時を待つ 8
――ロブ・ハーストよ。それが君の償いかね?
「ああ。俺に親族はいないし、もう充分なんだ」
ロブははっきりと答えた。
あのまま軍に残っていてもずっと同じ毎日が続くだけだ。
万が一前線に返り咲いても、次はきっと誰が放ったのかも分からない凶弾に倒れるだけだろう。
退役しても自分の年齢ならもう定職にもつけまい。
戦争により国内の男手は不足してはいるが就ける仕事など炭鉱夫くらいなものだろう。
だからまだ命に価値があるうちに。
誰に殺されたかも分からない息子の無念を抱えて生きる遺族の憎悪を甘んじて受けることこそ最善の最期なのだとロブは考えていた。
――そうか。だが、残念だがその願いは聞き入れられない。
「何故だ?」
――確かに我が力を以てすれば君の記憶に残る気脈を辿り遺族の現在の居場所を知ることが出来るだろう。見ての通り、我はすでに大樹と一体の身。根は大地の気脈を辿り、遠く果てなる地のことも見えよう。だがな……厳しいことをいうようだが君は罪を償おうとしているのではない。罪から逃れようとしているのだ。
「そうか?」
――遺族の前に君が現れ、子を殺した本人だと告白すれば、あるいは親は君に死をもって償わせようとするかもしれない。しかし君の登場により親は二度心を殺されることになる。そして君を縛り付けている業を相手は受け継ぐことになるのだ。その業を援けるつもりはないよ。
「それは考えたさ。だがさっきも言っただろう。俺には親族がいない。負の連鎖が続くことはない」
大賢老は殺人を幇助する気はないと言っているのにロブは論点がずれていた。
ロブは復讐の連鎖さえなければ相手は心置きなく自分を殺すだろうと考えていた。
人を殺すということ自体がそもそも心を苛む原因になるという感覚はない。
普通の人間なら相手が誰であろうが殺人は忌むべき所業と考えるだろうに、戦場と平時を分けているつもりでも、戦闘員と非戦闘員を区別しているつもりでも、平時には殺人を極力行わないように努めていても、ロブの価値観は根本からそもそも一般的なものと大きくかけ離れてしまっていた。
――出来ぬ。出来ぬ理由は他にもある。ロブ・ハースト、君は容易く死ねぬ体になっている。
「死ねない体……どういうことだ」
――最悪の因果だ。君はアスカリヒトの呪いを受けている。アスカリヒトは死を司る蛇神だ。太古から人々は死を恐れ、死の化身たるアスカリヒトを忌み嫌った。アスカリヒトは人々に平等の死を与えるために強大な魔力の源たる自身の肉体を無数に分け、己の分身を作ることが出来た。その分身は黒い稲妻と炎を身に宿す憎悪の権化として死神と呼ばれていた。
「どういうことだ。俺は死神になったということか?」
――端的に言えば、そうだ。君は今魔力によって生かされているといっていい。死にかけたことはないか? その度に君は甦っているはずだ。
「…………」
そうか、とロブは理解した。
海で溺れ助かったのは魔力による奇跡で、自分は本当はあの時に死んでいたのだ。
失明は治らず腕や腹の傷が癒えるのは遅いのにオタルバとの戦いで生じた怪我がもう治っているのは、それが蛇神の呪いを受ける前と後の違いがあるからだったのだ。
――その呪いは使い切るには莫大だぞ。使わねば己の内に熱が溜まり壮絶な苦痛を伴って燃え尽きるだろう。しかし死ぬには少々しぶといぞ。君は君が殺してしまったという子供の遺族に、何度も蘇る君を目の当たりにさせるつもりか?
