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凌ぎ 4

「軍曹、君が国家の機密とやらを盗み出した時、このバエシュ領にも火急の報が入った」


 レイトリフ大将が紡ぎ出した言葉は嵐の夜の事だった。


「君のその後の行動で考えられるのは当然国外逃亡であった。しかし近場で船を出せる場所といったらテルシェデントかカヌークしかない。私は早急に警備の強化を下知したが、願わくば当方に来ないで欲しいと祈っていた」


 テルシェデントへ厳戒令が出されたのは地理的にもカヌーク近辺のエキトワ領方面軍に命令が発布されてから少し後のことだろう。


 ブランクによればラグ・レもテルシェデント近郊で兵士に見つかりカヌーク側の秘密の浜辺まで逃げたはずだがレイトリフの口ぶりはどうやらそれを知らないようだった。


 ラグ・レは大きな外套を着ていたので兵士に何処の人間か気づかれなかったのかもしれなかった。


 若しくは面倒くさがった現場の判断で事件との関連はなしと揉み消されたのかもしれない。


 しかしそれがレイトリフの耳に入っていたとしてもレイトリフは帝都へ報告しなかっただろう。


 事件に対しバエシュ領が大袈裟に動き出したのはノーラとラグ・レが海に脱出してからのことだった。


 それまでは下手にこの件に反応したら繋がりを疑われてしまうと息を潜めていたに違いない。


 ところがロブたちがバエシュ領に逃げ込まずに国外を目指したおかげでレイトリフは共謀を疑われる心配がなくなった。


 だからレイトリフは一転して全力で捕縛に当たり始めたのだ。


 仮に捕えられなくても忠誠心を見せる事が出来ただろう。


 船を全て沈められたのは大誤算だっただろうがそれも共謀からは程遠い結果だった。


「結局、君たちはバエシュに来ないでくれた。当方の関与は疑われずに済んだ。そして今、隙をついて会うことが出来ている。まるで時の女神に微笑まれているとしかいいようがない潮合いだな。ただし、船を沈められたのは大誤算だったよ。バエシュの軍事力と懐事情に大きな穴が開いてしまった。まぁ、おかげでセイドラント候からはいよいよ耄碌したと判断されたようで御咎めは調査班を送られるだけで済んだがね」


 苦笑いするレイトリフにロブは素知らぬ顔で相槌を打つ。


 余計な事は黙っていた。


 実を言えばロブとラグ・レはテルシェデントで落ち合うはずだった。


 しかし馬で先行したラグ・レと違い、徒歩でしかも囮を買って出ていたロブは嵐も相まってバエシュ領に到達できなかったのだ。


 それにしても耄碌したと判断した人間をそのまま上に据えておくという皇帝の人事はなかなか理解しがたい采配だ。


 皇帝にとっては自分に逆らいそうな者の力が削がれているわけなので都合が良いのかもしれなかった。


 その采配は結果的に自らの首を絞めることになるとは考え付かないものなのだろうか。


 まさに絵に描いたような独裁者であった。


「ところで船を沈められた件なのだが、君の仲間はどうやったんだ? 全ての船を瞬く間に沈め、かつ乗組員は一人として殺さないなど信じられん話だ。乗組員の話では大きな衝撃の後にまるで掌を返すように船がひっくり返ったというじゃないか」


 それはロブも気になっていた。


 先ほど自分たちに襲い掛かってきた兵士たちは十や二十の数ではなくその十倍はいただろう。


 それでも連れてくる人数を絞ったというのだからかなりの人数が転覆の憂き目を見た事になる。


 沈められた船の規模がどれほどかは分からないが、仮に十五人から二十人乗りの船と仮定した場合少なくとも五隻以上の船が犠牲になったという計算になった。


 そんなことが出来る人間がこの世にいるとは思えなかった。


「そりゃあまぁ、そういうことが出来る奴がいるんだよ」


 ブランクは口ごもった。


 まだ真意の見えない者に仲間の情報を売るわけにはいかないという当然の判断だろう。


 それでもだいぶ申し訳なさそうなのは美味い焼き菓子を貰った罪悪感からか。


 おかわりまでしたブランクは良心の呵責に苛まされているようだった。

 

