凌ぎ 5
まっすぐな瞳に見つめられロブは反応に困っていた。
レイトリフの心情はよく理解出来た。
あの日でなくてはならない理由もよく分かる。
だがそれ故にあの日を反乱決行の日と定めるのは無理があった。
理由は撤退戦の惨劇から日が浅く、ブロキス帝に怨みを持つ者たちの襲撃が高い確率で予想されるからだ。
そうならば記念式典に臨む皇帝の警護は厚く、軍備も整えられているだろう。
すると革命が成功する可能性は極めて低くなる。
引くに引けなくなればあとは泥沼の内戦に突入するのみだ。
そういった懸念から世論では今年は開催するべきではないとする意見が主流だった時もある。
確かにただでさえ戦争に次ぐ戦争で人民は悲鳴を上げているのに、ここへきて内乱の心配までしなくてはならない状況など誰が望むというのだろうか。
皇帝としては開催を見送って臆病者の烙印を押されるのが嫌なのか、それとも反乱分子に屈しない姿勢を見せたいのか、レイトリフの口ぶりからすると開催も出席も確定のようだった。
そうなると決行までもう三ヶ月もないではないか。
果たして準備はどこまで終わっているというのだろう。
「大転進記念祭ってなんだい」
ブランクが尋ねた。
「ああ……半年前にリンドナル領の官民が提言し認可された国家行事でな。イムリント撤退戦で亡くなった者たちを鎮魂する催事の公称だよ、エインカヴニ。いわゆる鎮魂祭だな」
「なんだ、イムリント撤退戦のことか。なんで敗走したことでお祝いするんだ? 変だろ」
「ふっ……正論だな。方便だよ。撤退は語感が悪い。だから転進と言い換えた。そしてその転進が成功したから祝うのだ」
「成功したのか」
ブランクは懐疑的な視線でロブを見た。
ロブから聞いた話は実に悲惨で、それがもしも一部のことだったとしても纏めて祝って良いものではないだろう。
「無論、大失敗だ。だから隠すのだ。真実を隠し、蓋をするのだ」
レイトリフは立ち上がり窓から外の海を眺めた。
船は秘密の海岸沖で停泊しているので見える景色に変化はない。
しかしレイトリフは遥か水平線を見つめていた。
まるで島嶼に思いを馳せるように目を細めて。
「記念祭は散っていった者たちへの侮辱でしかない。マリウス・シドーは大袈裟に祭り上げられ、キースたちは罪を被せられた」
「マリウス・シドーって、あの英雄のことか」
ブランクの言葉にレイトリフは意外そうな顔で振り返った。
「シドーを知っているのか」
「島嶼では有名だよ。イムリント撤退戦の時にリンドナル方面軍を逃がす為に最後まで戦ったって人だ。その高潔な死は島嶼でも評判になったんだ」
「間違いではないが、彼もまた歴史の改竄に巻き込まれた者の一人だ」
「どういうことだよ?」
「私はこの一年間ずっと調べてきた。今語られている話は既に何者かの手によって改竄された偽りの歴史なのだよ」
マリウス・シドー現特進大将は確かに英雄だった。
しかしレイトリフに言わせれば事実は少し異なっていた。
当時のリンドナル方面軍の布陣図を紐解いてみるとマリウス・シドー少将の部隊は撤退命令が届かなかった地域に属しており、他の部隊が撤退を開始していることを知らなかっただけだったというのが分かった。
友軍を逃がす為に十八日間戦い続けたとされる逸話の根拠はキース・アロチェットの撤退開始日からの計算であるが、実はシドーの陣営ではそのうちの前半六日間ほどは戦闘が行われていないのである。
その六日間こそまさにキース・アロチェットが撤退に要した日数であり、つまりシドー隊は結果的に最後まで残ってしまったが為に敵から集中砲火を受けたという結論のほうが正しく、彼は自己犠牲の意志があって残ったわけではなかった。
そんな彼が殊更に持ち上げられたのは、裏を返せば誰かを貶めたいからに他ないとレイトリフは結論付けた。
誰かとは戦犯として処されたキース・アロチェット、カーリー・ハイムマンら独断停戦交渉の責任者と、敵前逃亡のネイサン・プロツェットら現場責任者のことだろう。
「キースは私の友人だった。カーリー・ハイムマンは私の……私の愚かな娘だ。帝政もあからさまに彼らを戦犯扱いすることはないが、それでも世間はいずれ分かりやすい悪を求めるだろう。帝政が手を下さずとも彼らの魂が穢される未来はそう遠くない。そうなってからでは遅い。今しかないのだ!」
レイトリフはロブの元まで歩み寄ると片膝をつきロブと同じ目線になった。
「ハースト軍曹。私は調べたぞ」
そしてロブの顔を覗き込む。
「君は……君たちは前線は前線でも、戦犯プロツェット隊にいたんだね?」
「…………」
「公式の資料ではガイスト隊に所属していたことになっているが、本当は違う。そうだろう? なあ軍曹、プロツェット隊は本当に敵前逃亡したのか? 臆病風に吹かれて、周りの隊に抜け駆けして。私はそうは思えないんだよ。真実は君が一番よく知っているはずだ。やむを得ない事態が起きて、酷く辛い思いをして、やっとの思いで帰ってきたんだろう? ……だがな、その悪夢を、セイドラント候は私利私欲で改竄しようとしている。彼らの名誉が奴によって汚されようとしているのだ。君の同胞は祖国に帰ることもなく、未だに異境の泥の中だというのに。……誰も彼らに思いを馳せることはない。完成したばかりの慰霊碑に、いったい何を祈るというのか。ハースト、君たちの戦争はまだ……終わってはいないんだ」
語気の強まるレイトリフの眼は静かに狂っていた。
彼もまた時が止まってしまった者の一人なのだ。
ロブは何もかも捨てて逃げ出したかったのに。
己の罪と向き合いたかったのに、運命はどうやらそれを許してはくれなかった。