交錯の果てに 2
アルバス・クランツ。
ラーヴァリエ信教国との戦闘において格段の功を立てた軍神ハイムマン隊の特務曹長だ。
その存在は最強の男と称されたロブ・ハーストと並び陸軍の伝説的存在である。
しかし何故、酔いどれなどという一見して蔑称のような二つ名を付けられているのか。
その答えはクランツ本人の素行にあった。
徹底した軍令遵守の範疇で命を顧みない果敢な任務遂行を敢行していたハースト軍曹と違い、クランツ曹長は独断が過ぎた。
彼には命令などあってないようなもので、常に自分の感性に従って行動していたのだ。
その軍功が個人のものとは思えないほどの成果でなければ彼は本来ならば今なお裁いても裁ききれない軍令違反を償っている最中だっただろう。
その酔いどれクランツが避暑地でのんびり第二の人生を送っていたとは驚きだった。
「驚いた? 酔いどれさんは平和な町のお巡りさんになってましたとさ。すごくね?」
「は、はぁ」
なんと返せば良いか分からずエイファが生返事をするとクランツは何が面白いのかけたけたと笑った。
しかし傷が痛むらしく大人しくしなければならないようだった。
「その怪我は軍曹に?」
「そだよ。負けちった。油断したつもりはなかったんだけどさ。あいつ、絶対目が見えてるぜ」
「ですから、そんなはずはないんです」
「ないってなんで言い切れる?」
「見ましたから」
「確認したのか?」
「それは……」
自分だけではなく同じ場所にいたビクトル・ピーク兵長以下隊員たちもハースト軍曹の目はサネス一等兵によって斬られたと証言している。
しかし確かに失明を確認したわけではなかった。
しかも夜の、嵐の中での出来事である。
集団で勘違いしたのかもしれないとエイファは自信をなくしていた。
言いよどむエイファにクランツは優しく微笑んだ。
「まぁ分かるよ。あいつは失明している。これは確かな事なんだろうな」
「は?」
部屋にいた全員が怪訝な顔をした。
今さっき目が見えているといったばかりではないか。
「さっき見えてるって……」
「正確に言えば、あんたらが追い詰めた時には確かに失明したんだろうさ。だけど、俺らがマノラで戦った時には見えていた、と。まあ、そういうことになるわけさ」
エイファは言っている意味が分からなかった。
後ろを振り向くとバルトスもセロもお手上げといった感じで首を横に振った。
失明は治るようなものではない。
それはクランツも分かっているだろうに、何を不思議な事を言い出すのだろうか。
「いいか? どっちかの証言が正しいとなるとどっちかが嘘ってことになる。でも俺もあんたらも嘘なんかついていない。てぇことはだ、どっちも正しい! ……ってぇことで纏められないもんかね?」
「それは無理があるかと」
「そうでもないんだよなぁ。報告書見たでしょ。黒い稲妻、あれよ。あれを境にロブちんの動きが変わったんだ。あれこそがロブちんが帝都から盗み出したっていう重要機密なんじゃねぇのか? 何らかの新兵器だろう」
得意そうな顔をしてクランツが推理したがそれは違った。
公にはされていないが、軍曹が盗んだのは皇帝の側近であるヘイデン少佐の一人娘だ。
ただし黒い稲妻に関してはエイファも思う所があった。
サネス一等兵がハースト軍曹との交戦中に化身装甲の稼働限界に陥った時、黒い稲妻によって一等兵が再び動き出したのを目にしているからだ。
「黒い稲妻によって軍曹の目が治ったと?」
「そうそう。あの感じ、装甲義肢に似た何かを感じたぜ、俺はね」
「装甲……?」
「クランツ君」
髭の隊長が咳払いをして割って入ってきた。
ずいぶんと分かりやすい隠し事だ。
クランツ曹長は確かに装甲義肢と言った。
なぜ地方の官憲が、最近前線に投入されたばかりの新兵器の事を知っているのだろうか。
「さぁ、面会は終わりですよ! こう見えてもクランツ君は左肘関節骨折と腰靭帯裂傷の重傷なんです。後の話は私がしますから、場所を会議室に移しましょう」
「あーもういいよ。俺たちが知りたかったのは軍曹がどうやって包囲を突破したかってことだけだ。そんな夢みたいな話を上に報告してみろよ、笑われちまうだけだぜ」
隊長の提案をバルトスが断った。
勝手に返事をされてエイファは驚いて後ろを振り返った。
「ちょっとバルトス」
「……とりあえず軍道の派遣隊には中距離捕縛用の装備を充実させるようにって進言する必要があるね。目が見えている事も訂正しないと。エイファの信用がまた下がっちゃうけどそれはしょうがないよね。行こうエイファ。早くしないと、軍曹が軍道を抜けちゃうかもしれない」
「セロまで、なんなの。ちょっと待ってよ……」
「それじゃお邪魔しましたよ」
「はぁい、次はお見舞い持ってきてね!」
青年二人に肩を掴まれ慌ただしく出て行ったエイファたちの喧騒が聞こえなくなると髭の隊長はクランツを睨みつけた。
「クランツ君、気を付けたまえ」
「危なかったねー。言いかけちゃった」
「言いかけたじゃない、言いきっていた!」
大仰に嘆く隊長をクランツは宥める。
「まあまあ、少尉殿は全然ぴんときてなかったみたいだから大丈夫でしょ。それより……あの二人は?」
「分からない。恐らく少尉と同じくサネス隊からの転属組でしょうが。念のために照会をかけてみるか……」
「諜報部も皇帝も何考えてるんだろうねぇ。決め手に欠けるというか、重要機密が盗まれてるってのになんか悠長だよね」
「軍部も保安部にも現皇帝に味方する者は少ないですからね。少ない手駒で回そうと思えばああもお粗末になるものですよ」
「ちなみに巡査部長殿はどっち派?」
「決まっているでしょう、私はこの国を愛している」
隊長は髭を撫でつつ断言は控えた。
どこで誰が聞いているか分からない以上は言葉を慎むのが得策であった。