島嶼へ 6
イネスの作った乳粥は絶品とは言い難かった。
これはイネスの料理の腕がどうこうという話ではない。
痩せた土地で育った根菜は筋が多く、味付けの香草と柑橘と塩は香りを誤魔化すだけだった。
粥に使われている雑穀は黒麦のようで口触りは非常に悪かった。
香り自体は良いが冷めたら食べられたものではなくなるだろう。
それでもソール爺は嬉しそうに舌鼓を打った。
どちらかといえばロブは副菜として付いていた小魚の干物のほうが美味だと思ったがそれは食べ慣れているかどうかも関係するのだろう。
粗食の多い軍隊生活だと思っていたがマノラよりはずっと恵まれた生活を送っていたようだった。
ただ暫く何も口にしていなかったので乳粥が胃に落ちた瞬間は幸せに大きく嘆息してしまった。
その様子を見てイネスは嬉しそうに笑った。
精一杯の御馳走が外部からきた人間にも通用したことに安心したのだろう。
不安げな空気が一転し、和やかな食卓となった。
食事が終わり白湯を貰って一息つく。
血行が良くなったのか患部が鼓動と共に疼いた。
麻痺しているのか目の痛みはあまりない。
逆に気にしていなかった腕の方が随分と鈍痛を訴えてくるのだった。
イネスは食器を洗いに出て行ってしまった。
気を付けた方が良いのではないかと心配だったがごろつきたちもそこまで暇ではないとソールは笑っていた。
イネスの素性も知らないとはいえ、もっと知らない老人と二人きりというのもずいぶん居心地が悪い。
黙って白湯をすすっていると老人の方から話しかけてきた。
「なあ、あんたはどこでなにをしていたんだ? 何をして軍を追われた?」
ロブは包み隠さずに話した。
これで自分を匿うか売るかの判断は老人にも委ねられた。
老人は黙って聞いていたが、すべてを聞き終えると長い溜息をついた。
「わしは政治なんぞは分からん。だが皇帝の隠し子を攫って他国に連れ出すなんぞ、それこそ戦争の火種になる気がするんだがな」
「俺にも分からん。だが俺の相棒は、それが正しいんだと言っていたんだ」
「ずいぶんと信頼しているな。たまたま会った素性も知らん女の子だろう?」
「…………」
「それでその他国ってのはどこだい」
「それは……知らない。だがそこにも皇帝のように不思議な力を持つ者がいるらしい。その者が告げた場所であるアルバレル修道院に謎の赤ん坊が匿われていた。適当に言ったにしては出来過ぎているだろう?」
「それが皇帝の子だとの断言は出来るのか?」
「相棒は断言していたが俺にはよく分からなかった」
「いよいよもってあんたが軍を捨てた理由が分からんな。何故そんなあやふやな賭けで今までの全てを捨てられた?」
「…………」
「まぁ、言いたくなければいいさ。そのうちまた聞くと思うがね」
「長居するつもりはない。いずれここにだって俺を追ってくる兵が来るだろう。相棒の安否も気になるし、あんたらに迷惑はかけたくない」
「わしは正直言ってお前さんのことなんか知らん。拾ったのはイネスだ。だがその目ではどうにもならんだろう」
「その時はそれが運命だと思うさ」
「大袈裟だな」
ロブの決意を頑ななものとみたか、老人は短く嘆息した。
「大袈裟といえばご老人、先ほど訪問した時に銃を使っていなかったか? ごろつきたちを威嚇するにしては随分と物騒じゃないか」
「銃? ああ、銛だ銛。銃なんて大層なもんは持ってないよ。それにこの町には官憲はおらん。自分たちの身は自分たちで守らねばならん。とはいえ、小さな町だからな。世間体が官憲の代わりのようなもんだった」
「戦争の影響か?」
「そういえるだろうな。強制的な徴兵ではないが若者がこの町を捨てるには充分な報奨金だ。多少の勇気さえ持ち合わせていれば誰だって飛びつくだろう。そして男手が少なくなったせいで残りかすの連中が調子に乗っておる。テロートの物価が上がったこともこの町が一層貧しくなった原因だ。貧しさは人を粗暴にする。泣きを見るのはいつも弱者だ」
その弱者とはイネスであり、老人の事なのだろう。
ロブは小さく下唇を噛んだ。
その頃マノラの入口に馬車と騎馬の集団が着いた。
立派ではないがそんな洒落たものが町にくるなど稀なことだった。
降りてきたのは髭を蓄えた官憲だ。
テロートの官憲だった。
「お、お待ちしてやした旦那! たった今様子を見てきやしたが、奴らこれから飯を食うみたいですぜ!」
迎え入れたのは三人組のごろつきだった。
ごろつきたちはテロートへ魚の荷卸しに言った際に余所者が流れ着いたことを官憲に報告していたのだ。
「ここがマノラです、皆さん、配置に着いてください」
髭の官憲が騎乗の官憲に号令を出すと下馬した官憲たちが散り散りに村の中へ消えて行った。
作戦の邪魔にならないよう、村人たちが騒がないように説得しに行ったのだ。
「さて、それじゃあ君も準備したまえ」
髭の官憲が馬車の中に声をかける。
馬車の中にはまだ誰かがいる様子であった。