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策謀 5

 エキトワ領カヌークは小さな漁村だ。


 開発の余地はあるが、する理由もない村だった。


 ほぼ自給自足の生活を営み船を使った僅かな交易だけが商業らしい商業と言える。


 それ以外は何もない昔ながらの(ひな)だった。


 しかし閉鎖的かと言えばそうではなく少し前までは若干の異文化交流も行っていた。


 島嶼の少数民族たちとの交易である。


 それは国交と呼べるようなものではなく個人間のやり取りのようなものだった。


 だが今となっては不定期に軍人が巡回し異邦人の排斥に目を光らせていた。


 はずだった。


 カヌークに官憲はいない。


 形式的に近くに駐屯する部隊が治安維持を請け負っていたが実状は村の掟に任せていた。


 ゴドリック帝国の一方的な主権移譲宣言を良しとしなかった島嶼諸国が帝国の傘下を抜けて一年。


 今の今まで目立った問題などなかった。


 少数民族たちとは一年前に再会を約束する宴を開いてからは一度も会っていない。


 この寒村を不正の場に利用しようとした内陸人もいない。


 そのはずだったのに二日前にロブ・ハーストに目を付けられてしまったのが運の尽きだった。


 ハースト軍曹は国外逃亡しようとしてカヌークから船を出そうとしていた。


 上からの命令で渋々巡回をした治安維持隊は、たまたまその現場に出くわしてしまった。


 そして逃がしてしまったのである。


 当然罰則を受けることになったわけで彼らはそれでいじけていた。


 奴が来なければこんな事にはならなかったのに。


 上からは警備の強化を厳命されたが軍曹も戻ってくるほど馬鹿ではないだろう。


 部隊は一応滞在場所を駐屯地からカヌークに移してはいたが、警備などする気はさらさらなかった。


 カヌーク治安維持隊は他のエキトワ領方面軍との連携が上手く取れていなかった。


 むしろバエシュ領テルシェデントの官憲たちとのほうが付き合いが長い。


 彼らは一年前の再編にかからなかった部隊だ。


 上はほぼ元リンドナル方面軍の部隊と挿げ変わってしまったが彼らはそのままだった。


 情勢不安とはいえカヌークは戦争とかけ離れた平和な地なので部隊をそのままにしたのは正しい人事といえた。


 気性の激しい戦場帰りがカヌークの穏やかな風情に合わせられるとは思えず、逆に諍いの種になってしまうだろう。


 現に今、余計な問題を起こしているのは戦争帰りの軍曹だ。


 戦争帰りほど迷惑な連中はいない。


 普通とは異なるその価値観が普通の概念を浸食する。


 戦闘狂たちがこんな平和な地へ来て問題を起こさないはずがなかった。


 実に迷惑だった。

 

 木陰で寝転がる治安維持隊を尻目に漁師たちは網を編み、舟底のふじつぼを取っていた。


 こちらも二日前の騒動はまるでなかったかのようにいつも通りの生活を続けていた。


 治安維持隊がだらだらとしているのは気分の良いものではないが、任務上そうせざるを得ないというのは漁民も重々承知していた。


 返って監視の目を強め憂さ晴らし的に当り散らしてこないだけましというものだった。


 漁民の中にはカヌークの住民に混ざってテルシェデントのほうから来た舟人もいた。


 陸に揚げた舟をひっくり返しふじつぼを取っている女性もその一人だった。


 たくましい二の腕で豪快にふじつぼを削ぎ落す様は男顔負けだ。


 凛とした顔立ちの強い意志を持った目をした女性だった。


 女性は無心にふじつぼを取りつつたまに大きく伸びをしていた。


 何度目かの伸びの時、耳に鳥の鳴き声ともつかぬ不思議な音を聞いた。


 周囲を見渡す。


 寝転がる治安維持隊も周りの漁民も特に察した素振りはない。


 聞きなれない音とはいえ異音と呼ぶには微かであり、女性の他に気づく者は誰もいなかったようだった。


「ノーラさんや、そろそろ俺らも飯にしねぇか。あら汁作ったで」


 カヌークの漁民が女性に声をかける。


 ノーラと呼ばれた女性は額の汗を払ってから朗らかに笑った。


「あたしの分もあるんですかい?」


 笑顔につられるように漁民もますますの笑顔になる。


 女性の笑みは健康的で、厳つい漁師の目尻が下がるほど魅力的だった。


「勿論だ。俺らの舟までやってくれるんだからよ、お礼にもならねぇよ」


「へらを貸してくだすった恩が先すよ。ふじつぼ共はなかなか取ってる暇ないすからね。でも取らねぇと船が重くなるし」


「でもあんたも仕事があるだろ? ずっとやってもらってるのは悪いよ」


「そうっすねぇ。悪ぃけど飯くったら出発の準備させてもらいますわ」


「ああ、ああ、そうするとええ。そうだ干物も持ってきなよ。売りもんじゃなく御礼代わりさ」


「いいんすか? ありがとうございます! じゃあ、もうほんの少しで終わるんで切りが良いところまでやったら行きますわ」


「ああ。他の連中にも声かけてるから、慌てて指を切らないようにな」


「あざす!」


 ノーラは漁師を笑顔で見送ると近くにいた猫を呼んだ。


 トト、と声をかけられた猫は腹を出して日向ぼっこをしていたが従順にノーラの元へ来た。


 漁師は猫を飼う。


 猫が魚欲しさに勝手に住み着くのだが人間もそれを利用できた。


 特に大型船にはねずみが住みつくことが多く食料や物資に穴を開けたり寝ている人間に齧りついたりと被害は甚大だ。


 それを退治してくれるので猫は大切な存在だった。


 小型舟の漁師も例外ではなく猫とは切っても切れない存在だが名前を付けて愛情を注ぐ者は稀だった。


 しかしノーラとトトの利害関係は漁師としてのそれとは異なっていたのだ。


 ノーラは腰の袋から羊皮紙の切れ端と木炭を取り出すと手早く印を描いた。


 波線の間に点、そして素早く引いた横線。


 これはいくつか取り決めた合図の一つであり、すぐに行くから間で待て、の意味だった。


 間とはカヌークとテルシェデントの中間にある小さな名もなき浜辺のことだ。


 その紙を小さく折りたたみ首輪に括り付け、トトに変なお守りの臭いを嗅がせる。


 変なお守りは同志から貰ったものだった。


 小走りに駆けていくトトを見送る。


 周囲は誰も気づいていない。


 数か月前からテルシェデントの漁師を名乗りカヌークに出入りしているこのノーラという女性はテルシェデントの民ではなかった。


 海獣使いノーラ。


 とある組織より密命を受けたアナイの戦士ラグ・レの協力者であった。

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