。


「ロブ、すごいな。なんで平気なんだ?」


 ブランクが憔悴しきった声で尋ねてきた。


 少し前かがみなのを指摘しないでやる優しさはロブにもあった。


「色欲の権化といった感じだったな。だが俺には眩し過ぎてそれどころじゃなかった」


「見えないっていいのか悪いのか……」


「それよりもラグ・レたちが来てしまうぞ。ブランク、いいのか?」


「よ、よくねえ。俺、ちょっと先に家に帰るから後よろしく!」


 そう言うとブランクはへっぴり腰で歩きづらそうに階段を駆け下りていった。


 一人残されたロブは苦笑して肩をすくめるのだった。


 大賢老ジウを筆頭に慈愛のイェメトに審判のオタルバ。


 そしてラグ・レやブランクたち。


 新しい仲間もやたらと個性的だ。


 いい奴らである。


 助力は惜しまない、とロブは心に誓った。

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