島嶼へ 9
「まるで人質じゃないか。官憲がそんなことをしていいのか?」
「保護と言ってほしいね。お前が大人しくお縄についてくれればイネスさんは解放されるさ」
「…………」
「というわけで、はい! おじいちゃんは早くここから離れてね。これ最後通告だから。警告に従わない人は空気として扱いまぁす」
「ソール、離れてくれ。あいつはやると言ったら本当に巻き込む」
「しかしロブお前、目が……!」
「大丈夫だから、早く!」
口ごもるソールは意を決しロブの手に何かを握らせてきた。
銛だ。
ごろつき達を追い払うのにソールが持ってきたものだ。
ロブはそれをしっかりと受け取り安心させるために口元で笑って見せた。
「いいねぇ。武装の幇助はなかったことにしてあげる」
無邪気に喜ぶ子供のようにクランツは満足げに笑った。
銛を構えるロブ。
正直に言えば何も見えない。
腕も痛む。
しかし装甲義肢は重たい金属同士を擦り合わせたかのような異音がする。
それを頼りにすればあるいは一矢報いることが出来るかもしれなかった。
「さて、ロブよ。これは運命かもな」
ソールの離脱が完了したようでクランツが歩き出し、ロブは音に合わせて体を向けた。
家の敷地内はほぼロブの間合いだ。
クランツが瓦礫を乗り越えてきたらすぐさま反応出来るだろう。
意外と地の利はあった。
ロブの目が見えていないことを未だクランツが気づいていないことも幸いだった。
「たれこみだけじゃ俺たちは動かなかった。町の爪弾きの家に大怪我した知らん男がいる……だからなんだって話だ。でもそのほんの数時間前に帝都から軍令が降りてきてたばかりだったんだ。お前が浜に流れ着いてるかもしれないから捜査しろってな。本当に良くできた運命だと思わないか?」
クランツがよく喋るのはロブの隙を伺っているからだろう。
迂闊に踏み込めばただじゃ済まないことは同じ部隊にいたクランツはよく知っていた。
そしてその駆け引きは彼にとってはとても甘美な時間らしい。
本来なら戦えるはずのない最強の味方と真剣勝負が出来るのだから当然なのかもしれなかった。
「なぁロブ、今に東南戦線の糞雑魚連中は瓦解するぜ。俺には分かる。そう遠くない未来だ。そうなったら俺たちはまたあそこに戻れる。俺はその日を夢見て一年間頑張ってきた。我慢出来たのはまたお前らと一緒に戦えると思ってたからなんだ。俺と同じくお前も、みんなも、俺と同じように我慢して頑張ってると思ってたんだ。でもお前さぁ……」
緩慢な動きでロブの左半身に回り込んでいたクランツが突如動きを変える。
「なーに一人でもっと楽しそうなことしてんだぁ……よぉっ!」
瓦礫を乗り越える音が聞こえた。
恐らくは虚を突き右側に回り込んで攻撃してくるのだろう。
化身装甲の簡易版とはいえ装甲義肢の破壊力は侮れない。
ロブはサネス一等兵と戦った時と同じようにクランツの突撃を避けた。
いや、避けようと思った。
クランツの右拳がロブの腹にめり込んだ。
意識が飛びかけ、ロブは成すすべなく敷地の外まで吹き飛んでしまう。
クランツは何の策も弄さなかった。
足を止めた場所からそのまま直線的に突っ込んできたのだ。
彼は純粋に力比べがしたかったようで殴るというよりは鍔迫り合いの要領を期待していたのだ。
見えてさえいれば起こることはなかった大博打にロブは敗れたのだ。
「あれ?」
予想外だったのはクランツも一緒だった。
怪我をしているとはいえ最強と謳われた男がなんということだろう。
見当違いの行動をし、簡単に殴り飛ばされてしまうなんて。
「今すげぇ感触したけど、嘘だろ?」
クランツがゆっくり近づくもロブは立てない。
小手調べにしてはあまりにも重い一撃だった。
息は絶え絶えで痛みが全身の力を奪う。
その様子をクランツは悲しそうに見降ろしていた。
「なんだよ。やっぱりもう……見えてなかったのかよ」
周囲の家や塀の影から官憲が飛び出してきた。
少し離れた所で固唾を飲んでいたソールにも官憲が付いた。
官憲はロブの逃走経路にあらかじめ身を隠しており、クランツが万が一取り逃がした際に備えていたのだった。
立派な髭の官憲巡査部長も登場し満足げにクランツを褒めた。
「よくやったクランツ! もっと厄介な手合いだと思っていたがこんなに簡単に仕留められるとは! 大手柄だぞ!」
喜ぶ周囲の声に耳もくれずクランツは茫然とロブを見降ろしている。
だがいよいよ官憲たちがロブに縄をかけようとした時、装甲義肢を振ってそれを制したのだった。
「やっぱり捕獲すんのやめ。俺が引導渡す」
「な、何を言ってるんだねクランツ?」
「部長さんよ、こいつぁ絶対に情報は吐かんぜ。俺知ってんの。こいつと仲良かったから。それにさ、こいつは反逆者かもしれねえけど、功績は凄いじゃん。知ってるでしょう。そんな奴をさぁ、こーんなくだらない捕り物で終わらせるなんてさ、やっぱ駄目だよ。やっぱさ、戦いの中で死なせてあげるのが……敬意ってもんじゃない?」
「なにを……待ちたまえクランツ! そんな勝手は許されませんよ!」
「ほらな、ロブ。俺がここにいて良かったろ?」
勝手にクランツは部長の軍刀を奪い取る。
部長は小さな悲鳴をあげて尻もちをついた。
その隙に腹を抱え震えるロブに目がけ刀を振り上げる。
狙うはロブのうなじだ。
クランツの目には涙が浮かんでいた。
「じゃあなロブ、先に地獄で陣取り合戦しててくれや!」
冗談じゃない。
まだ死ぬわけにはいかないのだ。
ロブは渾身の力を振り絞って立ち上がった。
すんでの所でクランツの軍刀が身体を掠めた。
その軌跡を視認しつつロブは近くで呆けていた官憲の腰から軍刀を抜き払ってクランツの脇を切った。
「おお……?」
クランツの脇から胸にかけてうっすらと血がにじむ。
思わぬ反撃に狂人の顔は驚きと喜びで歪んでいた。
「な、なんだよ見えてんの? 見えてないの、どっちなのよ」
それは不思議な感覚だった。
見える。
いや、見えているのだろうか。
ロブの眼前には薄ぼんやりとした光の輪郭で縁取られた世界が広がっていた。
陽炎のように揺らぎ、しかし光を放つそれらは朧気ではあるが人や壁、木の形状に見える。
両目を覆う包帯はそのままであるのに何故か周囲を認識することが出来ていた。
よく分からないが盲目となり感覚が研ぎ澄まされたのだろうか。
不思議だが現状を乗り切るには考えている時間などなかった。
とりあえずは眼前の敵の最大戦力であるクランツを倒さねばならない。
ロブは軍刀を握る手に力を込めしっかと構え直した。
「な、なんだよ、それ」
その様を見てクランツは、官憲たちは、ソールは一同に驚愕した。
ロブから黒い稲妻が迸り、黒い炎のようなものが全身に這うようにまとわりついたのだ。