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島嶼へ 4

 お湯が沸き立つ音が聞こえてきた。


 潮風が窓を抜けロブの髪を揺らした。


 鄙びた漁村では時間がゆっくりと流れていく。


 束の間の静寂にロブはラグ・レの安否に思いを馳せていた。


「煮立ったみたい。ちょっと待っててくださいね」


 イネスが立ち上がった。


 声の響きからして調理場はすぐ傍だ。


 間仕切りくらいはあるのだろうが、やはり扉はないようだ。


 恐らくこの家は土間と居室が一体になった造りなのだろう。


「難しい話はよく分からないけど、傷が癒えるまではここでゆっくりすればいいですよ」


「ありがたい話だが……遠慮ではなくそういうわけにもいかないんだ」


「機密を早く他国に持っていかなきゃいけないんですか?」


「いや、私は持っていない。持っている仲間がまだ軍に追われているかもしれないんだ」


 包丁で何かを切る音と鍋に何かを入れる音が聞こえる。


 作り置きの設定はもはや関係なくなっているようだ。


「助けに行くっていうんですか? その体で?」


「馬鹿がつくほど正直なやつなんだ。きっと、ずっと落ち合う場所で待っている」


 包丁の音が止んだ。


「馬鹿はあなたです。そんな目で行けるわけないですよ」


 再び鍋の泡たつ音が部屋の中に満たされた。


「お医者に連れて行ってあげるだけの蓄えはありません。でも誰が見たって分かります。ロブさん、あなたの目は……ごめんなさい、言わせてもらいます。あなたの目はこれからどんなに時間が経っても見えるようになることはありませんよ」


 それはロブも分かっていた。


 両の目は一切の明かりすら感じない。


 それもそのはずだ。


 化身甲兵の薙ぎ切りをくらって眼だけで済んだのが奇跡だった。


 あの質量と速度で斬られたら普通なら周囲の肉や骨も爆せ飛んでもおかしくなかった。


 しかし触ってみた限りだと眼球周りの頬骨も無事なようだった。


 恐らくは切っ先がかすった程度だったのだろう。


 ニファ・サネス一等兵の得物が短刀だったのが幸運だった。


「イネス、忠告はありがたいが俺がここに居れば居るほど君を巻き込んでしまう危険性も高くなるんだ」


「ロブさん、この町は軍だとか帝国だとか戦争だとか、そんなのは関係ありません。志願して出て行った人は沢山いますけど、軍隊の誰かがやって来たことなんて私の知る限りでは一度だってありません。だから心配しなくていいんですよ」


「仲間を見捨てて自分のことに没頭するような人間をあんたは家に置いておけるのか?」


「他のお仲間に任せればいいでしょう? あなたはそんな物騒な事は止めるべきです!」


 会ったばかり。


 素性の知れない犯罪者。


 その人間にずいぶんと思い入れをするものだとロブは訝しんだ。


 貧しい町ゆえに犯罪者の引き渡しの報奨金を当てにしているのかもしれない。


 縁者を走らせて近場の大きな町であるテロートに駐在している官憲を呼んでくるまでの時間稼ぎか。


 邪推は失礼だが、どの道意見には応じなさそうなのでロブは折れることにした。


 助けられた恩はあってもイネスの親切はロブにはどうも奇妙に感じられて仕方なかった。


 今はいう事を聞き、いずれそっと出て行けばいいだけの話だ。


「……万全ではないのは確かだ。助けられた礼もしたいしな。じゃあ、お言葉に甘えて暫くは厄介になるよ。その代わり病人扱いはしないでくれ。やれることはやらせて欲しい」


「急に聞き分け良くなって……。絶対そのうちこっそり出て行こうと思っているでしょ。もう少しでご飯が出来ますから、食べたらまた話し合いましょう」


 良い香りがしてきた。


 乳粥の一種なのだろう。


 香草と柑橘の香りもする。


 ロブが返事をするよりも先にロブの腹が鳴り、イネスは少し笑った。




 マノラは貧しい漁村だ。


 ヴリーク湾の豊穣な海産の恩恵を得ていたが、近くに先に発展してしまったテロートの町があるので地の利を得られずに小さくまとまざるを得なかった町だ。


 今は交通の利便性の悪さも相まって更に過疎化が進んでいる。


 そこへ追い打ちをかけているのが徴兵だった。


 マノラの男たちはその多くが漁師だった。


 ゴドリック政権下では僻地ゆえに徴兵は免除されていたがブロキス帝政では召集がかかった。


 給金は漁で稼ぐ収入より遥かに高かった。


 戦場へ出て行った男たちは二度と戻らなかった。


 殆どは戦死ではなくそのまま都会に移り住んでしまいただ帰って来なくなっただけだ。


 結果、マノラは以前よりも貧しくなった。


 女たちが耕す畑の作物では自給自足が関の山で売り物にはならない。


 帆船用の帆を編むのも女たちの仕事で、男が減ってからは余るようになったが売っても僅かばかりの稼ぎにしかならない。


 そのため兵役に着かずに留まった男たちに期待が寄せられるのは必然だった。


 その期待が男たちを誤解させた。


「ようイネス、いい匂いが外までしてるぜ。昼前からずいぶん気前のいいことしてるじゃねえか、なあ?」


「お誘い頂いたんじゃあ仕方ねぇから来てやったぜ。こっちはさっきまで仕事してて疲れてるってのによ」


 ねっとりとした男の声が聞こえ、複数人の笑い声が聞こえた。


「お、なんだよ色男。もう目ぇ覚ましたのか」


 声の主たちがイネスとどのような関係か分からないものの、たぶん面倒な連中なんだろうなとロブは思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情景、背景が目に浮かびました (*´ω`*) [気になる点] 漁村はあるけど、漁町はないんですね! もう、なんなのコイツら! やめて! まさかのお決まりみたいな出方してこないで! 期待し…
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