希望の子 4
雨脚は強まるばかりだ。
しかし兵士たちは微動だにしなかった。
滴か汗かさえ分からない液体が瞳を濡らしても瞬きすら出来ない。
眼前の戦いから目を背けることなど不可能だった。
化身甲兵と生身の人間が互角に渡り合う一騎打ちだ。
甲兵側はゴドリック帝国が誇る白兵戦用兵器を乗りこなす天才と覚えめでたい新参で、対する生身の人間は陸軍最強の古兵だ。
双頭の短刀を両手に持ち、体当たりを兼ねた突進を繰り出し至近距離から縦横無尽の斬撃を繰り出す化身甲兵。
対する軍曹は槍を手足のように使い距離を取って翻弄する。
一撃一撃が必殺の破壊力を持つ甲兵に対し軍曹は一切攻撃が出来ない。
化身装甲は装甲が厚く下手に打撃を加えれば逆に自身の武器が壊れてしまう恐れがあったからだ。
当然関節部位は装甲がないもののその機動力が付け入る隙を与えない。
だからロブは機を伺っていた。
ロブは化身装甲の二つの弱点を熟知していた。
それは関節周りの柔軟性のなさと長時間の稼働に向かないという点だ。
殊柔軟性に関しては人が乗り込む構造上、腹の上下屈伸が殆ど出来ないという問題があった。
左右背面の可動域も人間の関節のそれよりだいぶ劣った。
故にその動きは直線的であり技に変幻自在の動きを求めることが出来ない。
つまり一瞬で距離を詰めてくる鉄の塊を避けることが出来る戦闘感性さえ持っていればその動きは実に単調である。
そしてもう一つの問題点は深刻だ。
それが如実に現れるのに時間はかからなかった。
装甲が纏っていた電撃が不安定になり、一瞬消える。
いわゆる稼働限界だった。
甲兵は平衡を失い、ロブはこの瞬間を待っていた。
右腕を内から外へ振り抜いた状態で体制を崩した甲兵の胴体はがら空きだ。
ロブは間合いを詰め甲兵の左腕の肘関節に槍を突き入れ左腕を破壊した。
苦痛にのけぞる甲兵の喉元に槍の穂先が立てられる。
連続した刺突を繰り出せるのが槍の利点であった。
勝敗は決した。
少尉は歯噛みする。
本来なら自分が挑むべき戦いであったのに一等兵が余計な事をしたせいで随分と納得のいかない結果になってしまった。
しかしここで自分が出てもう一戦を希望したり兵士たちに発砲を指示してしまっては軍人としての誇りが己を許さないだろう。
だから少尉は素直に負けを認めた。
軍曹はおそらく自身を見逃すことを要求してくるだろうと少尉は考えた。
その要求を受け入れるのは軍令に違反してしまうが逆に軍曹を泳がせておいて誰かに追尾させ、後日協力者と共に一網打尽にしてしまったほうが良い結果を得られるに違いない。
少尉が交渉のために軍曹に近づこうとしたその時だった。
倒れ伏していた一等甲兵の装甲から黒い稲妻が迸った。
驚き硬直する一同。
まだ機能が完全に沈黙していなかったのか。
そして一等甲兵が動き出した。
緩慢な動きから一気に上体を起こす。
突きつけていた槍が化身装甲の喉を破り生々しい感触が柄からロブの手のひらに伝わった。
ロブは危険を察知し咄嗟に槍を離して後ろに飛びのいたが遅かった。
化身装甲の右手に握られた短刀が水平にロブの顔を捉えた。
左目の視界に見えていたはずの短刀が消える。
それどころかなにも見えなくなった。
それもそのはずだった。
槍が折れる音が聞こえ、両の目を斬られて背後の距離感を失ったロブは後ずさるもそこに地面がないことに気づいた。
崖だ。
走り出す少尉だったが間に合うわけもない。
ロブは崖下の渦巻く波に消えて行った。
少尉は一等甲兵のそばまでは行くが崖の下は覗かない。
その自重で崖を崩す恐れがあるからだ。
再び沈黙した一等甲兵を見る少尉。
今のあの力は一体なんだったのだろう。
遅れて駆け寄った兵長が崖の下を覗き、振り返って首を振った。
終わった。
目的を果たすことも出来なければ対象は生死不明。
そして威信の塊である兵器は生身の人間に壊される。
これは上に殺されるな、と少尉は土砂降りの空を見上げて嘆息した。