時を待つ 5
「オタルバ! なんで殺した!?」
ブランクの声が湿地帯に響いた。
信じられなかった。
審判のオタルバがロブを殺した。
あっていいはずがないことだ。
確かにオタルバは宣言したし、冗談でも嘘をいうような性格ではないことは知っていた。
しかし本当に実行するとは思わなかった。
少し離れた所ではロブが壊れた人形のように地面に倒れ伏して動かない。
なんという呆気ない幕引きだろう。
ブランクは頭の中が真っ白になった。
真剣に詰問しているというのに自分と目を合わせるのはそこそこに、オタルバは静かにロブを注視している。
その態度も悲しくて腹が立つ。
どうしていいかわからず手を上げ下げし言葉の出ないブランクをオタルバは低い声で制した。
「ブランク、ちょっとお待ち。今に分かるさ」
「分からねえよ!」
「ほら見な、くるよ……」
顎を上げてロブを指すオタルバにつられロブを見たブランクは信じられない光景を目撃した。
一瞬、ロブの体から黒い稲妻が迸った。
稲妻に誘発されたのか体が発火し黒い炎が生じる。
炎は生き物のようにうねりロブの体を這い回ると次第に小さくなり消えた。
するとロブが立ち上がったのだ。
「嘘だろ……」
ブランクは我が目を疑った。
確かにロブの首はオタルバの一撃で完全に骨がくだけていたはずだ。
それにも関わらず、ロブは多少痛そうにしているだけだったのだ。
「流石に凄い力だな……」
首を鳴らし、咳込みながら呟くロブ。
ロブはオタルバに殴り飛ばされたのだと思っていた。
動きが完全に見えなかったが威力は大事に至るほどではなかったらしい。
豹顔の見た目通り素早さ重視かとロブは推理した。
しかし殴られて自分の闘争心にも火が付いたか、ロブは根拠のない自信で胸を高鳴らせていた。
今ならいける気がする。
ロブは前に落ちていた槍を拾い構えた。
「まだ降参はしていないからな。次は俺からいくぞ」
ロブの反撃が始まった。
間合いを詰める。
不意を突かれオタルバはあっと息を飲んだ。
ブランクを突き飛ばし背中を丸めると、ロブが振るった槍が弓のようにしなり轟音を立てて頭上をかすめていった。
そのオタルバの顔面に迫るのは今度は回し蹴りだ。
槍の攻撃は避けられると踏んで放たれた第ニ撃であったがオタルバはこれもよけた。
ブランクはその攻防を目で追うのでやっとだった。
オタルバの実力は知っている。
そしてこれがロブの本気か。
浜辺で手合せしてもらった時のなんと優しかったことか。
体に不思議な電気を帯び、人間離れした敏捷性と力を駆使して闘うロブは流石最強の兵士と呼ばれるだけあると感心した。
対してオタルバは必死だった。
先ほどまでとは別人の動きであり防御だけで手一杯だ。
打撃は受ければきっとただでは済まないだろうし、そもそも矢継早の攻撃が思考すら許してもらえない。
今を耐え抜け。
オタルバもついに本気を出すことにした。
ロブの石突きの攻撃をわざと腹にくらう。
筋肉を脱力させつつ特殊な呼吸法で内臓を肋骨に上げ、致命傷は負わないように工夫したつもりだった。
受け身の体制を取っていてもロブの腕力はいなしきれないほどの威力を持ち、腹を通り越して腰骨がきしんだ。
しかしおかげでオタルバは遠くへ吹き飛ぶことが出来た。
まさかロブが自分の速度についてこれるとは思っていなかったのでこれはロブとの間合いを取るための苦肉の策だった。
着地を許さない勢いで再びロブが接近する。
だが。
「調子に乗るんじゃないよ!」
オタルバが体勢を立て直し右手を前に出す方が先だった。
ロブの目が眩んだ。
ただでさえ眩しく感じていたオタルバの光が一層に輝いたからだ。
そして下から突き上げる謎の一撃で宙を舞った。
ブランクは初めて目の当たりにした。
オタルバが手をかざした瞬間、ロブの足元の土が勢いよく石柱のように地面から飛び出したのだ。
土は元通りに戻りロブは見上げる高さから地面に叩きつけられることになった。
ロブの体にまとわりついていた黒い炎が消えた。
「……ふんっ、最強の兵士だなんて聞いていたけど、大したことないねぇ。本当にそれで全力かい?」
オタルバは戦闘不能になったロブを見降ろしながら啖呵を切ったが肩で息をしているのをブランクは見逃さなかった。
ここまでオタルバが追い詰められたのは初めてだ。
そしてオタルバがあの力を……魔法を使ったのも初めて見たのだった。
「負けだ……言い訳はしない」
「するべきさ。それで自分に何が足りないのか分かるのならね」
「…………」
ロブはなんとか起き上がると胡坐をかいて溜息をついた。
「いけると思ったんだがな。途中からあんたの動きが追えるようになった。だけど追えるのと見られるのとじゃ違うな」
「生意気言ってんじゃないよ坊やが。なんだい、追えるけど見れないって。普通逆だろ? 見えるけど追えないって言いたいならこれは単純に戦闘経験の差さ。伊達に長生きしちゃいないよ」
「いや、そうじゃない」
「仕方のないことなのかもしれないがあんたは自分の力の使い方が分かっていないんだ。あたしが審判するのはそれさ。己の力の使い方が分かっているか、そもそも力がないか。そういう輩だったら中に入れてやってもいいんだけどね。あんたみたいに自分の持つ力に振り回されて予想外の事態を招くような奴はジウに入れるわけにはいかないんだよ。万が一があってからじゃ遅いからね。だから……」
オタルバは槍を拾った。
「帰りな。悪いけどあんたの力はあたしが制御の仕方を教えてやって何とかなるようなものじゃない。あんたが後天的に宿したその力はジウに最も近づけちゃいけない力だ」
「何を言っているか分からんが俺の事は俺が一番よく分かる。敗因はそれじゃない。見えてさえいれば俺の勝ちだった」
「往生際の悪い男だねぇ、なんなんだいさっきからうだうだと!」
「眩し過ぎだ」
「ふん?」
「あんたが眩しくて堪らなかった。それに惑わされた。それが俺の敗因だ。ただそれだけだ」
「眩しい……?」
「…………」
「……………………」
「……………………」
「……………………ふぇっ」
暫く続いた妙な沈黙はオタルバの気の抜けた声で終わった。
オタルバはロブの言葉にどうやら何か勘違いをしたようだった。
「なな、なにを言い出すんだ急にっ?」
オタルバは目を白黒させた。
目の前の男が真顔でとんでもないことを言いだした。
眩しくて仕方がないだと。
自分は眩しくなどないからこれは比喩なのだろうが、すると男は自分を異性として見てしまい傷つけることが出来なかったと言っていることになる。
つまりロブは自分に……惚れたということか?
「ぎゃっ!」
「オタルバ?」
変な声をあげて後ずさるオタルバ。
オタルバの意味不明な動きを心配するブランク。
光の光源がどこなのか、手をかざしてみたり布越しに目を掌で覆ってみたりするロブ。
そしてそんなロブの頭に直接何者かの声が響いた。