それは逆に遺族を苦しめることになるだろうということはロブにも分かった。
「呪いを解く方法は?」
――ない。
「ない?」
――ああ、ない。アスカリヒトそのものに呪われたなら道はいくらか残されていただろうが……君の受けた呪いはアスカリヒトの分身の呪いだ。分身には意志がない。ただの害悪だ。つまり呪いもまた意志のない模倣でしかない。呪いが解けぬ以上、苦痛を伴って死ぬか時々力を発散して生き続けるかの二択しか、君に残された道はない。
「……なんだそれは。本当に意味のない呪いだな。力の発散とは?」
――内に溜まる魔力の解放だ。死して蘇生に魔力を充てるもよい。外に向けて発散するもよい。
「俺に魔力はないんだろう? だったら呪いで完全に死ぬか、死んで生き返ってを繰り返すしかないってことじゃないか」
――そうだ。
「……ちなみに苦痛を伴って死ぬってのはどうなる?」
――内に溜まった熱が黒い雷炎となり、その身を焼き破り周囲を焼く。溜まった魔力が多ければ多いほど延焼の範囲も広くなり、憎悪の炎に焼かれた地は二度と蘇らぬ。そしてそこに誰かがいたのなら、次はその者が呪いを繋いでいくことになるだろう。
「最悪じゃないか」
――そうだ。はるか昔におとぎ話となったはずの古神の力だ。
「信じられん。が、信じるしかないのだろうな。だが俺はどうしたらいい。あんたにも解けない呪いだったらもう誰にも解けないだろう? 俺は償いがしたくて国を捨てたんだぞ。もう後の事なんか考えてなかった。こんなことになっているなんて、誰が思う?」
――安心しなさい、ロブ・ハースト。我は君を受け入れる。ここで魔力を理解するのだ。魔法を使えずとも、理解出来るようになれば呪いは多少和らぐだろう。
「迷惑がかかる」
――そんなことはない。魔力との向き合い方は私が教えよう。審判のオタルバもまた魔力を理解する者だ。彼女に師事を仰ぐでも良い。そして……この大樹の頂に慈愛のイエメトがいる。彼女は癖が強いが、私よりもオタルバよりも魔力に関してはよく知る者だ。きっと力になるだろう。
「慈愛のイェメト……」
――彼女の魔力は我やオタルバの比ではない。なにせ彼女はアスカリヒト同様、太古から生きる古神の一人なのだ。
「いにしえがみ……よく分からんが、いてもいいなら世話になる。俺だって意味もなく苦しんで死ぬのは御免だからな。魔力の使い方、教えてくれ」
――いいだろう。ではブランクと共にイエメトに会いに行きなさい。それが終われば君も我の住人だ。先ほどのバエシュ領領主からの密命の件は皆で話し合いたいから後にさせてもらう。いいね?
「分かった」
――では行きなさい。
ロブは大賢老に一礼をすると神殿を後にした。
神殿の脇ではブランクが水たまりで遊んでいた。
「あっロブおかえり。大賢老と本当に話せるんだな」
「ああ。なんでも俺はアスカリヒトとかいう昔の神の呪いを受けているらしい」
「アスカリヒト?」
「俺にもよく分からんが、ここで魔力の勉強をしないと苦しんで死ぬことになるそうだ。だから勉強するためにここの住人にしてもらえた」
「ほんとか? 良かったじゃんか! じゃあイェメトに挨拶しにいかないとな。さっきも言ったかもしれないけど一応イェメトがここの代表みたいなもんだから」
「ジウが代表じゃないんだな」
「だってジウの声はイェメトかオタルバしか聞こえないんだぜ? 仕方ないよ」
「上か……これ登るのか」
見上げると大樹の頂は遥か先だ。
浜辺からジウに辿りつくのでさえきつくないと言えば嘘になる状態だったロブにとっては苦行だった。
「そのうち慣れるさ!」
ブランクは足取り軽く湖の小路を渡っていき、少し離れた所でロブを急かした。
「……まぁ、もう目的もないしな」
第二の人生の始まりと考えれば生活が変わって戸惑うこともあるだろう。
上を見ればきりがないのでロブは黙って前だけを見ることにした。