策謀 4
炭焼きに昼夜はない。
窯の火を絶やさないように当番制で作業するからだ。
沢山並んだ窯は括りごとに進捗が異なる。
大きく分けると炭木を立て込む段階の窯、焚き火中の窯、そして窯止めをした窯となる。
焚き火中の窯は三日三晩火を絶やしてはいけない。
そのため必ず火の番がいる。
だが人数は多くなくて良い。
昨夜少女が集落に現れた時間は運よく一番起きている人間が少ない時間帯だった。
しかし日が昇るか昇らないかの早朝になれば炭焼き達は一斉に動き出す。
並べておいた炭の材料や薪や火口が朝露に濡れてしまう前に回収するためだ。
そしてそれは日毎に高まる需要に間に合わせて大量になっていた。
未だ燃料の大部分は木炭に依存している昨今、戦争により供給が間に合っていないのだ。
家で最初に目が覚めるのはヒルダだった。
起きてすぐに朝食を準備する。
個別の炊事場はないので朝は料理などしない。
前日に共同炊事場で焼いた麦餅を入れた籠の布巾を取るだけだ。
ヒルダが手を大きく打ち合わせると今まで床で泥のように眠っていた長男と次男が飛び起きた。
ついでに部屋の隅の外套もびくりと大きく震えたが、子供たちが気付くことはなかった。
子供たちは麦餅を掴んで貪ると一目散に家を飛び出して行った。
彼らの仕事は火口と木炭の回収だ。
冷えた窯から炭を取り出し、並べる。
並べられた炭は大人が見て等級を分けるのでそれに従って麻袋に詰め荷車に積んでいく。
大変な汚れ作業である。
それを昼休憩以外は日没まで延々と行うのであった。
寝起きが悪いハリエはヒルダに蹴飛ばされてようやく置き、寝ぼけ眼のまま麦餅を片手に出て行った。
彼の仕事は今日は炭木の立てこみから火入れまでの一連の作業だ。
それは一番の重労働だ。
そして意外と繊細な作業でもあった。
働き手を見送ったヒルダの仕事は子守だ。
今しばらくしたら女たちで集落全員の炊事と洗濯を始めるが、ヒルダは乳飲み子がいるため早朝からの洗濯係ではなく昼前からの炊事係だった。
だから少しだけ時間があった。
色々と準備をしなくてはならない。
「もう出てきて大丈夫だよ」
ヒルダの声で外套からラグ・レが顔を覗かせた。
「おい、これすごい臭かったぞ……豚の糞みたいな臭いがするぞ」
「おはよう。ごめんねぇ、旦那の冬着さ」
「むう……おはよう」
「まだ少し寝てな。なんならもう寝台を使ってもいいよ。あの子に乳くれたらあたしも息子たちを連れて出ていく。飯の支度でね。昼前にまた帰ってきてその時にも乳をやるから、それが最後だ。その時が出ていく好機だと思いな」
「わかった。色々助かった。感謝する」
「いいってことよ。ところで……」
「ん?」
「あんた、何処の少数民族だい? こんな所で、何をしていたんだい?」
ヒルダの唐突な質問にラグ・レの顔が一瞬強張った。
しかし少女は頭を振った。
ヒルダは恩人であり、僅かな時間ではあったが密告するような人間ではないというのはよく分かっていた。
一期一会の関係だろうが礼は尽くさねばならない、そう思った。
「私は……、アナイの民という部族の戦士だ」
「アナイ……?」
「正式な土地を持たない遊牧民族だ。国を持たないから国交も断交もない。唯一ゴドリックに出入り出来る部族ともいえる。もちろん入管には少数民族の区別なんかつかないだろう。だから今回この国にやってきたのも正式な手順を踏んでの入国ではない、密航だ」
「やっぱりねぇ……。で、なんで密航なんかして来たんだい?」
ヒルダは寝台の頭の上で眠る赤子を見た。
「あの子が関係しているのかい?」
「ああ。あれは皇帝の子だ」
「……は?」
「皇帝には子供がいた。それを、とある者の依頼で盗んできた。どこに依頼されたかは言えない」
ヒルダはいきなりの突拍子もない話に目を白黒させた。
昨夜、旦那が広げた話よりも更に大きな尺度の話が飛び出てきたものだ。
だからあんなにも大事に扱っていたと言うのか。
にわかには信じ難かったが、素直すぎるこの少女が嘘をついているとも思えなかった。
「盗んで……どうするんだい」
色々聞きたいことはあったが頭の整理が追いつかない。
まるで他人事のようにヒルダは適当な質問を絞り出した。
「知らん。無下にはしないだろう。ただ、無駄な争いは回避できると聞いた」
前言撤回。
やはりこの娘は誰かに言いように使われているのではないだろうか。
子供を拉致するなど、それこそ争いの火種ではなかろうか。
しかしあまりに壮大な話にヒルダはどうやって少女を嗜めて良いか分からない。
「そう……あんまり無茶をするんじゃないよ」
そして口をついたのは何とも無難な労いの言葉だった。
後になって考えてみれば帝都は遠く一日二日の距離ではないのでその間どうやって赤子に乳をやっていたのかなど不明な点は多々あった。
だからヒルダは自分の選択は間違っていないと思う事にした。
少女の言葉が虚言だとしても、真実だとしても自分の生活には一切関係がない。
何も出来ず、何も言えない。
それで良かったのだ。
昼前に赤子に最後の乳をやると、とうに準備を終えていたラグ・レはヒルダに深々と礼を言って旅立っていった。
「何の加護があるんだっけ……? ちゃんと聞いておくんだったねぇ」
結局もらった変なお守りを太陽にすかし、ヒルダは自嘲気味に笑った。