時を待つ 6
――審判のオタルバよ。その者を私の元へ連れてきなさい……。
それは優しげな老人の声だった。
どこからともなく聞こえてきたというよりは直接脳内に語りかけてきたような感覚だった。
大賢老の声だ、とロブは本能的に感じとった。
「おや……どういう風の吹き回しだろうね。ジウがあんたに会いたいってさ」
オタルバは一瞬だけ動きを止めたが大賢老の意志は絶対のようで自分の判断を覆されたことには特に気にしないようだった。
「今の声は……大賢老か?」
「!」
「!!」
ロブがオタルバに尋ねるとオタルバとブランクが驚いた。
二人の反応を逆に不思議に思ったロブだったがオタルバは口元に手を添えて質問を返す。
「あんた、ジウの声が聞こえたのかい」
「嘘だろ? ロブは普通の人間だぜ? 俺にだって聞こえないのに……」
ブランクがおかしなことを言う。
確かに大賢老の声が聞こえた時の感覚は耳から聞こえたそれとは異なっていたが内容は至って普通だった。
ジウの住人である二人が聞こえロブが聞こえないという状況だったら分からないでもないが、ロブとオタルバが聞こえてブランクが聞こえないとはどういう事だろうか。
「どういうことだ? 聞こえないとは?」
「こっちが聞きてえよ!」
「…………?」
「ブランク、ジウがそいつを呼んでるんだ。ジウの元へ連れてってやりな」
「まじかよ!」
ブランクの反応を見るに本当に聞こえていなかったようで、すると大賢老の声は聞こえる者と聞こえない者がいるということか。
三者に一体なんの違いがあったのかはロブには分からないが、しかしそれは亜人かどうかは関係がないようだった。
「まぁよく分からねえけど、よかったなロブ!」
ブランクは謎多き今の状況を推理することを放棄したようでとりあえず結果を喜ぶことにしたようだった。
ロブも流れが変わった現状を好機と見て早々に動くことにした。
「ああ。オタルバ、もう中に入ってもいいよな?」
「あ? あ、ああ。ジウの意志は絶対だ。あたしはもう何も言わないよ」
「そうか。お前は来ないのか?」
「馬鹿をお言いよ。あたしは門番なんだ。中の案内はブランクがするさ」
「そうか。……オタルバ」
「なんだいうるさいね! とっとと行きな!」
「すまん。礼を言う」
「礼を言われるようなことは何もしてないよ」
「いや、殺すとか言いつつ結局手加減してくれたな。それでもぼろくそに痛めつけられたわけだが……まぁ、楽しかったよ。殺し合いではない戦いで全力を出したのは久しぶりだった。また手合せ出来たら嬉しい」
「えっ? あっ、う……うん」
オタルバはロブを危険な存在だと認識していたので勿論最初は殺す気で攻撃した。
しかしロブの中では首の骨を折られ心臓を潰されたことはなかったことになっているらしかった。
そのうえで楽しかったなどと言われたら不気味を通り越して呆気に取られるしかない。
オタルバは噛みあわない状況に呆けた返事をしてしまった。
「それじゃ行こうぜロブ! 中を案内してやるよ!」
「あっ待ちなブランク、まずはジウに会わせるんだよ!」
「分かってるよ!」
ブランクはロブを連れて大樹の中に消えて行った。
「……なんなんだい、変な奴だね」
その後ろ姿を見つめ、オタルバは唐突に紅潮し出す頬を両手で押さえ一人文句を言うのであった。
ジウの中に入るとまずは木壁の回廊を上っていく。
木の内部に入って行く感覚は不思議なもので、回廊自体は人為的に掘削されたものではなくひび割れや穴が繋がった所を歩けるように舗装したといった感じだった。
そのため段差や道幅は不規則でロブにとっては非常に歩きづらかった。
ある意味天然の要害といえるだろう。
暫く歩いていると風を感じる開けた空間に出た。
それは大樹の中心に出来た広大な空洞だった。
超大な壁に囲まれたその空間は、下は水が溜まり湖のようになっている。
熱帯だというのに涼しく感じるのは吹き抜けの天井の先に大樹の葉が生い茂り直接の日光を遮っているからだろう。
内壁には人工的に階段や通路が後付されており窪んだ樹皮面を利用したりそのまま壁に台を設けて建てられたりした家宅が点在していた。
ロブの目には無数の光が飛び交い、特に湖の中心は眩いばかりに光って見えた。
空気が濃いのか実に爽やかだ。
穏やかな雰囲気に包まれた空間はまるでおとぎの世界のようであった。
「すごいだろ。あとで色々案内するからな。ラグ・レとノーラもどっかにいるはずだ。でもまずはジウに会わなきゃ」
「そういえばさっきから気になってはいたが……お前たちは大賢老の事をジウと呼んでいるな。ジウとは国……というか共同体の名前じゃなかったのか」
「んー、まあな。なんて説明したらいいんだろうなぁ、大賢老とジウは一緒なんだ。会えば分かるよ」
そう言うとブランクは湖に続く階段を降りて行った。
ブランクの後を追い湖に降りる。
湖の中心には蔦に覆われた石造りの建物が見えた。
上から見た時は湖に浮かぶ水草と一体化して分からなかったがそれは立派な神殿だった。
木の内部であるという前提が思考を邪魔しているのか遠近感や大小の識別がおかしくなりそうだ。
神殿までは細い小路が続いていた。
中に入るとそこには太い蔦に飲まれた玉座があり誰か座っている。
強い光はそこから発せられていたようだ。
「ジウ、ロブを連れて来たよ」
ブランクの言葉でそれが大賢老だということが分かった。
ロブは眉間にしわを寄せた。
光に目が慣れ始めそれの輪郭が見えてきた時、ロブは大賢老の異質さに気づいたのだ。
それは長い年月により玉座と蔦に同化した人間の枯骸であった。