島嶼へ 7
泣きを見るのはいつも弱者だ。
ソール爺の言葉がロブの耳から離れない。
弱者を泣かせているのは誰だ。
考えるまでもない、自分も加害者の立場だった。
ロブはずっとがむしゃらだった。
普通なら家庭を築き子を育んでいるであろう齢になってもなおがむしゃらに走っていた。
それが孤児から身を興したロブが唯一出来る生存方法だった。
だがそれは突然終わりを告げた。
共に走った仲間は次々に立ち止まっていった。
立ち止まった仲間を置き去りにして更に走った。
すると自分も走らなくて良い所に辿りついてしまった。
エキトワへの左遷だ。
初めのうちは寝床が平らな事さえ馴染めない生活だった。
しかしロブは次第に慣れていった。
そしてそこで初めて弱者の存在を知った。
ロブにとって弱者は蔑む対象でも軽んじる対象でもなかった。
ただただ恐怖の存在だった。
戦うわけでも抗うわけでもないそれらは、何もせず静かに、だがいるだけでロブの心を抉った。
自分は気付かない間にどれくらいの弱者を踏みにじってきたのだろう。
守れた者を守らず、ただ自分自身の生の為に生きてきた。
多くの仲間たちが道半ばで倒れたのは守る者を背負っていたからだろう。
重きを背負った仲間たちを盾にしていたから自分は今まで生きて来れたのだ。
マノラの町もそうだ。
自分たち働き手が本来やらねばならないことを老人や女性がやっている。
そんな彼女たちはロブが軍で何気なく食していた物さえ口に出来ない貧困ぶりだ。
自分はこの人たちから最低限の幸せさえ奪っていたのだ。
十年、いや二十年。長い軍隊生活では武器を持たなくても良い時間だってあった。
その時に果たして自分が鍬を持ったことがあるだろうか。
いや、ない。
自分は奪うだけだ。
何を成さず、ただ奪うだけの存在なのだ。
「おい、痛むのか?」
声をかけられ我に返る。
「急に黙り込んで、どうしたね」
「いや……戦争の皺寄せに対して申し訳なく思っていた」
「うん?」
「俺はずっと兵士だった。奪うだけの兵士だ。あんたらが貧しい生活を強いられているのは俺たちが……いや俺が不甲斐ないせいだ。だから申し訳ないと、今思っていた」
「はん、何を言いだすかと思えば」
「戦場でも畑を耕す時間なんていくらでもあったのに、俺はずっと人を殺す術ばかり磨いていた。奪うだけの兵士だった」
「…………」
「今になって思う。兵士なんていなければ良いのにな。この無駄飯喰らいが生産に回れば貧困はなくなるだろう」
「あほたれ。そんな世の中になってみろ。すぐにどこかの誰かに攻められて皆殺しだわい」
ソールは吐き捨てるように言った。
「同じ町の人間、いや隣りの家の人間でさえ仲良く出来るかなんて運みたいなもんだ。国もそれと同じだろう。扉がなきゃあさっきの阿呆どもみたいに好き勝手に入ってくる奴もいるし、食料を盗んでいく奴もいる。銛で威嚇でもしなけりゃ良いように食い尽くされちまう」
「だが」
「この町が貧しいのは色んな原因が積み重なったからだ。きっと他の場所だってそうだ。お前さんももしかしたらその原因の一部かもしれんが、自惚れるなよ。ただの兵士なんだろう? そんな奴の影響力なんか、これっぽっちもないわい」
「そりゃあ勿論俺が原因の全てなんて思ってな……」
嫌な寒気が背筋を走った。
話の途中だったがソールの胸倉を掴み自分ごと地面に倒れる。
その瞬間、轟音と共に爆風が巻き起こった。
瓦礫が身体に落ち鼻の中に粉塵が飛び込んできた。
家の壁が壊れたのだろう。
いや、壊されたのだ。
ソールが起き上がると家の土壁が腰から上あたりから吹き飛んでなくなっていた。
入口のあった場所には誰か立っていた。
「こーんにーちはーーーーーっ!」
頓狂な声が響く。
訪問者はあごひげを蓄えた中年男性だった。
ロブと同じくらいの巨漢だ。
やる気がなさそうに見える重い瞼の奥で瞳が活き活きと輝いていた。
中年は素性を詰問するソールには目もくれずロブを見つけて喜んだ。
大きな口で歯茎まで見せた満面の笑みだった。
「いっよぉーう! ロブちん、ひっさしぶりだなぁ! 一年ぶりかぁー!?」
男の両腕は不釣り合いに大きな甲冑の籠手のようなもので覆われていた。
どうやらそれを用いて家を殴ったようだがそれにしては爆弾が破裂したかのような惨状だった。
「いやーあ、本当に驚いたぜ! 俺、今テロートで糞みたいな糞仕事してんだけどさ、そしたらお上のお達しで? ロブ・ハーストがやばいことして今やばいってぇきたもんだ! だったら探すしかねぇよな! 俺とお前の仲だもんなあ!」
「その声は……クランツ特務曹長か!」
「あったりぃ~! けどはずれ! 残念でーした! 今はテロートで官憲の巡査やってんのよ。下っ端も下っ端よ! って何言わすんだよ、おい!」
けたたましく五月蠅いこの手合いは名をアルバス・クランツといった。
ロブのかつての上司であった。