希望の子 5
ゴドリック帝国の版図は広大だ。
本領の島一つとその周辺の島嶼部が手中にあった。
ただし東側は未だ治安が安定せず帝国軍の前線基地となっている。
少尉はその東北側方面軍に駐屯していた。
細かく言えば東北戦線エキトワ領方面軍属下、ナッシュ軍集団属下、カロイネン師団属下、ギズモンド連隊属下、ハイラント大隊属下、ファーラン中隊属下の一隊が少尉の纏めるサネス小隊である。
その末端も末端に過ぎない少尉が帝都に召集されていた。
帝都ゾアのエセンドラ城は旧皇帝一族の居城であり、政の中心として現皇帝もそのまま利用している。
古い石造りの城壁は近代化に伴って鉄製の防衛設備で改修されていた。
ゾアは内陸にあり外敵に攻められる懸念はないのだが現皇帝は過剰だ。
歴史ある荘厳な城は禍々しいまでの武装で覆われていた。
騎乗の衛兵に先導されながら馬車は進む。
城下町を通り抜け、見上げる程大きな城門をくぐった。
馬車内は緊張に満ちていた。
車内には二人の男女が座っていた。
一人は端正な顔立ちの女性である。
錦糸の如き滑らかな金髪に白雪を思わせる肌、頬のふくらみがまだ幼さを感じさせるものの貴人たる気品も持ち合わせている女性だった。
対して斜め前に座る男は黒髪に淡泊な顔立ちの壮年男性だ。
男性は時折女性を気遣うように目を配っていた。
女性は唾を飲み、何度も小さな溜息をついていた。
目が合うと男性は優しく微笑んで見せる。
男性の優しい配慮はありがたかったが女性は自分の情けなさに自己嫌悪に陥っていた。
馬車が止まり、御者によって扉が開けられる。
降りるとそこは山のようにそびえ立つエセンドラ城の入口前だった。
そこに軍服に着られたような男が立っていた。
整えてはいるが地肌の目立つ頭髪に、特注なのかと疑いたくなるような大きな腹回りの中年だった。
男の前に歩み寄り敬礼する男女。
頷き敬礼を返した男の胸元で少佐を表す階級章が揺れた。
「ショズ・ヘイデン。少佐だ。遠路ご苦労な事だがさっそく謁見に移ってもらう。皇帝陛下がお待ちだ」
本人確認もせずに歩き出す少佐の後ろで男女は顔を見合わせ、慌てて後ろに付いて行った。
「ヘイデン少佐殿。お忙しい中でのご対応、誠に感謝申し上げます。私はエイファ・サネス。少尉です。こちらはビクトル・ピーク兵長と申します」
小走りで追いついた女性が名乗る。
ショズ・ヘイデン少佐は前を向いたまま答えた。
「最強の男ロブ・ハーストの小隊、ね。大層な名前を付けられて君も肩身が狭かっただろう。それが今度は造反ときたもんだ。心中察するよ。だが安心して欲しい。君に罰則が及ぶことはない。だから余計な保身はせずに聞かれたことは洗いざらい全て話す事だ」
少佐の言う通り、エイファ・サネスの小隊はサネス小隊とは呼ばれずにハーストの小隊と呼ばれることが殆どだった。
戦功の殆どが軍曹のものだったので仕方のないことだったが面白くないのも事実だった。
一応は責任者であるはずの自分が処断されないとなると自分はただの御飾りであると名実共に認知されているということか。
恥辱に唇を噛む少尉を兵長は横目で一瞥した。
「ヘイデン少佐殿、うちの……ハースト軍曹の分隊はどうなっているのでしょうか」
「ハースト分隊は未だ現地で拘束、尋問中だ」
「手荒な事はしないでください。彼らは本当に何も知らないんです」
「それは協力度合いによるな」
重厚な赤絨毯の廊下を歩き、大きな門の前で止まる。
その先は謁見の間、つまり皇帝の間だ。
少尉は唾を飲んだ。
この向こうには非道と恐れられる悪魔がいる。
エイファは下っ端なので皇帝を見たことがない。
当然横のピーク兵長も同様だった。
ここまで来た以上はもう腹をくくるしかない。
ヘイデン少佐は責任を課さないとは言ったが皇帝がどう判断するかは分からない。
重要任務をこなすことが出来なかった御咎めは一体どれほど残虐なものになるだろう。
想像がつかないが死よりも恐ろしい苦痛を与えられるかもしれない。
エイファは逃げ出したくて堪らなかった。
「さて、分かっていると思うが陛下に嘘やおべっかは通用しない。聞かれた事だけを的確に答えるように。頼むよ」
ヘイデン少佐の言葉と共に開け放たれた扉の先には荘厳な空間が広がっていた。