時を待つ
サロマ島で鋭気を養ったロブとブランクは日の出と共に北へ針路を取った。
北にあるいくつかの島々の中で目指すのはアルマーナ島だ。
アルマーナは亜人の国アルマーナのある島であり、ウェードミット諸島随一の大きさを誇る。
しかし島の殆どは巨大な原生林によって覆われており居住できる面積は少ない。
また、とある理由から普通の人間は絶対に上陸さえ出来ないとブランクは言った。
島は北と東は断崖で、南と西に向かい緩やかに海抜が下がっていく。
そして川の水の流れ込む南側は遠浅の湾口と河口とが繋がって広大な汽水湖と化していた。
ジウに用事がある場合はそこから入国しなければならない。
それがアルマーナが譲歩した唯一の入国方法だ。
もしも部外者である普通の人間がそれ以外の場所から上陸を試みようものなら亜人たちから苛烈な排撃を受けることになる。
少数、そして人間とは異なる外見や特性を持つが故に追いやられた人々が行きついた最後の楽園こそアルマーナの正体であった。
「見えて来たぞ」
船を漕いでいたブランクが沖を指さした。
顔を上げたロブの視界には光に包まれた島が見えた。
眩しそうに掌で視界を遮ったロブを見てブランクは不思議そうな顔をした。
快晴の朝、日光はすでに照りつけているのに今更眩しさを感じている素振りを見せたロブが理解出来なかったのだ。
「ロブ、あんた今寝てたろ」
「いや。気にするな」
「俺ずっと漕いでるんだぞ!」
「すまないとは思っている」
手漕ぎ船の経験がないロブが漕いでも一向に進まないのでずっとブランクが船を漕いでいたのだったが、どうやらブランクはロブが寝起きで眩しさを感じたと勘違いしたようだ。
説明するにもこの感覚は自分にしか分からないだろうとロブははぐらかすことにした。
「あ……やっべぇ俺、今すげぇおもしろいこと思いついちゃった」
「俺が船を漕いでる間にあんたも船を漕いでいたんだな、とかだったら面白くないぞ」
「!! ……ロブ、あんた冗談が分かるのか!?」
徐々に目が慣れてくるとともに島の全貌が見え始める。
それは突如として海の上に突き出た山だった。
様々な種類の樹木が生い茂り地表を埋め尽くしている。
植物の成長条件を無視したその繁殖ぶりは明らかに一線を画していた。
汽水域は海漂林の群生地帯となっており、入り組んだ水路が迷路のようになっていた。
土地勘もなく迷い込んだら永遠に脱出できないと感じさせるほどの広大さだ。
ブランクは慣れたものですいすいと奥に進んでいく。
船を追うように海漂林の奥で無数に光が着いてきていた。
「ブランク」
「ああ、気がついた? 流石だな。アルマーナの戦士たちだよ」
やはりそうだ。
不規則に動いている光の集団は亜人達らしい。
ロブの目は人や物の輪郭を光として捉えるようになっていた。
しかしその対象が遠くにいると輪郭がぼやけ、完全な光の塊としてしか認識できなくなるようだった。
アルマーナ島も遠くから見た時は眩いばかりの光の塊だったが接近してしまえば無数の光の輪郭から成っていた。
それにしてもどういう理屈で質が違うのか、木や草に至るまでランテヴィア大陸にいた時とは比較にならないほど輝いて見えるのだった。
殺伐とした気配はずっとついてくる。
まるで撤退戦の時のようだ。
四六時中見張られていて、油断すれば襲い掛かってきそうだ。
あの時の感覚が蘇りロブは実に居心地が悪かった。
「俺を狙っているのか?」
「警戒してるんだ。俺一人の時だっていつもこうだよ。道草食わなきゃ何もしてこないから心配しなくていいよ」
「友好的だな」
「……まあね」
苦々しい顔をするブランク。
そういえばブランクはアルマーナ出身のカルナグーだと言っていた。
祖国を悪しざまに言われて良い気はしないだろう。
ロブは失言したと思いそれ以上の言及を避けることにした。
海漂林を抜けると若干開けた浜辺に辿り着く。
そこにはいくつもの船が陸に揚げられていた。
波止場を思わせるような施設は全くないがいわばここがジウの港なのだろう。
周囲には伐採された木材や作りかけの船もあった。
「ノーラの船だ。ちゃんと帰れてた」
ブランクが見つけた船には船首に奇妙な取っ手のようなものが付いていた。
ロブは船に詳しくないので少し気にはなったがそういう型の船なのだろうと思った。
ラグ・レを乗せたノーラの船が無事に辿り着いているとなったら赤ん坊もジウ入りを果たせているだろうか。
「赤ん坊がオタルバの審判を受けたことはないと思うなぁ」
ブランクの記憶にも前例はないようなのでロブはひとまず安心した。
自分含む周囲の思惑で勝手に連れ去られた赤子はせめて安らかであってほしい。
身勝手で独善的ではあるがロブはそう願わずにはいられなかった。
ブランクは浅瀬に飛び降りると船首に縄を括りつけその怪力で易々と船を揚陸させる。
「もう降りてもいいよ」
ロブはアルマーナに上陸を果たした。
まだジウに辿り着いては居ないものの感慨深いものを感じる。
アルマーナは島嶼の中で唯一、如何なる時も中立という名の鎖国を続けていた島だ。
一部の島嶼国家としか交流がなく当然ゴドリック帝国とは一切の交流がない。
果たしてランテヴィアの歴史の中でこの地を踏んだ人間が何人いるだろうか。
地獄のような撤退戦から一年。
ラグ・レと知り合い、怒涛の転換期を迎えてからは僅か半月足らず。
国交のない帝国兵の身分であったら絶対に来ることの出来なかった場所だ。
願いは意外な速さで成就したものだ。
しかし大賢老に会うまではまだ道半ばである。
会って己の罪を清算するまで立ち止まってなどいられなかった。
ジウに入る資格を問われる審判とやらが気がかりだが考えても詮無きことだ。
ブランクに先導されてロブは密林の奥へと進んでいった。