「そんな目で見るなエインカヴニ。なぁ君たち、いい加減に友好的でないその姿勢はやめてくれ。軍曹、君は分かっているはずだ。私が君たちに何を求めているのか大方察しはついているのだろう?」


 レイトリフは残念そうな顔をした。


 確かにロブは察しがついていた。


 しかしはっきりと行動で示してもらうか言質を取るかしないと信用など出来ない。


 ロブは毅然とした態度で頭を振った。


「ついてはいますが、確約ではありませんので」


「ふっ、銃の並んだ塹壕に槍で突撃する狂った男だと聞いていたが意外と慎重じゃないか」


 ロブの答えにレイトリフは降参だと言わんばかりに天井を見上げた。



「では聞いてくれ。軍曹、エインカヴニ。私はな、近いうちに反皇帝の旗挙げをするつもりだ」



 レイトリフがようやく真意を漏らした。


 それはロブの想像通りの答えだった。


 レイトリフがいつか蜂起するという噂はブロキス帝の圧政が強まるごとにまことしやかに囁かれていたし、それは噂を通り越して貧困にあえぐ人々の願望となっていた。


 経済力も帝都に次ぎ皇帝との因縁も深いレイトリフならいつか立ち上がるだろうとロブでさえも思っていた。


 化身甲兵がリンドナル領に隣接するバエシュ領でなくその上のエキトワ領に配備されたのは、表向きには北側島嶼国家の牽制の為だが万が一の際には親皇帝派で固めたリンドナル方面軍と共にバエシュを挟撃できる態勢にしていたのだろう。


 それだけ警戒されていることを知っていたからこそレイトリフは一年間、愚鈍を演じ続けていたのだ。


 そんなレイトリフがわざわざ危険を冒してまで自分たちに会いに来たのは後ろに島嶼国家の影を感じ取ったからに違いない。


 要はブランクを使節として扱い島嶼の与力を得たいということなのだ。


「老人の戯れではない。本気だ。この政権では国が滅ぶ。いくら列強が脅威とはいえ国家の運営は軍事一辺倒では成り立たん。にも関わらずセイドラント候は軍事のために悪政を重ね、今や地方は死に体となっている。しかしそうまでして何が得られた? 頼みの綱の軍事さえ島嶼諸国の離反を招き、ラーヴァリエとの戦では未だ戦功をあげられずにいる。もうこれ以上先帝の愛したこの国を好き勝手させるわけにはいかん」


「やはりそういう事でしたか。しかしブロキス帝は一部からは指示を得ているのも事実。更に不思議な力を使うとして恐れられています。勝算はあるのですか?」


「勿論だ」


 ロブの問いにレイトリフは身を乗り出した。


「我がバエシュ領は軍事力、経済力共に帝都に匹敵する。戦になれば負けはしない。しかし問題はある。内乱が起きれば諸外国が黙っていないだろうという点が一つ。あとは我がバエシュ領には内陸を攻めるに地の利がないという点が一つだ。我らが蜂起したとて帝都ゾアまでの道のりでセイドラント候にも準備の時間を与えてしまうだろう。そうなったらリンドナル方面軍と帝都軍に挟撃されるのは我らだ。島嶼からの侵攻も受ける恐れがある。いくら人の和を得ても我らには地の利がない。だから天の時を待つ」


「天の時?」


「ああ。秋にはリンドナルにて国家行事が行われるのは君も知っているだろう」


 ロブの心臓が揺れた。


「大転進記念祭……ですか」


 レイトリフは大きく頷いた。


「ああ。記念祭は国家行事に定められている。元首である以上セイドラント候の列席は絶対だ。どの面さげてかは知らぬがな。私はこれを討つ」


 レイトリフの眼には決意の光が灯っていた。

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